◎ Carl Zeiss Jena (カールツァイス・イエナ) Tessar 50mm/f3.5 王《戦後型》(exakta)

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※解説とオーバーホール工程で掲載の写真はヤフオク! 出品商品とは異なる場合があります。

今回オーバーホール/修理が終わってご案内するモデルは、旧東ドイツは
Carl Zeiss Jena製標準レンズ・・・・、
Tessar 50mm/f3.5 《戦後型》(exakta)』です。


  ЯПОНІЯ З УКРАЇНОЮ!    Слава Україні!  Героям слава!  

上の文は「日本はウクライナと共に! ウクライナに栄光あれ! 英雄に栄光を!」の一文をウクライナ語で国旗色を配って表現した一文です。現地ウクライナでは民衆が「ウクライナに栄光あれ!」と自らの鼓舞を叫ぶとそれに応えて民衆が「英雄に栄光を!」と返すようです。

Slava UkrainieieGeroyam Slava

今回ご案内する個体はオーバーホール/修理ご依頼分として承りました。当方がオーバーホール作業を始めた12年前からの累計で、当時のCarl Zeiss Jena製標準レンズ「50mm/f3.5」の括りで捉えると僅か3本目にあたりますが、今回扱った個体のレンズ銘板に刻印されている「刻印付」モデルだけでカウントすると「初めての扱い」です。

逆に言うなら今までに扱った個体の2本は「zeissの刻印付」だった事になりますが、実は今回いろいろ調べてみると、その認識自体に誤りがあったことが判明しました・・後ほど解説します。

前回扱ったのが2018年だったのですがその時のデータがHDDクラッシュで全て消滅しています。その時も気になっていたのですが、今回改めてネット上をチェックするとさらに勢いを増して「鷹の目テッサー」と語られてばかりいます(泣)

日本なら確かに猛禽類の頂点に位置するのは「鷹 (hawk)」なのが一般的なのでしょうが、このオールドレンズを製産していたのは「旧東ドイツのCarl Zeiss Jena」でありヨーロッパです。その地域での猛禽類頂点に君臨するのは鷹ではなくて「鷲 (eagle)」ですョね?(笑)

実際には鷹も鷲も唯一の相違は大きさらしいですが、欧米の歴史を紐解けば中世の時代から「権威の象徴」として家紋や称号にも使われ讃えられ続けてきたのは今も昔も「hawkの鷹ではなくてeagleの鷲」なのは、ちょっと考えればすぐに分かるのではないでしょうか?(笑)

それを如何にもの如く「鷹の目テッサー」と連呼するのはちょっと認識が甘すぎるように思いますね。

日本のオールドレンズ界で「鷹の目」を製造メーカー自身がカタログなどに謳って活用していたのはMINOLTAでありMC ROKKOR-PG 58mm/f1.2《前期型》(SR/MD)」だったりします (要は開放f値f1.2のシリーズを指す)。

実際当方もテッサーが「hawk (鷹)」を掲げていた広告やカタログなどを今までに目にした事がありません(笑) 左の広告は1954年当時の旧東ドイツ国内での雑誌広告です。

これを見ると「ZEISS-TESSAR Das Adlerauge Ihrer Kamera」とドイツ語で記載があり、英訳すると「The eagle eye of your camera」になるので、ちゃんと「eagle eye (鷲の目)」とドイツ語で書いてあったことになります。

これで完璧に納得できました(笑) 旧東ドイツのCarl Zeiss Jenaが「鷲の目テッサー」の異名を (ワザワザ鷲を表すアイキャッチまで用意して) Tessarモデルに与えて広告していたことが判明しました。

・・オールドレンズというのは、このようにロマンが広がるので本当に楽しいですね!(笑)

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Tessar (テッサー) と言うモデル銘のクラシックレンズは、戦前ドイツで1902年に登場していますから相当な歴史の古さです。1930年代の戦前から戦後までのいわゆるオールドレンズの範疇で捉えると、戦前の旧ドイツCarl Zeiss Jenaは戦後に旧東西ドイツに分かれて存在することになる為、旧東ドイツのCarl Zeiss Jena製Tessarと、旧西ドイツZeiss-Opton製Tessarといった「同じブランド銘が2つに分かれて存在」していた事になります。

クィックリターン式ミラーを搭載した一眼レフ (フィルム) カメラ用標準レンズとしてのTessar 50mmが登場するのは1936年からになり、総真鍮製のズッシリと重みを感じる造りでした (製造番号20xxxxx〜)。

この時製産されていたのは開放f値「f3.5/f2.8」2タイプですが、初期の時点ではモノコーティングを示す「zeissの」刻印がレンズ銘板にまだありませんでした (シングルコーティングだったから)。

戦中からパープルアンバーの2色の光彩を放つモノコーティングとして「zeissの」が光学硝子レンズに蒸着されるようになると、戦後にはアルミ合金材の筐体で同じく開放f値「f3.5/f2.8」の2つのタイプが発売されます。

【Carl Zeiss Jena (戦前〜戦後) コーティング技術の発展】
1934年ノンコーティング (反射防止塗膜の蒸着無し)
1935年〜:シングルコーティング (反射防止単層膜塗膜の蒸着)
1939年〜:モノコーティング (反射防止複層膜塗膜の蒸着:T)
1972年〜:マルチコーティング (反射防止多層膜塗膜の蒸着:T*)
※ 世界初の複層膜蒸着技術 (世界初の薄膜複層膜蒸着技術開発は1958年のMINOLTAによる
アクロマチックコーティング)

このコーティング層の蒸着技術の中で、よく間違われているのがシングルコーティングモノコーティングの違いで、戦前戦中のシングルコーティングは「ブル〜系」になりますが、戦中戦後のモノコーティングは「パープルアンバー」です。それは真空状態でコーティング層の塗膜蒸着時に「2つの資料 (ここで言う資料とは基になる材料を表す)」を使っているから2色の光彩を見る角度によって放つワケです。

