◎ ARSENAL (アルセナール工場) ARSAT H 50mm/f1.4(NF)
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今回の掲載はオーバーホール/修理ご依頼分のオールドレンズに関する、ご依頼者様へのご案内ですのでヤフオク! に出品している商品ではありません。写真付の解説のほうが分かり易いこともありますが、今回に関しては当方での扱いが初めてのモデルでしたので、当方の記録としての意味合いもあり無料で掲載しています (オーバーホール/修理の全工程の写真掲載/解説は有料です)。オールドレンズの製造番号部分は画像編集ソフトで加工し消しています。
今回オーバーホール/修理を承ったモデルは、ウクライナの首都Kiev (キエフ) にあるARSENAL工場で、1985年から生産が始まったNikon Fマウント互換のフィルムカメラ「Kiev-19」(〜1991年) のセット用標準レンズとして用意された「HELIOS-81 50mm/f1.4」の後継になり、1991年から登場した「Kiev-19M」(〜2008年) にセットされていた『ARSAT H 50mm/f1.4 (NF)』です。
旧ソ連時代に生産されていたモデル「HELIOS-81M 50mm/f1.4」は、後に「MC HELIOS-123N」とモデル銘を替えていますが、旧ソ連崩壊後に今回のモデル『ARSAT H 50mm/f1.4 (NF)』に引き継いでいます。ちなみに、ロシア語 (キリル文字) でアルセナール工場を表すと「ЗАВОД АРСЕНАЛ 」ですが、そのままラテン語表記すると「ZAVOD ARSENAL」になります。そしてアルセナール工場の略称は「ARS」なのでモデル銘の「ARSAT」はアルセナール工場製を表しているとのことですが、よく分かりません (ARSまでは正しいようです)。
【モデルの変遷】
開放F値「f1.4」のモデルの写真が見つからないので「f2.0」のタイプで説明していきます。当初1985年当時に生産されていたモデルのレンズ銘板は、左の写真 (ロシア語のキリル文字刻印) のようになっており、そのままラテン語表記すると「HELIOS-81 50mm/f2」になりますが「ABTOMAT」と言う刻印が附随しています・・翻訳すると「automatic」になります。
次に登場するのが、同じくラテン語表記すると「HELIOS-81M 50mm/f2」ですが「M」が附随するのにマウントはNikon Fマウントのままです。同じヘリオスでも「M42」マウントの「HELIOS-44M」などの「M」とは違うようで複雑ですね・・。
そして、旧ソ連時代の最後に生産されていたモデルが左の写真で「MC HELIOS-81H 50mm/f2」となり、やはりNikon Fマウントです。レンズ銘板がロシア語のキリル文字刻印ですから、そのままラテン語表記にして「MS HELIOS-81N 50mm/f2」と言う案内でネット上には照会されていることもあるので、なかなか難しいです。
光学系は6群7枚の拡張ウルトロン型になり、光学系前群の「第2群〜第3群」は貼り合わせレンズ (2枚の光学硝子レンズを接着剤を使って貼り合わせてひとつにしたレンズ群) ではなく「空気レンズ」を含んだ独立した3枚の設計を採っています。元々がCarl Zeiss JenaのPlanar 50mm/f1.4の光学系を参考にしているので近似した設計です。
当時のガイドブックを見ると「MC HELIOS-123 50mm/f1.4」の写真が載っています・・”Manufacturing Union Aresenal Factory Objective”、”Photographic ARSAT H 50mm/f1.4 Guide by Expressions”
オーバーホールのため解体した後、組み立てていく工程写真を解説を交え掲載していきます。すべて解体したパーツの全景写真です。
↑ここからは解体したパーツを使って実際に組み立てていく工程に入ります。HELIOSシリーズの後継だけあって、光学系内の各硝子レンズが「バラバラと積み上げ式」になっています・・普通、一般的なオールドレンズでは、各硝子レンズは必ず「固定環」でそれぞれの位置に締め付け固定されるのですが、ロシアンレンズの特にHELIOSシリーズでは「前玉固定用」と「後玉固定用」の2つしか固定環が存在せず、他は単に積み重ねて入れるだけと言う、少々心配になりそうなくらいにアバウトな設計です(笑)
