◎ Tanaka Kogaku (田中光学) W TANAR 35mm/f2.8(L39)

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TN3528レンズ銘板

tanack_logo今回の掲載はオーバーホール/修理ご依頼分のオールドレンズに関する、ご依頼者様へのご案内ですのでヤフオク! に出品している商品ではありません。写真付の解説のほうが分かり易いこともありますが、今回に関しては当方での扱いが初めてのモデルでしたので、当方の記録としての意味合いもあり掲載しています (オーバーホール/修理の全工程の写真掲載/解説は有料です)。オールドレンズの製造番号部分は画像加工ソフトで編集し消しています。

神奈川県川崎市にあった「田中光学(株)」は本来はシネレンズやライカ用アクセサリーの生産を主としていたようですが、1953年にフィルムカメラ「Tanack 35」と言うバルナックライカ型のコピー機を試作し、翌年の1954年に東京の銀座に本社を移転して発売したのがカメラ業界への初参入だったようです。しかし1959年には倒産してしまい僅か7年足らずで消えていった幻の光学メーカーの一つです。

今回のオーバーホール/修理ご依頼はその田中光学から発売されていた広角レンズ「W TANAR 35mm/f2.8 (L39)」になります。標準レンズの「TANAR 50mm/f2.8 (L39)」は過去に整備した経験がありますが広角レンズは今回が初めてです。大変コンパクトな筐体ですが相応な重さを感じます。造りは大変シッカリしており距離環や絞り環のローレットにも独特な拘りのある意匠を感じます。市場でも滅多に出回らない稀少モデルのひとつでしょうか・・。

ご依頼の内容は「距離環を回しても鏡筒が繰り出されない」「中玉のクモリ」です。光学系はネット上の解説では3群4枚のテッサー型となっているようですが今回バラしてみると4群4枚になっておりダブルガウス型かアナスチグマート型でしょうか・・光学系が小さいので形状がよく分かりません。

※ご依頼者様よりミスのご指摘がありましたのでここでお詫びし訂正させて頂きます。このモデルの光学系は4群6枚のダブルガウス型とのことでした。申し訳御座いません。

オーバーホールを進めていくと内部に使われている構成パーツの主要部分は真鍮 (黄銅) 製で重量感がありますが内外筒を有するダブルヘリコイドの構造化でした。そして今回の不具合 (鏡筒が繰り出されない/距離環の空転) の原因は過去のメンテナンス時に於けるイモネジ (ネジ頭が無くネジ部にいきなりマイナスの切り込みを入れたネジ種) の欠品でした・・都合2本のイモネジが足りません。従ってダブルヘリコイドのうち外筒は距離環と共に回るのですが内筒が回らないので鏡筒が繰り出されない状態に陥っていました。

TN3528仕様

TN3528レンズ銘板

TN3528(0728)11上の写真は当初届いた時点での状態を撮影しています (バラす前の段階です)。6枚ある絞り羽根のうち1枚が浮き上がっています。開放側から順番に最小絞り値まで絞り羽根を閉じていくと途中から1枚だけ浮き上がり始めます (弧を描いて相当盛り上がります)。不具合としてご指摘がありませんでしたが一応ご報告申し上げます。

オーバーホールのため解体した後、組み立てていく工程写真を解説を交え掲載していきます。すべて解体したパーツの全景写真です。

TN3528(0728)12ここからは解体したパーツを使って実際に組み立てていく工程に入ります。

構成パーツの中で「駆動系」や「連動系」のパーツ、或いはそれらのパーツが直接接する部分は、すでに当方にて「磨き研磨」を施しています (上の写真の一部構成パーツが光り輝いているのは「磨き研磨」を施したからです)。「磨き研磨」を施すことにより必用無い「グリースの塗布」を排除でき、同時に将来的な揮発油分による各処への「油染み」を防ぐことにもなります。また各部の連係は最低限の負荷で確実に駆動させることが実現でき、今後も含めて経年使用に於ける「摩耗」の進行も抑制できますね・・。

TN3528(0728)13絞りユニットや光学系前後群を格納する鏡筒です。このモデルは鏡胴が「前部」と「後部」に二分割するのでヘリコイド部は鏡胴「後部」に含まれています。

TN3528(0728)14フッ素加工を施した6枚の絞り羽根を組み付けて絞りユニットを完成させます。冒頭にご案内した浮き上がっていた1枚の絞り羽根は、バラしてみるとやはり弧を描いたカタチに既に変形していました。そして形状を戻し絞りユニットに組み込みましたが最小絞り値になるとやはり浮き上がってしまいます・・但し元々浮き上がっていた絞り羽根とは異なる羽根が浮き上がりました。つまり絞り羽根の「キー (絞り羽根の位置を決めたり開閉の角度を変えるための金属製の突起棒)」が刺さる「絞り羽根位置決め環」に空いている穴の位置、或いは切削加工の不具合と考えられます。再びバラしてワザと別の絞り羽根を入れると今度はその羽根が浮き上がりました・・固有の絞り羽根にのみ生ずる現象ではないのでそのような結論となります (ちなみに6枚の絞り羽根のキーは角度を確認済です)。よ〜く観察すると各キーの頭部分の切削 (研磨) も不揃いなのでそれほど精度的にキッチリと生産していなかったのかも知れません。