例えば2色の光彩を放つとしても、仮に任意領域で別々の色合いに光彩を放っていたらそれは「斑模様」に見えてしまいますね(笑) つまり「見る角度によって異なる光彩を放つ」から複数のコーティング層が蒸着されていると言えるワケで、同時に「見る角度によって違う」のは「光の成分として波長が異なるから」とも言えます。

そもそも光学硝子レンズに入射光が透過する際、片面の反射で4%が失われます (硝子レンズは必ず表裏面があるので合計8%消失)。それ故、反射防止技術がまだ開発されていなかった (つまりノンコーティング時代) の光学系は、できるだけ光学硝子レンズの枚数を減らして開発/設計していました。

入射光は自然光ですから「色の三原色」として「」の成分として当時はフィルム印画紙に感光させていました (白黒フィルムでも256階調に近い成分でカラー成分を分光する必要がある為)。つまり光を「3つの成分として分光管理」させることで光学硝子レンズ面での反射防止が叶います。そこで最初に考え出されたのが、波長が短くて先に減衰してしまう「青色成分」の透過率を上げることで波長が長い「色成分」と対等に制御することを考えたのだと思います (つまりシングルコーティングの登場)。

次に解像度とコントラストを向上させる目的から「赤色成分」の透過率まで向上させ、同時に明るさを維持させるために「黄色成分」まで透過率向上を狙います。すると「パープル (青色成分)」と「アンバー (黄色成分)」の両方で全体の透過率向上を狙えるのでモノコーティングの必要性が増したと考えられます。結果、光学系内の幾つかの群でそれぞれ単独でシングルコーティング層を用意して「青色成分」或いは「黄色成分」をコントロールしてあげれば、最終的な後玉から射出する光の制御が叶うというものです。

ちなみに現在のデジタル技術ではRGB ()、或いはRGBY ()が色成分の三原色/四原色になり、特に4K/8K技術の黄色成分は輝度/明るさの向上として使われているので、まさに昔の概念と同じ発想と言えるのがオモシロイ
(白色を輝度とし強くすると彩度が下がりコントラスト低下を招く為使えない)

また1960年代に入るとさらに「緑色の成分」制御まで考え出されたようで、まさにMINOLTAの「アクロマチックコーティング (AC) 」技術が当時世界初の「薄膜蒸着技術」として登場し当時のライカにまで注目されました (後に技術提携に至る)。この薄膜蒸着技術が優れているのは既存の単層膜/複層膜/多層膜いずれの蒸着面に対しても薄膜で任意の量で追加できる点です。従って「まるで薬味のような味付け」としてカラー (色成分) コントロールができるようになったのが革新的だったと言えます (光学硝子レンズの群の別で制御せずに済むからより適切で細かい制御が適う)。

話が長くなりましたが、このような経緯を経てモノコーティングの「zeissの」が当たり前になり、1966年にはレンズ銘板から刻印を省いたゼブラ柄モデルが発売されます (実際はそれ以前の1955年からに既にシルバー鏡胴モデルでも刻印を省略していた)。

↑上の一覧は今回扱った「50mm/f3.5モデル」について「はたしてこの刻印の出現時期と製造番号との関係性に整合性が見出せるのか?」との疑問が湧き上がり、海外オークションebayで確認できる個体数33本をサンプルとして調べ一覧にまとめたものです。

すると先日Tessar 50mm/f2.8 silver《初期型》(M42)』についてこのブログにアップしましたが、今回もまたオモシロイ事実が判明しました。

上の一覧は「製造番号を基に仕様諸元についてまとめた」ものですが、いわゆる巷で「ニッケルテッサー」と俗に呼ばれて珍重されている「CONTAX Cマウント規格」がありますが、まず第1にその時期の個体に刻印されている製造番号帯とは明確に区分けされているのが分かりました (上の一覧で製造番号帯が明確に区分けできるシリアル値に対して背景色を無地の白色にしてある)。

・・つまり白地の製造番号帯には仕様諸元の混在が一切顕在しなかったのです。

これは予想に反して意外な結果でした(驚) さらに今回は面倒なので「同じ筐体意匠のコンパクトなパンケーキレンズ (平たくて小さな筐体)」から始まり、後の時代に長型へと変遷するまでの個体だけをピックアップして「サンプル数33本」として調べています (但しいずれも手動絞り/実絞り時代のモデルばかりをターゲットにしている)。

・・もちろんそのような前提で調べているので対象となる個体は全てシルバー鏡胴モデル。

上の一覧のように製造番号を基にまとめると、時代と共に「増産体制を強化していた」事が見えてきました。

つまり戦後すぐの1945年〜1949年辺りまでの製造番号帯では (上の一覧 色着色の欄)
仕様諸元が製造番号帯を一切跨がず製産していたことになります。

ところが1950年代に入ると「製造番号帯を跨いで仕様諸元が混在し始める」ので、それを分かり易いように「その跨いでしまった番号帯先頭3桁をオレンジ色文字で着色」しました。

これら「オレンジ色文字の番号帯」は仕様諸元が異なる個体が互いに前後の製造番号に混在したまま出荷していた事になります。

↑その一方で、前述の1945年〜1949年に出荷していた (上の一覧 色着色の欄) の個体は「マウント規格は設計が初期型だった」点についてもキッチリ区分けしている事実が判明したので、それを上の一覧の「マウント形状」で赤色文字で表しています。

上の写真は例としてピックアップしましたが、例えば左の個体は「PRAKTIFLEX (プラクチフレックス)」で採用していた「M40マウント規格 (内径40㎜ピッチ1㎜)」ですが、ご覧のように「マウントのネジ部内側に窪みがある特異な形状」です。同様右側も当時の「exaktaマウント規格」ですが「初期型のマウント設計」であり、この後に登場するマウント設計とは全く異なります。