↑絞りユニットや光学系前後群を格納する鏡筒です。このモデルではヘリコイド (オス側) は独立しており別に存在します。
↑今回のご依頼内容のひとつ「絞り羽根が開放にならない」と言う現象を当初バラす前のチェックで確認しましたが、そもそもこのモデルの絞りユニットの構造を理解しないまま過去にメンテナンスが施されているようです。
このモデルでは、絞りユニットの固定をイモネジ (ネジ頭が無くネジ部にいきなりマイナスの切り込みを入れたネジ種) 3本で締め付け固定しますが、このイモネジ3本をよ〜く観察すると「長:1本」と「短:2本」であることが分かります・・にも拘わらず、過去のメンテナンス時にはイモネジをデタラメに使っていたようです (つまり絞りユニットが適正に固定されていなかった)。
長いイモネジ1本だけが、絞りユニットに用意されている極小さな「溝」まで到達するように締め付け固定しなければイケマセン。それがチグハグな場所に使っていたので絞りユニットは正しい位置に居ませんでした・・結果、開放まで絞り羽根が開ききらない状態に陥っていました。
↑この状態で鏡筒を立てて撮影しました。マウント面に絞り連動レバーが1つあるだけの簡単な構造ですから、必然的に鏡筒の裏側も「絞り羽根開閉アーム」が1本飛び出ているだけの簡素な設計です。ご覧のように、鏡筒の外周りにイモネジ (3本) を締め付けるように設計されています。
一般的なオールドレンズで、イモネジを使う理由/目的は以下になります。
- 環 (リング/輪っか) の固定に際し微調整を伴う場合。
- マチ (隙間) を用意せずにパーツ自体の固定位置で微調整を行う場合。
微調整せずに純粋にパーツの固定だけを目的とするならば、皿ネジや丸頭ネジなどで直接締め付け固定してしまえば良いワケですから、イモネジで固定されていたら微調整を疑わなければイケマセン。
↑過去のメンテナンス時には、このモデルの「組み立て手順」を全く考えずに行き当たりばったりで組み上げてしまったのだと思います。上の写真はヘリコイド部の基台になります。
↑ヘリコイド (メス側) を無限遠位置のアタリを付けた場所までネジ込みます。当初バラす前の実写では、ご依頼内容のひとつである無限遠が出ていない (合焦していない) ことを確認しました。この根本原因が、まずはここの工程です・・停止位置をミスっていたようですね。
↑ここまでは、特に問題無く正しい組み立て手順に則り進めるだけでOKでしたが、ここで問題が発生しました。
上の写真は「直進キー」と言う板状のパーツを撮影していますが (平坦なところに寝かせて撮っている)、過去にムリなチカラで距離環を回してしまったようで、平 (たいら) でなければイケナイ板状の部分が上の写真のグリーンの矢印のように捻れています。このようなカタチに変形してしまう大抵の原因は、距離環をムリに回したか、或いは解体しようとしてフィルター枠から続く鏡筒カバー部分をムリに回してしまったか・・です。すべてのムリなチカラは最終的にこの「直進キー」に集中しますから、このように捻れてしまったり、最悪の場合直進キーが折れてしまうこともあります。
そもそも、「直進キー」は距離環を回す「回転するチカラ」を鏡筒が前後動する「直進するチカラ」に変換する役目のパーツですから、変形したことで距離環を回す際のトルクムラが発生してしまいます。
↑実際に「直進キー」が、どのようにヘリコイド (オス側) に刺さっているのかを、直進キーを差し込んで撮影しました。直進キーは両サイドに1本ずつ刺さるので (オールドレンズによっては1本の場合もあり)、ヘリコイド (オス側) には必ず直進キーがスライドするガイドである「溝」が用意されています。その「ガイド (溝)」に対して変形してしまった直進キーは捻れた分の角度が付いてしまいますから、必然的に擦れる抵抗 (負荷/摩擦) が増大してしまい、結果として距離環を回す際のトルクムラ、ひいては「重いトルク感」に至るワケです。
ここが皆さんがよく勘違い (思い込み) している問題です。距離環を回す際のトルク感は「ヘリコイド・グリース」を入れ替えれば改善できると考えている方が非常に多いのですが、実際はヘリコイド・グリースだけの問題ではなく、このような他のパーツとの関係も影響してきます。