取り敢えず、絞り羽根に対する将来的な負荷の懸念にはなりませんが、万一油染みなどが生じた場合には早めの整備が望ましいと思われます。また入射光の遮蔽は問題なくできているので撮影時の影響も全く御座いません (絞り値との整合性を確認済)。

TN3528(0728)15このモデルでは絞りユニットの固定を光学系前群に代用させているので先にここで光学系前後群を組み付けてしまいます。

TN3528(0728)16鏡筒に絞り環操作でクリック感を伴う機構部を組み付けます。クリックの仕組みは上の写真のように「ピン (金属製の出っ張り棒)」がキー (溝) にカチカチとハマる方法を採っていました・・ちょうど画鋲が刺さっているようなイメージです。上の写真では板に打ち込まれているクギ上のピン (の背面) が写っています。

TN3528(0728)17組み立ての手順を間違えると一切組み上がらない構造化なので単純に絞り環をセットしたいだけなのに上の写真を撮影するのに3回もやり直しました(笑) フィルター枠の側面にクリック用のキー (溝) が刻んであり一番目にフィルター枠をセットします。次に絞り環を先に組み付けてから最後に「絞り羽根開閉幅制御環 (クリック用のピンが附随)」を組み込む順番でした。絞り環はアルミ材削り出しパーツなのですがフィルター枠は真鍮 (黄銅) 製なので相応の厚みがあり、その分クリック用のピンが曲がったままセットしなければならずピンには相応の抵抗が架かるので少々怖い感じです (ピンのクギ状が抜けたらアウトです)。

ちなみに絞り環の指標値とクリック位置との整合性はここでは調整ができない構造になっており、何と絞り羽根を組み付ける際の「固定環」の位置調整で行っていました。従って絞り環をセットして確認のためにカチカチと動かした時に位置が合っていなければ再びバラして絞り羽根の組付けから再スタートと言うことになります(笑) 絞り羽根用の固定環がイモネジで締め付けられていたので気がついてキッチリ合わせましたから一発でこの工程はクリアです。当初ぎこちない感じだったクリック感はとても軽い操作性で小気味良く絞り環を回せるようになっています (板バネ部分の調整を行いました)。これで当分はピンのクギ状が抜けるなどの不具合に見舞われることは無いと思います・・。

これで鏡胴「前部」は完成したことになるのでこの後は鏡胴「後部」の組み立てに移ります。

TN3528(0728)18こちらはマウント部ですが距離環を組み付けるための基台の役目も担っています。過去のメンテナンスでは黄褐色系グリースが塗られていたので少し時間が経っているのかも知れません。このマウント部も真鍮 (黄銅) 製なのですが一部にサビが生じていたので錆び落としをしています。

TN3528(0728)19ダブルヘリコイドの「外筒」にあたるヘリコイド (メス側) で真鍮 (黄銅) 製です。この外筒が「空転ヘリコイド」になっておりスルスルといつまでも回るヘリコイドです。ここに無限遠位置のアタリを付けた正しいポジションで真鍮 (黄銅) 製のヘリコイド (オス側:シルバー色) をネジ込みます。次にさらに内側に「内筒」のヘリコイド (オスメス) をセットして最後に距離環を固定すれば鏡胴「後部」が完成します。

本来はそれで組み立て完了なのですが、今回は当初の時点で既に内外筒が空転してしまっていた (つまりダブルヘリコイドが機能していない) ので、そもそも無限遠位置自体が定まっていません。結果、距離環を回しても一切鏡筒は繰り出されずにピント合わせができない状態に陥っていました・・これではオールドレンズになりません (使えない)。

そこで無限遠位置のアタリ付けをゼロから行うワケですが、ダブルヘリコイドなのでそれぞれのヘリコイドにあるネジ山の数 x ヘリコイドの数分の組み合わせがあり、プラスα無限遠の確認をするためには完成している鏡胴「前部」をセットしてからでなければ試写できない・・と言う気の遠くなる工程に入ってしまいました(笑)

最初に悩んだのは内筒か外筒かどちらのヘリコイドを先にアタリ付けするか・・です。無限遠位置にはこのモデルの場合 (ライカ用ですから) ロック機構があるのでまずは距離環のツマミがカチッと填っている位置=外筒からスタートしました。外筒の無限遠位置が確定したところでそれに合わせて今度は内筒のネジ込み位置を当たっていきます。

L39マウントの場合ヘリコイド (オス側:シルバー色) の突出量はL39スクリューの終端から4mm前後のハズなので、そこからアタリを付けていきました (それが間違っていればすべて水の泡です)。その目安を元に無限遠位置を確定し次に内筒を入れるのですが、こればかりは目安がありません・・どうしてなのか?