・・従って当方ではこのモデルバリエーションこそが真の初期型と捉えています。

しかしこの欄 (上の一覧 色着色の欄) でもう一つの発見がありました。それは「ノンコーティングの個体が混在している不思議」です!(驚) これは実際にピックアップした個体の製造番号「3015xxx () 〜 3022xxx () 〜 3045xxx ()」或いは「3160xxx () 〜 3161xxx (無) 〜 3163xxx ()」のように前後に「」が居るのに、敢えてノンコーティングの個体を出荷しているのです (実際光学系はシングルコーティングの光彩を放っている)。

次に1950年〜1951年の出荷品をチェックすると (上の一覧 色着色の欄)、さらにその次の1953年中に出荷していた個体の仕様諸元 (上の一覧 色着色の欄) まで跨いで混在している事実です・・それを表す意味合いとして跨いでいる製造番号先頭3桁をオレンジ色文字としました。

しかも1952年中には左写真のような「長型」に筐体設計が大型化され、且つ「絞り環にライン/線状溝の刻印を伴う」特異な意匠で製産されました (上の一覧 色着色の欄)。

このように見ていくと、明らかに「製造番号のシリアル値を基にモデルの変遷としての新旧を区分けできない現実の壁に突き当たる」話しに至ります。

従って、当方ではこのような事実を基に「当時複数工場で増産体制を組み、異なる仕様諸元の設計を採りつつも事前割当制で製造番号を付番していた」とみています・・だからこそ、製造番号帯を跨いで異なる仕様諸元の個体が複数混在してしまうリアルに繋がっています。

これをもしも仮にCarl Zeiss Jenaの本体工場だけで「製産ラインを取っ替え引っ替え都度入れ替えて製産していた」或いは「複数の製産ラインで同時進行的に製産していた」とするなら「では何故設計まで変更した絞り環やヘリコイドをいちいち用意していたのか?」と言う大きな疑問の説明ができません。

なお、最後の欄 (上の一覧最後の白色欄) では「390xxxx 〜」以降その直前までの仕様諸元の個体が混在していない事も表していますから、これもまた想定外でした(驚)

【モデルバリエーション】
オレンジ色文字部分は最初に変更になった諸元を示しています。

1936年〜:シルバー鏡胴時代「戦前型」
コーティング層:シングルコーティング/モノコーティング
レンズ銘板:T刻印無し/有り混在
開放f値:f3.5/f2.8混在、絞り羽根枚数:14枚
筐体材質:真鍮製/アルミ合金製混在
絞り制御:手動絞り (実絞り)

1945年〜:シルバー鏡胴時代「戦後型」
コーティング層:シングルコーティング/モノコーティング
レンズ銘板:T刻印無し/有り、刻印混在
開放f値:f3.5/f2.8混在、絞り羽根枚数:14枚
筐体材質:真鍮製/アルミ合金製混在
絞り制御:手動絞り (実絞り)

1948年〜:シルバー鏡胴時代「初期型」
コーティング層:モノコーティング
レンズ銘板:T刻印無し/有り混在、絞り環にライン刻印有/無混在
開放f値:f3.5/f2.8混在、絞り羽根枚数:14枚
筐体材質:アルミ合金製のみ
絞り制御:プリセット絞り

1950年〜:シルバー鏡胴時代「前期型」
コーティング層:モノコーティング
レンズ銘板:T刻印無し/有り混在、絞り環にライン刻印無し
開放f値:f2.8のみ、絞り羽根枚数:14枚→12枚
筐体材質:アルミ合金製のみ
絞り制御:プリセット絞り

1955年〜:シルバー鏡胴時代「後期型」
コーティング層:モノコーティング
レンズ銘板:T刻印無し
開放f値:f2.8のみ、絞り羽根枚数:10枚8枚
筐体材質:アルミ合金製のみ
絞り制御:半自動絞り

1958年〜:グッタペルカ巻時代
コーティング層:モノコーティング
レンズ銘板:T刻印無し
開放f値:f2.8のみ、絞り羽根枚数:6枚5枚
筐体材質:アルミ合金製のみ
絞り制御:自動絞り

1966年〜:ゼブラ柄鏡胴時代
コーティング層:モノコーティング
レンズ銘板:T刻印無し
開放f値:f2.8のみ、絞り羽根枚数:5枚
筐体材質:アルミ合金製のみ
絞り制御:自動絞り

1978年1989年黒色鏡胴時代
コーティング層:モノコーティング
レンズ銘板:T刻印無し
開放f値:f2.8のみ、絞り羽根枚数:5枚
筐体材質:アルミ合金製のみ
絞り制御:自動絞り

【番外編】
※様々なフィルムカメラ用に供給されたモデルが他にも複数あります (以下一例)。

番外編:1952年〜:シルバー鏡胴時代
コーティング層:モノコーティング
レンズ銘板:T刻印有無混在
開放f値:f2.8のみ、絞り羽根枚数:8枚
筐体材質:アルミ合金製のみ
絞り制御:プリセット絞り

なお、当方は基本的に「極度のカメラ音痴」であり「光学知識も疎く」ここで述べている事柄
/内容はその多くに信憑性を伴わず、且つ当方自身の思い込みなども影響してネット上の様々なサイトとの比較には値しない事を事前に告知しておきます (それら比較元サイトのほうを正として捉えて下さいませ)。

従ってこのブログをご覧になりご不満や不快感を抱いた場合は平に附してお詫び申し上げますが、誹謗中傷メールを送信してくることだけはどうかご勘弁下さいませ。

ウソを拡散するような考えなど一切なく、合わせてヤフオク! での出品についても決して詐欺的商法など執る気持ちはなく、どのようなクレームにも必ず対応させて頂く所存です。

