◆ Carl Zeiss Jena (カールツァイス・イエナ) Biotar 58mm/f2 王《中期型ーI》(exakta)

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※解説とオーバーホール工程で掲載の写真はヤフオク! 出品商品とは異なる場合があります。

今回完璧なオーバーホール/修理が終わってご案内するモデルは、旧東ドイツは
Carl Zeiss Jena製標準レンズ・・・・、
Biotar 58mm/f2 《中期型ーI》(exakta)』です。


  ЯПОНІЯ З УКРАЇНОЮ!    Слава Україні!  Героям слава!  

上の文は「日本はウクライナと共に! ウクライナに栄光あれ! 英雄に栄光を!」の一文をウクライナ語で国旗色を配って表現した一文です。現地ウクライナでは民衆が「ウクライナに栄光あれ!」と自らの鼓舞を叫ぶとそれに応えて民衆が「英雄に栄光を!」と返すようです。

Slava UkrainieieGeroyam Slava

今回ご案内する個体はオーバーホール/修理ご依頼分として承りました。当方がオーバーホール作業を始めた12年前からの累計で、当時のCarl Zeiss Jena製標準レンズ「Biotar 58mm/
f2
」の括りで捉えると72本目の扱いですが、その中でモデルバリエーション上の「中期型−I」範疇でカウントすれば45本目にあたり、さらにレンズ銘板にある「刻印付」個体だけでみると「初めての扱い」です。

正直なところ、今までの12年間で何度も市場チェックしてきたにもかかわらず、この当時の「Biotarシリーズ標準レンズモデル」に「刻印付のアポクロマートレンズが存在する事実」を知らなかったワケで・・何ともお恥ずかしい限りです(恥)

・・その意味で今回の扱いは当方にとり真に幸運に恵まれたとしか言いようがない!(涙)

限りで、ご依頼者様に改めてお礼申し上げる次第です。

先日同じようにオーバーホール/修理として賜った旧西ドイツはCarl Zeiss (oberkochen) 製『CONTAREX版Planar 50mm/f2《all black version》(CRX)の存在など含め (おそらく150本しか製産されていない中の逸本)、本当にご依頼者様皆様方のご厚情に感謝するしか
ありません!(涙)

・・改めて、ありがとう御座います!!!(涙)

今回扱ったこのモデルBiotar 58mm/f2 《中期型ーI》(exakta)』も、レンズ銘板に「刻印」を伴うとなればアポクロマートレンズなので、その存在を知る機会を得たことも然ることながら、何よりも当方が知りたかったのは「光学系の設計に相違が在るのか否か」であり、単に当時の蒸着コーティング層の相違のみでアポクロマートを実現できていたとのネット上の解説に、いささか納得できない想いが強かったが故に、その疑念がまるで霧が晴れるように
スカッと明確になった点に於いても・・最大の成果で御座います!(涙)

結論から言うなら、明確に「光学設計を変更して造られていた」ことが明確に至りました・・と言うか、光学硝子レンズを計測せずとも「鏡胴前部を抜いた時点で即座に後群側の突出が異状に長い」点で、市場流通している同時期の「中期型−I」モデルバリエーションの個体とは光学設計が異なると分かりました!(涙)

また内部構造がその他の一般的な「中期型−I」モデルバリエーションと同一である点、合わせて内部構成パーツが「ライトブル〜のメッキ塗色」である点まで確認でき、この個体を製産した工場は本体Carl Zeiss Jenaとは別工場だったとの推察が適い、同時にそれが意味するのは「シルバー鏡胴〜ゼブラ柄モデルの製産を最後に消えていった工場」だった説明の補強材料にも至りました。

何故ならその後の黒色鏡胴時代には内部構成パーツに一つもライトブル〜のメッキ塗色は使われておらず、且つ黒色鏡胴自体は全ての構成パーツが「パープル色のメッキ塗色」でありCarl Zeiss Jena母体工場だけで生産していたことになるからです。するとそこから見えてくるのはピーク時に抱えていた従業員数4万4千人からの大規模なリストラを経て、増産体制の為の外部工場を集約し合理化を図り、やがて訪れた1989年の「ベルリンの壁崩壊事件」を迎えたことに繋がったからです (翌年旧東ドイツは旧西ドイツとの再統一に至った)。