↑ヘリコイド (オス側) を、やはり無限遠位置のアタリを付けた正しいポジションでネジ込みます。このモデルでは全部で9箇所のネジ込み位置があるので、さすがにここをミスると最後に無限遠が出ず (合焦せず) 再びバラしてここまで戻るハメに陥ります。
距離環はヘリコイド (メス側) のほうに固定されますから「距離環を回す=ヘリコイド (メス側) が回る」と言う動きになります。結果、架けたチカラは「直進キー」によって伝達の方向を変えてヘリコイド (オス側) の繰り出しや収納のチカラとして伝わっていくワケですね。従って、ヘリコイド・グリースだけでトルク感を改善しようとしてもダメな場合があることを是非ご理解頂きたいと思います。
↑実際にヘリコイド (オスメス) に対して「直進キー」がどのように刺さっているのかを示した写真です。上の写真をご覧頂くと分かりますが、当方のオーバーホールでは「直進キー」にグリースを塗りません。ところが、ほぼ90%以上の確率で、オールドレンズをバラすと過去のメンテナンス時に「直進キー」やガイド (溝) にまでビッチリとグリースが塗られています。「原理原則」を知っているからこそ「直進キー」やガイド (溝) にグリースを塗って、少しでも抵抗 (負荷/摩擦) の無い状態にしようと言う考えだと思いますが、塗ったグリースは全く意味を成さないまま、そのまま残っています(笑)
「直進キー」は、架けたチカラの方向を変えて伝達させる役目のパーツですが、架かったチカラは、この「直進キー」の場所に留まりません。チカラは方向を変えて、そのまますぐに伝わってしまうので「直進キー」にグリースを塗る必要性が全く無いのです・・実際、ワンオーナー品であるオールドレンズをバラせば、生産時のままの「直進キー」を見ることができますが、グリースは塗られていません。つまりは、過去のメンテナンスを施した人の思い込みで塗っているだけと言うことになりますね。
↑距離環にイモネジ (3本) を締め付けて仮止めします。当初バラした時に、3本のうち1本が内部で折れて潰れていました。この距離環を外さないとヘリコイドにアクセスできないので、仕方なくドリルでイモネジを切削しました。組み立て工程では3箇所から均等に距離環を締め付けしなければトルクムラの原因になり兼ねません・・代用ネジを1本調達しましたのでご報告しておきます。
↑指標値環をセットします。清掃時に指標値環や距離環の刻印文字が褪色してしまったので、当方にて着色しています。
↑距離環やマウント部を組み付けるための基台です。前の工程までがヘリコイド部になりますから、ここからが鏡胴の後半部分と言うワケです。
↑基台の内側には「絞り連動レバー環」が入るので、その鋼球ボール部分を組み込んでいる写真です。この「絞り連動レバー環」は基台の内径よりも僅かに小さいので、スポンと抜け落ちてしまいます・・つまり鋼球ボールの半径分の出っ張りだけで中空に保持されている仕組みで「絞り連動レバー環」がクルクルと回っているワケです。上の写真では、解説用に2個だけ鋼球ボールをセットしてありますが、全部で10個の鋼球ボールを組み込みます。この鋼球ボールの「半径分」だけで浮かせた状態で「絞り連動レバー環」を固定するのが大変厄介です。鋼球ボールはたったの1mm径なので、落とすとなかなか見つかりません(笑) 今回バラしたところ、真鍮環が錆びついていたので解体して清掃した次第です。
↑完成した「絞り連動レバー環」を撮っています。こんな感じで様々な微調整を施した状態で各パーツがセットされます。それぞれのパーツの微調整がひとつでも狂うと、例えば絞り環のクリック感環が指標値と一致しなかったり、或いは絞り羽根の開閉が適正ではなくなったりします。
↑基台をセットしてから「鋼球ボール+スプリング」を組み込んで絞り環をセットします・・ちょっと理由が分からないのですが、このモデルでは絞り環のクリック感を実現するために「鋼球ボール+スプリング」が2セット使われていました。一般的には1セットあれば充分なのですが、どうして2セットも使う必要があるのか「???」です(笑) 当初バラす前の確認時に、ずいぶん賑やかな絞り環だと感じていたのは、これだったようです。