そしてこのブログも決してヤフオク! での出品商品を高く売らんが為に煽る目的で掲載しておらず、むしろ純粋にヤフオク! のようなオークションで単にご落札頂くよりも、さらに楽しくそのオールドレンズの素性を知る事ができる事を目指して、その目的にのみ限定してこのブログを添えている次第です (その他の他意は御座いません)。

今このブログをご覧頂いている皆様も、何かご指摘事項が御座いましたら以下までお知らせ下さいませ。

ご指摘事項は・・・・
   出品者のひとりごと・・・・pakira3kara@pakira3.sakura.ne.jp
までお知らせ下さいませ。

・・即座に改善/訂正致します。お手数おかけする事になり本当に申し訳御座いません。

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↑上の写真はFlickriverで、このオールドレンズの特徴的な実写をピックアップしてみました。
ピックアップした理由は撮影者/投稿者の撮影スキルの高さをリスペクトしているからです
(クリックすると撮影者投稿ページが別ページで表示されます)
※各写真の著作権/肖像権がそれぞれの投稿者に帰属しています/上記掲載写真はその引用で
転載ではありません。

一段目
左端からシャボン玉ボケが破綻して円形ボケへと滲んで溶けていく様をピックアップしています。シャボン玉ボケと言えば同じ旧東ドイツはMeyer-Optik Görlitz製オールドレンズの「3群3枚トリプレット型光学系構成」が吐き出す、大変美しくも繊細な細いエッジのシャボン玉ボケが有名ですが、意外にも3群4枚テッサー型構成でも表出が叶う良い例です。

しかし画の周辺域に行くに従い収差の影響と口径食により歪なカタチや汚く滲んだりしてしまいます。

また上のピックアップには含みませんでしたが、一部の実写で「シャボン玉ボケの中心部が濃く写って俗に玉ねぎボケ」と呼ばれているシャボン玉ボケの表出もありますが、例えば旧西ドイツはKilfitt Münchenが造っていた中望遠レンズMakro-Kilar 90mm/f2.8 のような明確に外殻直近に「まるで内殻のように濃さの異なる領域を伴う」ボケ方を指して「玉ねぎボケ」と定義しているので、単に中心部が少々濃いめに白っぽく写っていても「それは第3群貼り合わせレンズのバルサム切れの影響」と当方ではみています。

逆に言うなら真に光学系の設計上から「玉ねぎボケ」が表出するなら、それは二重に至らないシャボン玉ボケが写る写真は絶対に撮影できません。当然ながら「玉ねぎボケ」が収差の影響を受けたり滲んで溶けていく過程の中では明確な二重の領域に分かれない円形ボケにも至りますが、それでもよ〜く見ていくと「ちゃんと二重に写っている」のが分かるので、そういう円形ボケを「玉ねぎボケ」と捉えています。

二段目
この段ではピント面の発色性と鋭さを見る為にピックアップしています。開放f値が「f3.5」と余裕を持たせてある分、ギラギラに誇張せず、且つギリギリまで色飽和に耐えて、よくぞ頑張っているなと感心です(笑) 特に合焦位置のピントの鋭さ感は相当なレベルで、逆に指摘するなら後の時代のテッサーも出るになるとピント面の周辺も端正に映してくる為に、むしろピント面の鋭さ感の強調が薄れてしまったとも考えられます。

・・その意味で誇張的とも受け取られるギリギリで踏ん張っている鋭さが健気です(涙)

三段目
この段こそが当方の琴線に触れまくりでビンビン来てしまったピックアップ写真です(笑) どうしても当方はこのような「空気まで写し込んでしまう立体的でリアルな距離感を内包する写り」に滅法弱いです(笑) 当方ではこの要素を「空気感の表現性」として一つの重要要素に捉えています。光学知識が皆無なので、いったいどのような条件が光学系の設計に揃えば「空気まで撮れる」のか全く分かりませんが、思うにピント面の背景の「ボケ味にその秘密が隠されている」ようにも思えます。それに合わせて「ビミョ〜な光加減の調和/バランス」みたいなのが伴うと、白黒写真でも絶妙な立体感が備わります・・驚異的です!(驚)

四段目
この段では被写体の材質感や素材感を写し込む質感表現能力の高さについてピックアップしています。参考になるような写真数が少ないので今二つくらいの勢いで納得できていませんが、確かにピント面の鋭さこそが大前提としても、合わせてこのモデルでは「やはりターゲットは白黒写真時代としてのグレースケールの世界観」との受け取り方が拭えません。逆に言うなら、白黒写真になるとガラッとダイナミックレンジが広がり明暗部の潰れ耐性まで向上するから素晴らしいのです。

五段目
この段では明暗部の耐性と共にグラデーションの滑らかさをチェックしていますが、やはり写真数が少なすぎてよく分かりません。或いは前述のとおりカラー成分で捉えようとするとこのモデルの光学設計にはまだムリがあるのかも知れません (白黒写真になるとメッキリ色っぽさが増して魅力的)。

光学系は言わずと知れた3群4枚のテッサー型構成ですが、これを指して「3枚玉」と表現しているプロの写真家が居るのでちょっと閉口です(笑)

それはともかく、右構成図はどこから持ってきたのかネット上でチェックできる唯一の「刻印付テッサーf3.5モデル」の構成図ですが、どう考えても最短撮影距離が「70cm」と長いので違うような気がしてなりません。

一方右構成図は今回のオーバーホールで完全解体した際に光学系の清掃時、当方の手によりデジタルノギスを使い逐一全ての群の光学硝子レンズを計測したトレース図です。

見れば一目瞭然ですが、各群間の距離までキッチリ計測してトレースしたので、前述の構成図とは別モノです(笑) 絞り羽根の格納位置も前述の構成図とは違うので (後群側直前が正しい) なかなかネット上の構成図を鵜呑みにできません(泣)