先の大戦で同じ敗戦国ながらも、日本は1951年のサンフランシスコ条約締結という早い時期にその領土の返還 (一部沖縄を含む南西諸島のみ除外) に合わせて主権回復が叶ったことは
・・歴史の一節とは言えなかなか感慨深い想いが込み上げてくるところです(涙)

その後の朝鮮戦争と合わせて、敗戦国の戦後賠償にも勢いを増して「高度経済成長」を遂げた日本は、そのタイミングと地勢、何よりも時の運により、遙か遠くヨーロッパの敗戦国たる旧東西ドイツの運命とはまるで天と地の差だった点に、どうしても考えが及んでしまいます(涙)

逆に言うなら、旧ソ連邦崩壊時まで戦後日本も旧東西ドイツと同じく運命を共にしていたら
・・おそらくは全く別のニッポンが今の時代に横たわっていただろうと妄想を巡らせると・・真に背筋が凍る想いです (おそらく戦後賠償の名目の基にあらゆる権利と富が日本に留まらず別の姿を呈した日本が居たハズ)(怖)

そのような妄想に至ると必ず考えるのが・・まるで200年以上続いた江戸時代の鎖国から解き放たれた明治維新の時の、諸外国が捉えた「日本国」の処遇と同じではないかと、感無量な想いです (つまり恵まれた運を二度経験してきたとの意味)(笑)

当方がオールドレンズを単なる道具としてのみ受け入れず、このようなロマンを噛みしめつつ臨むのは、或いはこのように皆様に超長文という苦痛を強いながらもこのブログにて思いを吐露し続けるのは、総ては血の汗を流して歯を食いしばってきた先達が導いてくれた「昭和の残り」があったればこそ・・との想いです(涙)

昭和」そのモノを崇めるのではなく、真に自分や家族の人生に限られた命を集中できる「残りの昭和があったからこそ」との想いが強いので、その「平和と幸せ」を考える時、今ドキの世界情勢に左右されず「日本はニッポン人として成してきたからこその今なのだ」との自覚に立ち返れば、先の大戦だけに縛られず、決して卑下に墜ちず、頭を上げて上を見て前に進むべきと自然に導かれる不思議を日々感じています。

同じ先進国や民主主義国、或いは資本主義体制の中で、いったい世界中にどれだけ今現在の日本と同じように安全な治安と秩序正しい規律と、そして他人を敬う社会を形成できた国があるのでしょうか・・???

・・正直な気持ち、ニッポンだけだと思います。

昨今、大企業や巨大組織の当たり前のような「不正事件」が後を絶たず公表され続けていますが、どうか先達の明日に向かった必至な想いを台無しにするような所為だけは勘弁頂きたく、今一度律してほしいと切に望むところです。

つい熱くなると話が反れます・・(笑) 今回扱ったこの個体の存在により当方のモデルバリエーションの捉え方を僅かに訂正する必要に迫られました。

【モデルバリエーション】
オレンジ色文字部分は最初に変更になった諸元を示しています。

初期型-I1936年発売
絞り羽根枚数:8枚 (歪曲型)
最短撮影距離:90cm
プリセット絞り機構:無
最小絞り値:f16
筐体:総真鍮製

初期型-II
絞り羽根枚数:8枚 (歪曲型)
最短撮影距離:90cm
プリセット絞り機構:無
最小絞り値:f22
筐体:アルミ合金製 (マウント部のみ真鍮製)

前期型-Ⅰ前期型-Ⅲ
絞り羽根枚数:17枚
最短撮影距離:90cm
プリセット絞り機構:無
最小絞り値:f22
筐体:総アルミ合金製

中期型-Ⅰ
絞り羽根枚数:12枚
最短撮影距離:50cm
プリセット絞り機構:
最小絞り値:f22
筐体:総アルミ合金製

中期型-Ⅱ
絞り羽根枚数:10枚
最短撮影距離:50cm
プリセット絞り機構:有
最小絞り値:f16
筐体:総アルミ合金製

後期型
絞り羽根枚数:10枚
最短撮影距離:60cm
プリセット絞り:有
絞り連動ピン:
最小絞り値:f16
筐体:総アルミ合金

なお「初期型I初期型II」には一部にシングルコーティング (単層反射防止膜) の個体が混じっていますが「初期型II」の途中からモノコーティングたる「zeissの」が蒸着されています (複層反射防止膜)。また「中期型II」からはレンズ銘板への「」刻印が省かれてしまいましたが、同じモノコーティングのままです。