↑マウント部を組み付けて絞り環の操作性をチェックしておきます。当初バラす前の時点では絞り環に相当なガタつきがありましたが半減程度まで改善できています。構造的に絞り環が確実に固定されていない設計なので僅かなガタつきは残ってしまいます。
↑ひっくり返してヘリコイド (オス側) の中に鏡筒を差し込んでネジ止め固定します。ここで最終的に絞り環の操作性やクリック感の位置、或いは絞り羽根の開閉などをチェックします。
このモデルは、鏡筒の固定位置が決まっているので、絞り羽根の開閉幅 (開口部/入射光量) の調整は、冒頭で出てきた絞りユニットの位置調整で微調整するしか手がありません。当然ながら、鏡筒を差し込んだ時にマウント部の「絞り連動レバー環」とも噛み合いますから、それらの微調整パーツとの関係も影響してきます・・相当調整箇所があって厄介なモデルですね(笑)
この後は光学系前後群を組み付けて無限遠位置確認・光軸確認・絞り羽根開閉幅の確認をそれぞれ執り行い、最後にフィルター枠とレンズ銘板をセットすればいよいよ完成です。
ここからはオーバーホールが完了したオールドレンズの写真になります。
↑このモデルのことは全く知らなかったのですが、今回ご依頼頂き貴重な機会を得ました。ありがとう御座います! ロシアンレンズとして考えると、この当時には開放F値「f1.4」は唯一だったのではないでしょうか? Planar譲りの光学系設計を採ってきたものの、その描写性は、やはり骨太なエッジが際立つカリカリのピント面を構成しながらも、どことなく画全体にマイルド感が漂っているところが何とも言えない魅力の大変素晴らしいモデルです。
↑光学系内の透明度は高い部類ですが、残念ながら中玉のコーティング層は経年劣化が進行しているのでLED光照射では極薄いクモリが視認できるかどうかと言うレベルです。逆光だろうが光源を含もうが、一切写真には影響しないレベルなので気にする必要は無いのですが、光学系の硝子レンズが冒頭の説明のとおり「積み上げ式」なので、もしも次に「絞り羽根の油染み」が生じていたら、すぐにメンテナンスしたほうが良いと思います。今回のオーバーホールでは必要外のグリースは一切塗っていないので、そうすぐに絞り羽根に油染みが生じることはありませんが・・車の中など夏の高温時に放置されると少々心配です。
↑光学系後群もキレイになりましたが経年の極微細な点キズや薄いヘアラインキズなどはそのまま残っています。
↑7枚の絞り羽根もキレイになり、絞り環共々確実に駆動しています。当初の状態で完全開放していませんでしたが、7枚中2枚の絞り羽根に「キー」と言う金属製の突起棒に極僅かな変形が生じていると思います。絞り羽根が閉じていく際に2枚だけ閉じ具合がズレているように見えるので (極僅かです)、開口部のカタチも正六角形をキープしていません。一応、開閉幅 (絞り値) との整合性はチェック済です。
ここからは鏡胴の写真ですが、経年の使用感が僅かに感じられるものの当方による「磨きいれ」を筐体外装に施したので落ち着いた美しい仕上がりになっています。
↑塗布したヘリコイド・グリースは「粘性:重めと軽め」を使い分けて塗っています。距離環を回す際のトルク感は滑らかになりましたが極僅かなトルクムラが残っています。また、このモデルのピントの山が大変掴み易いので (アッと言う間にピントの山を越してしまう)、ワザと距離環を回すトルク感は「重め」に設定してあります (軽いとピント合わせが頻繁になり面倒なので)。違和感を感じない程度のトルク感に仕上げてありますが、そもそも「直進キー」の変形が完璧に修復できていないので、これ以上は改善できません。申し訳御座いません。もしもご納得頂けない場合は、ご請求額よりご納得頂ける分の金額を減額下さいませ。スミマセン。
↑無限遠位置は当方所有マウントアダプタにて確認し、極僅かなオーバーインフ状態にセットしてあります。
↑当レンズによる最短撮影距離45cm附近での開放実写です。ピントはミニカーの手前側ヘッドライトの本当に「球部分」にしかピントが合っていません (このミニカーはラジコンカーなのでヘッドライトが点灯します)。
↑絞り環を回して設定絞り値「f2」にセットして撮影しています。
↑さらに絞り環を回してF値「f2.8」にセットして撮りました。
↑最小絞り値「f16」で撮りました。今回のオーバーホール/修理ご依頼、誠にありがとう御座いました。