なお今回の個体は距離環に刻印の距離指標値が「feet表記」なので、1952年当時の欧米向け輸出品だった事が分かります (指向国向けに従いfeet刻印とmeter刻印の距離環指標値を入れ替えていた内部構造に敢えて設計されているから)。

逆に言うなら「feet/meter併記」ではない設計なのが完全解体で分かった次第です(笑)

オーバーホールのため解体した後、組み立てていく工程写真を解説を交え掲載していきます。すべて解体したパーツの全景写真です。

↑ここからは解体したパーツを使って実際に組み立てていく工程に入ります。内部構造は冒頭で解説したとおり、当時この後すぐに登場する「長型」とは基本的な設計概念が全く違います。

今回の個体は冒頭の一覧で「 色着色の欄」に含まれている仕様諸元なので、いわゆる戦後に登場した「パンケーキレンズ」タイプのテッサーとしては最後期に生産されていた位置付けとも言えます。その意味で内部構造面からも最も洗練され、且つ合理的に設計されていると言えますが、時代の潮流の要求から「最短撮影距離の短縮化と更なる解像度の向上に収差の改善」に従い、次の世代たる「 色着色の欄たる長型への変遷」なのが納得できます。

今回完全解体して判明したのは「一番最初にシルバー鏡胴時代を最後に消滅し消えていった製産工場」で造られていた事が分かりました。これは当方が独自に定義している「内部構成パーツのメッキ塗色の相違から初期段階は3つの製産工場が稼働していた」との捉え方から来ます。

【戦後Carl Zeiss Jenaの増産体制を支えた工場】
※あくまでも当方の捉え方からの定義です。
オリーブ色メッキ塗色の製産工場:シルバー鏡胴時代を最後に消滅
ライトブル〜色メッキ塗色の製産工場:シルバー鏡胴〜ゼブラ柄鏡胴時代を最後に消滅
パープル色メッキ塗色の製産工場:シルバー鏡胴〜黒色鏡胴の最後まで製産した母体工場

このように戦後の旧東ドイツを代表する巨大企業 (1989年のベルリンの壁崩壊事件勃発時の従業員数4万4千人と光学製品の企業体の中で当時最大規模) だったCarl Zeiss Jenaは、戦後の旧東ドイツを支えた数多くの主要光学メーカーを次第に傘下に吸収合併しつつ、それら製産工場を「増産体制の外部工場として組み入れていった」との認識です。

すると最初期からパープル色のメッキ塗色の構成パーツだったCarl Zeiss Jenaの母体工場は複数の製産ラインを持つ巨大工場だとしても、その一部のパーツは (例えば鏡筒を含む光学硝子レンズ格納筒など) が戦後の早い時期から他の外部工場群に供給していたとの推定にも成り立ちます。

逆に今回の個体のように「光学硝子レンズの格納筒だけがライトブル〜のメッキ塗色」だったことから「光学系の設計だけが の製産工場からの供給」だった可能性も見えてきています。その一方で今回の個体はほぼ全ての構成パーツが「オリーブ色のメッキ塗色」なので、この後の時代に登場した「ゼブラ柄モデルの時代」には消滅していた工場だったと言う仮説も説得力が増し辻褄が合います。

このように内部構成パーツのメッキ塗色から捉えた考え方でモデルバリエーションを捉えるなら、このブログで何度も執拗に述べていますが「本体の母体工場で外注委託の構成パーツのみメッキ塗色を替えていた」と仮定するなら「ではなぜメッキ塗色の相違だけに限らず設計まで変更していたのか?」の説明が成り立たないのです。

仮に複数の製産ラインで (増産体制として) 並行生産するにも、外注委託パーツを増やしてその目安として「メッキ塗色を変更する手法」は容易に考えられますが、内部構造と制御系の設計までガラッと変更してしまう理由を説明できません(泣)

敢えてどうして複雑化していたのか? 或いは合理的な設計のパープル色のメッキ塗色構成パーツが顕在するのに、どうしてそれを敢えて使わない設計に固執したのか? そのような細かい部分での説明が成り立たないのです。

この疑問を以前取材した金属加工会社の社長さんにぶつけたところ、いとも簡単に一言「それは外部工場に設計を任せていたからだ」と返ってきて、目から鱗だったのを覚えています(笑) その理由も至極納得いくもので「吸収合併したメーカーの工場設備をそのまま効率良く転用するなら機械設備を変更せず (買わせず) に設計を任せれば良い」のは摂理に適う話だからです。何故なら、そもそもそれら吸収合併して傘下に加えてきた競合光学メーカーは「経営難から吸収されていった」点まで思いを至らせれば、ワザワザ高額なCarl Zeiss Jena本体工場設備と同じ機械設備を購入する余裕は既に逸していたとも考えられるからです。

従って「外観の筐体意匠だけはそっくりなのに内部構造が全く別モノ」の理由すら説得力を増すので、当方は当時のCarl Zeiss Jenaは「増産体制の構築手法の一つとして外部委託工場に設計を一任していた」と言うのが現在の当方の捉え方です。

・・この捉え方は当時のロシアンレンズの複数工場での供給が大きなヒントになった!

ことを合わせて説明しておきます。何故なら、当時旧東ドイツの産業工業は「当時のソビエト連邦と同じ産業工業5カ年計画に基づく体制を採っていた」からこそであり、その根底には「社会主義体制国家」であり、且つ同時に「戦後の東西ドイツ分断/占領統治」から端を発する国を挙げての仕組みの相違とも繋がっているからなのです。

ロシアンレンズでは製産工場を明示する「製産工場のロゴ刻印」が義務づけられていて、同一モデル銘を採りながらも、筐体外観意匠も内部構造/設計も全くの別モノというオールドレンズが複数顕在しています (或いはマウント規格の違いで製産工場が違っていたりする)。

・・どうして同じ体制を強いられていた旧東ドイツにそれを適用しない手があるでしょうか?