そもそもオールドレンズの場合に鏡胴が二分割するタイプは鏡胴「前部」と「後部」との間に「シム」と言う「スペーサー」のような薄いリング (輪っか) を何枚か挟んで無限遠位置を調整していることが多いのです。今回の個体にも数枚のシムが挟んでありました。そのままの枚数で挟めば当初の無限遠位置に辿り着けると考えるのは浅はかで(笑)・・そもそもの無限遠位置が不明なのでオーバーインフだったのかどうかさえ全く分からないからです。

よくあるお話で「当初の無限遠位置=メーカー出荷時のオリジナルの無限遠位置」と思い込みをしていらっしゃる方が居ますが、どんなにキレイな個体だとしても過去にメンテナンスが一度も施されていないと外観を見ただけで言いきれるものではありません。従って今回の個体の場合は挟まっていたシムの枚数自体も信頼性が既にありません。

結果、内筒のネジ込み位置は全部で4箇所あるのですがすべてのネジ込み位置で鏡胴「前部」をセットして試写まで行い無限遠の確認を順に行いました・・もちろんその際にシムの枚数も1枚ずつ増やして確認していくワケですから優に4時間に及ぶ作業に及びました(笑) コトバで表現すれば簡単な作業のように感じますが、実際はヘリコイドを触るので両手の指はグリースでベトベトになり、それをイチイチ溶剤で拭ってから鏡胴「前部」をネジ込んで固定し無限遠位置の確認をするワケで、喉元まで「このままベトベトの手で触ってグチョグチョで作業してしまえ!」と心の中からの声が聞こえていました・・なお、足りなかったイモネジ2本を当方にて調達し内外筒をキッチリ固定しています。

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ここからはオーバーホールが完了したオールドレンズの写真になります。

TN3528(0728)1正直、鏡胴「後部」の組み上げで精根尽きてしまいましたが実はもう1本TANARが居るのです・・もぅ当分触りたくないなぁ〜。

TN3528(0728)2光学系は経年の揮発油成分に拠るクモリが各群に生じており、特に絞りユニットを挟んだ第2群 (裏面) と第3群 (表面) は清掃だけではクモリが完全に除去できず仕方なく手作業による「ガラス研磨」をコーティング層の表層面に対して行いました。結果、とてもクリアになりましたが経年のコーティング焼けや極微細な点キズ、或いはヘアラインキズなどはそのままです。

TN3528(0728)9光学系後群もキレイになっています。ブルシアンブルーに光り輝くモノコーティングが大変美しいです。

TN3528(0728)3前述の通り絞り羽根の1枚には浮きが必ず生じますが将来的な懸念にはなり得ません。また撮影に影響することもありません。適正絞り値でちゃんと入射光を遮蔽しています。クリック感も軽めの操作性になり絞り環も確実に駆動しています。ある意味ローレットの意匠が独特なので下手すると指が滑り易いとも思うのでその辺を考慮して調整しています。

ここからは鏡胴の写真になります。経年の使用感があまり感じられないとてもキレイな個体でしたが筐体外装には当方による「磨き」をいれてあります。またクロームメッキ部分は「光沢研磨」をマウント部も含めて施してあるので当時の艶めかしい輝きが復活しています (写真では分かりませんが)。

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TN3528(0728)7塗布したヘリコイド・グリースは黄褐色系グリースの「粘性:中程度」と「軽め」を使い分けて塗っています。距離環を回す際のトルク感を考慮しての判断です・・それは真鍮 (黄銅) 製のヘリコイドなのでスリップ現象が起きてしまいかえってピント合わせがし辛い結果になるからです (真鍮 (黄銅) 製はネジ山が噛み易いので)。

TN3528(0728)8無限遠位置はもう1本のTANARと同一にしてあります。最初に別のTANARをバラして内部構造や無限遠位置の確認をしたほうが楽に作業が進むとも考えたのですが、別のTANARのほうでキッチリ整備ができなかった場合 (トラブルがあった場合) 2本とも仕上がらないことにもなり兼ねないので地獄を見るほうを選びました・・。

滅多に市場にも出回らない大変貴重なモデルです。特に今回の個体は光学系内の透明度が高いので稀少ですね・・素晴らしいモデルです。

TN3528(0728)10戦後日本の高度経済成長の荒波の中で揉みに揉まれて「夏草や兵どもが夢の跡」たるモデルですが、今回は当方も墜ち武者状態で疲れました・・当レンズによる最短撮影距離1m附近での開放実写です。オーバーホール/修理のご依頼誠にありがとう御座いました。