このように「旧東ドイツの国家体制から見たCarl Zeiss Jenaの捉え方」について解説してくれているネット上のサイトが一つもありません(泣)

さらに付け加えるなら、当時の旧東ドイツ「産業工業5カ年計画」の変遷を調査した際、その光学分野の筆頭ポジションにCarl Zeiss Jenaが君臨した時 (一覧にCarl Zeiss Jena銘が初めて現れた時) その配下に「PENTACON」が直属で位置し、且つさらにそこから細分化された組織体系を採っていたのを発見してようやくこれらの認識/定義が完成した次第です (旧東ドイツの産業工業体制の研究者論文から/オールドレンズの研究者ではありません)。

従ってその研究者の論文から、当時様々な産業工業の分野別にとても近似した製産体制を確立していたのを初めて知りました。また旧ソ連邦と同じ「国家産業工業5カ年計画」を連動して執っていながら、実は当時の旧東ドイツの経済状況が悪化の一途を辿り (例えばベルリンの壁は1961年に戦後からの亡命者がピークを迎えたのを防げずに敷設が始まった経緯がある/それまでは有刺鉄線と監視所/検問所だけだった) 5年間を違えて3年間で一旦区切り、新たに7年計画に変更したりなど苦心していたのが伺えます (現実が目標から乖離しすぎていた)。

すると例えば農業分野に附随するが如く「トラクターの製産体制などの見直し」などが執られ (つまり工業分野まで影響を来している現実)、且つその増産体制 (市場価格の低下) vs利益確保 (企業収益の悪化) を見合わせつつ国家計画の見直しに迫られていたのも良い例になります。

詰まるところ社会主義体制国家なので「私企業」の概念が存在せず、全ての企業は「VEB (人民所有企業)」を最小単位として定義づけられ、合わせてその企業収益の吸い上げから人民給与が確定していく流れをみるにつけ、組織体系の重要性と共に「政治委員会」との関係製等まで含め巨大に体系として旧ソ連邦を倣っていたのが勉強になりました。

ちなみに「VEBVolks-eigener Betrieb (フォルクス・アイゲ(グ)ナー・ヴィトゥリーブ)」の頭文字で、そのまま直訳和訳にすると「公営企業」になってしまいますが、実は専門研究者の論文では「人民所有企業」とするのが常識のようです。

従って巷でさんざん使われている「人民公社」との呼称は、少なくとも旧東ドイツの企業体系には該当せず「あくまでも当時の中国を対象とした呼び方」である点をこのブログでも執拗に述べ続けています(笑) 何故なら、その研究者の論文内には「人民公社」の文字も概念も一切存在せず (人民公社の説明すら無い)、そもそも専門分野にとりその呼称はそれぞれの国に適合した当時の呼ばれ方であるべきとの認識が真っ当な話だとの考えです。

・・従って巷で頻繁に使う「人民公社」呼称は当方は旧東ドイツ企業に対し使用しません(笑)

↑絞りユニットや光学系前後群を格納する鏡筒です。ご覧のとおり前述した「オリープ色のメッキ塗色」なのが分かります。

例えば後の時代にはこの鏡筒は「パープル色のメッキ塗色に集約していった」のを知っているので (自分で完全解体しているから)(笑)、Carl Zeiss Jena母体工場から供給を受けながらも、その他の内部構造は一任されていた・・だから同一モデル銘なのに内部構造の設計が異なっている・・のも自分なりに至極納得できた次第です(笑)

・・シルバー鏡胴時代を最後に消滅/潰えていった工場で作られた涙を誘う個体です!(涙)

その従業員のいったい何パーセントが引き続きCarl Zeiss Jenaグループに残り続けられたのかと、自らのリストラ経験を重ね合わせると何とも辛い気持ちがわき上がります(涙)

絞り羽根には表裏に「キー」と言う金属製突起棒が打ち込まれており (オールドレンズの中にはキーではなく穴が空いている場合や羽根の場合もある) その「キー」に役目が備わっています (必ず2種類の役目がある)。製産時点でこの「キー」は垂直状態で打ち込まれています。

位置決めキー
位置決め環」に刺さり絞り羽根の格納位置 (軸として機能する位置) を決めている役目のキー

開閉キー
開閉環」に刺さり絞り環操作に連動して絞り羽根の角度を変化させる役目のキー

位置決め環
絞り羽根の格納位置を確定させる「位置決めキー」が刺さる環 (リング/輪っか)

開閉環
絞り羽根の開閉角度を制御するために絞り環操作と連動して同時に回転する環

↑モデルバリエーションで言う処の「戦後型」なので、ご覧のように14枚もの絞り羽根で完璧で美しい「真円の円形絞り」が適います(涙)

↑完成した鏡筒を立てて撮影しました。写真上方向が前玉側方向にあたりますが、実はフィルター枠直下の「黒色に塗られている箇所」が見えますが、ここは「溶剤で拭っても一切溶けずに落ちなかった」事からも「製産時点にちゃんと黒色メッキ加工されていた」のが歴然です。

・・完全解体する事で、どうでも良い話ですが製産ラインの一部が垣間見えてきます(涙)

せっかくオールドレンズをバラすのなら、せめてそのようなロマンまで含め知る事で「自らの所有欲をより多く充たす一因に繋げていく」のもアリではないかと、思ったりします(笑)

・・だからオールドレンズは楽しいのです!(笑)

↑この鏡筒には上の写真のような「距離環用ベース環」と「絞り環用ベース環」の2つのベース環がネジ込まれます。

上の写真では過去メンテナンス時に用意された/所為された「イモネジ用の下穴」の痕跡を指し示しています。ちゃんとドリルを使って穴開けしているのがグリーンの矢印で、下穴を用意せずそのままイモネジの先端の尖りが痕を付けた箇所をブルーの矢印で指し示しています。

するとここから見えてくる過去メンテナンスの回数が掴めます(笑) ヘリコイド (オスメス) を外してグリースの入れ替えを行った過去メンテナンスが「最低でも5回在る」のに対し、絞り環をバラさずに整備した (つまり鏡胴前部をゴッソリ外した) 過去メンテナンスは「4回だった」事が判明します(笑)

つまり距離環側 (ヘリコイドオスメス側) を主体的にバラしてメンテナンスしていると言う事は「グリースの入れ替えも然ることながら無限遠位置が違っていた可能性が高い」ので、マウント規格が「exaktaマウント」である以上、最低でも2種類のフランジバックが顕在するので、それに対応してきた過去メンテナンスが見えてきます (Kine-Exakta時代と後のVarexシリーズの時代)(笑)

もちろんこれらの痕跡の中で「正しく製産時点に用意されていた下穴は1つだけ」なのは自明の理です(笑)

↑まずは「絞り環用ベース環」をネジ込みます。最後までネジ込んでしまうと絞り環操作時のトルクを軽く仕上げられません(泣)

鏡筒外壁下部にはヘリコイド (オス側) のネジ山が切削され (赤色矢印)、合わせて両サイドに「直進キーガイド」の溝が用意され (グリーンの矢印)、そこを「直進キー」が行ったり来たり上下動するので「鏡筒の繰り出し/収納が適う」原理ですね(笑)

直進キー
距離環を回す「回転するチカラ」を鏡筒が前後動する「直進するチカラ」に変換する役目

↑次に基準「」マーカーが刻印されている指標値環をセットしますが (ブルーの矢印)、この基準マーカーはマウント部から一貫してその位置は特定箇所「一箇所」しかあり得ません。

すると必然的に絞り環のネジ込み量まで決まってくるので「製産時点に限りなく近づけるオーバーホールを施したのか否か」が問われる話に至り、巷で流行っている「バラして逆手順で組み上げる整備」と言う低俗な整備レベルとは全く違いますね(笑)

↑当然ながらこんな感じでピタリと絞り環の位置が合致してきます (赤色矢印)(笑)

もちろん絞り環を回すトルクまでご依頼者様が操作した時に気持ち良くイジれるよう配慮して(笑)、今回のオーバーホールでは「敢えてトルクを与えてスカスカ感を一掃している」次第ですが、そういう心配りすら「所有欲を充たす材料になり得る」のは至極納得できるところだと思います(笑)

↑光学系前群を組み込んだところです。「刻印」がアポクロマートレンズである事を誇らしげに明示してくれます(涙)

↑後群側もセットしました。「オリーブ色メッキ塗色」なのが歴然です(涙)

↑鏡胴「前部」が完成したので、ここからは鏡胴「後部」の組み立て工程に入りますが、鏡胴「後部」はヘリコイド (オスメス) しか存在しないのでとても簡単です (上の写真は指標値も兼ねるマウント部兼基台)(笑)

↑ヘリコイド (オスメス) にはご覧のように「被せる距離環 (左)」と「制限環 (右)」と言う環/リング/輪っかが存在します (赤色文字)。それぞれに「制限壁」と言う壁が附随し、これらが互いにカツンカツンと突き当たるので「無限遠位置と反対の最短撮影距離位置の両方で突き当て停止する」原理ですね (グリーンの矢印)(笑)

↑距離環 (ヘリコイドメス側) を無限遠位置のアタリを付けた正しいポジションでセットし、この後は完成している鏡胴「前部」をネジ込んで無限遠位置確認・光軸確認・絞り羽根開閉幅の確認 (解説:無限遠位置確認・光軸確認・絞り羽根開閉幅確認についてで解説しています) をそれぞれ執り行えば完成です。

DOHヘッダー

ここからはオーバーホールが完了したオールドレンズの写真になります。

↑完璧なオーバーホールが終わりました。しかも前述のとおり「限りなく製産時点に近づけた正しいポジションで全ての部位を組み上げ/微調整を施した逸品」として仕上がっているのが・・当然ながら当方のオーバーホールですから、市場流通している個体とは例えば「フィルター枠部分の飛び出し方/量が違う」のは自明の理です(笑)

・・何故なら積み重ね式の設計なので全ての部位の固定位置がズレるから(笑)

逆に言うと「バラして時の逆手順でしか組み上げていない低俗な整備レベル」だと(笑)、前述のように下穴の位置が狂うので、過去メンテナンス時にたくさん穴開けしないとイケナイ話に至ってしまうのも納得できますね・・と言うことです(笑)

↑光学系内の透明度が非常に高い状態を維持した個体です。残念ながら前玉の一部にカビがコーティング層まで侵食していましたが (従ってカビ除去痕が残っている) コーティング層も剥がれています (カビ菌は専用の薬剤で完全除去済)。内部に幾つかの「気泡」が残っています。

気泡
光学硝子材精製時に、適正な高温度帯に一定時間到達し続け維持していたことを示す「」と捉えていたので、当時の光学メーカーは正常品として「気泡」を含む個体を出荷していました (写真に影響なし)。

↑光学系後群もカビ除去痕が僅かに残っています。前述した「直進キー」が両サイドにセットされています (グリーンの矢印)。毎度の事ですが、当方はこの「直進キー」にはそのガイドも含め一切グリースを塗布していません (そういう原理だから塗布する必要が本来存在しない)(笑)

・・こういうお話しは以前の取材時にちゃんと専業のプロ (社長さん) に確認済です(笑)

光学系内の「気泡」や経年に伴う「点キズ」がどうして残るのかなどの話も、以前の取材時にちゃんと伺っているので逐一因果関係がありますね。「カビ除去痕」も含めその多くが「経年の湿気/水分/結露」からの影響なので、なかなか「」と言うのは様々な金属に対し非情に強力な影響をもたらします(泣)

↑14枚の絞り羽根もキレイになり、絞り環共々確実に駆動しています。絞り羽根が閉じる際は「完璧にキレイな真円の円形絞り値を維持」しながら閉じていきます。

ここからは鏡胴の写真になりますが、経年の使用感が僅かに感じられるものの当方にて筐体外装の「磨きいれ」を施したので大変落ち着いた美しい仕上がりになっています。「エイジング処理済」なのですぐに酸化/腐食/錆びが生じたりしません。

当方ではヤフオク! で流行っている「抗菌剤/除菌剤による清掃」などは絶対に実施しません。これをやると薬剤に含まれている成分の一部が金属の表層面に対して酸化/腐食/錆びを促す結果に至るので、早ければ1年、遅くとも数年でポツポツと錆が表れ始めます。

詳細は厚労省の「新型コロナウイルスの消毒・除菌方法について」が詳しく解説しています。

↑塗布したヘリコイドグリースは「黄褐色系グリース」を使い「普通」程度のトルク感、人により「重め」の印象です。

↑基準「」マーカーに対し「絞り環の位置」が上の写真のようになります。指標値環の基準「」マーカー (グリーンの矢印) と絞り環用基準「」マーカー (ブルーの矢印) の位置は互いにピタリと一致しますが、一方「絞り環の開放時はだいぶ離れた位置」になります (赤色矢印)。

もちろんこの時 (上の写真の位置の場合) 絞り環がカツンと音が聞こえて停止している「完全開放状態」です。

↑絞り環操作は無段階式 (実絞り) 式なのでクリック感を伴いませんが、上の写真のように「仕様上の開放f値たるf3.5」に到達した際、絞り環用基準「」マーカー (ブルーの矢印) に「f3.5刻印が合致」した時 (赤色矢印)「光学系内を覗き込むと極僅かに絞り羽根が顔出ししている状態」に閉じます。

これが簡易検査具でちゃんと調べた時の「開放f値f3.5の状態」なので、完全開放時に絞り環がカツンと突き当て停止した時「完全開放している」のが適切とは限りません。

↑その一方でご覧のように「最小絞り値f22」の時は (赤色矢印)、ピタリと刻印が絞り環用基準「」マーカー (ブルーの矢印) いちに合致して停止します。そしてこの時の絞り羽根の閉じ具合が「まさにf22の開口部の大きさ/カタチ/入射光量に合致」なのも、ちゃんと簡易検査具で確認済です(笑)

細かい話ですが、こう言う事柄にはちゃんと「原理原則」を伴うので「観察と考察」ができていれば、単にバラした時の逆手順で組み戻せば適切に仕上がっているとは言い切れません(笑) そのような部分に「設計の相違」が反映されるので、完全解体すれば過去メンテナンス時に微調整など、ちゃんと仕上げられているのかが白日の下に曝されますね(笑)

無限遠位置 (当初バラす前の位置に合致/僅かなオーバーインフ状態)、光軸 (偏心含む) 確認や絞り羽根の開閉幅 (開口部/入射光量) と絞り環絞り値との整合性を簡易検査具で確認済です。

もちろん光学系の光路長調整もキッチリ行ったので (簡易検査具によるチェックなので0.1mm単位や10倍の精度ではありません)、以下実写のとおり大変鋭いピント面を確保できました。電子検査機械を使ったチェックを期待される方は、是非ともプロのカメラ店様や修理専門会社様が手掛けたオールドレンズを手に入れて下さい当方の技術スキルは低いのでご期待には応えられません

↑当レンズによる最短撮影距離70cm附近での開放実写です。ピントはミニカーの手前側ヘッドライトの本当に「球部分」にしかピントが合っていません (このミニカーはラジコンカーなのでヘッドライトが点灯します)。カメラボディ側オート・ホワイト・バランス設定はOFFです。

各絞り値での「被写界深度の変化」をご確認頂く為に、ワザと故意にピントはミニカーの手前側ヘッドライトの本当に電球部分に合わせています。決して「前ピン」で撮っているワケではありませんし、光学系光学硝子レンズの格納位置や向きを間違えたりしている結果の描写でもありません (そんな事は組み立て工程の中で当然ながら判明します/簡易検査具で確認もして います)。またフード未装着なので場合によってはフレア気味だったりします。

↑絞り環を回して設定絞り値「f4」で撮影しています。

↑さらに回してf値「f5.6」での撮影です。

↑f値は「f8」に上がっています。

↑f値「f11」になりました。

↑f値「f16」です。もうほとんど絞り羽根が閉じきっていますが、まだまだピント面の解像度低下は微々たるもので「回折現象」の影響をこの写真から感じ取るのは難しいかも知れませんね(笑)

 回折現象
入射光は波動 (波長) なので光が直進する時に障害物 (ここでは絞り羽根) に遮られるとその背後に回り込む現象を指します。例えば、音が塀の向こう側に届くのも回折現象の影響です。
入射光が絞りユニットを通過する際、絞り羽根の背後 (裏面) に回り込んだ光が撮像素子まで届かなくなる為に解像度やコントラスト低下が発生し、眠い画質に堕ちてしまいます。この現象は、絞り径を小さくする(絞り値を大きくする)ほど顕著に表れる特性があります。

被写界深度
被写体にピントを合わせた部分の前後 (奥行き/手前方向) でギリギリ合焦しているように見える範囲 (ピントが鋭く感じる範囲) を指し、レンズの焦点距離と被写体との実距離、及び設定絞り値との関係で変化する。設定絞り値が小さい (少ない) ほど被写界深度は浅い (狭い) 範囲になり、大きくなるほど被写界深度は深く (広く) なる。

焦点移動
光学硝子レンズの設計や硝子材に於ける収差、特に球面収差の影響によりピント面の合焦位置から絞り値の変動 (絞り値の増大) に従い位置がズレていく事を指す。

↑最小絞り値「f22」での撮影です。

今回のオーバーホール/修理ご依頼、真にありがとう御座いました。引き続き次のオールドレンズの作業に入ります。