上のモデルバリエーションの中で、今回の個体を扱ったことから「中期型−I」の中に「刻印付モデル」が含まれ、且つ「絞り環のライン刻印が無い個体まで顕在していた」ことも分かりました。それは実装絞り羽根枚数が「12枚」のままであり、且つ最小絞り値が「f22」のままだからです (その後の中期型−IIでは仕様諸元が異なるから)。

↑従って以前このブログに掲載していた製造番号を基にした「当時のBiotarシリーズ」の仕様諸元一覧も、調査時に150本のサンプルからピックアップしたものの「刻印付個体が発見できていなかった」点に於いて訂正しています。

さらに光学系構成図についても当方の考察を更新し訂正していきます。

光学系は一番最初の「初期型−I初期型−II」までが右構成図になり、特異で特殊な「歪曲絞り羽根」を8枚実装した4群6枚のダブルガウス型構成です。

右構成図は以前扱った個体のオーバーホールで完全解体した際に光学系の清掃時、当方の手によりデジタルノギスを使い逐一全ての群の光学硝子レンズを計測したトレース図です。

戦後になるとすぐに「前期型−I」が登場し、その後「前期型−II前期型−III」へと展開していきますが、仕様が変わり最短撮影距離70cmと短縮化し、同時に絞り羽根の形状も設計変更しています。

同様右図は以前扱った個体のオーバーホールで完全解体した際に光学系の清掃時、当方の手によりデジタルノギスを使い逐一全ての群の光学硝子レンズを計測したトレース図です。

そして「中期型−I中期型−II」登場に伴い最短撮影距離50cmへとさらに短縮化が計られ光学系が再設計されます。

また同時に絞り羽根枚数も「17枚12枚10枚」へと徐々に設計変更し減じられていくことになります。

このタイミングで今回扱った個体たるアポクロマートレンズが登場します。ご覧のように4群全ての厚みからして全く別モノの設計であり当然ながら単なる蒸着コーティング層の資料変更だけでは対応できず光学系の再設計が必須だった事がこれで明確になりました。

右構成図は今回のオーバーホールで完全解体した際に光学系の清掃時、当方の手によりデジタルノギスを使い逐一全ての群の光学硝子レンズを計測したトレース図です。当然ながら各群との間隔までもキッチリ計測しているので、他光学系構成図と違わないのが分かります。

最後に登場したのが「半自動絞り方式」を採用した「後期型」であり同じ4群6枚ダブルガウス型構成ながらも、最短撮影距離は「60cmへと後退」してしまいました。

この後Biotarシリーズはシルバー鏡胴モデルを最後に消滅し、標準レンズの座を「Flexson 50mm/f2」或いは「Pancolar 50mm/f2」に繋げ、最終的に「Pancolar 50mm/f1.8」へと継承されます。

但しそのタイミングで登場したバヨネットマウント規格の標準レンズ「PRAKTICAR 50mm
/f1.8
」はこれらCarl Zeiss Jenaからの系統に入らず、その原型は同じ旧東ドイツはMeyer-Optik Görlitz製標準レンズ「Oreston 50mm/f1.8」を始祖とし、1968年以降当時VVB格付で国の産業工業5カ年計画体系の「光学精密機械VVB (局)」筆頭たる、Carl Zeiss Jena直属配下だったとりまとめ役の「PENTACON」への光学レンズ供給が源流なので (その意味で当時のPENTACONは厳密にはカメラメーカーでしかなかった)、これら「BiotarシリーズPancolarシリーズ」と一緒くたに捉えて解説するのは全く間違っています。

その「」は1983年にそのPENTACONさえもついに経営難から母体CARL ZEISS JENAに吸収され消滅してしまい、その際「PRAKTICARシリーズ」はせっかく次代の最先端だったハズのバヨネットマウントから撤退してしまいます。要は製産工場が違っていたからとも推測でき (何にしてもベルリンの壁崩壊時に残っていたのは母体工場だけだった)、当時の辻褄が合致しないいろいろについても納得できる説明が叶います。

・・するとはたしてMeyer-Optik Görlitz時代の社員は最後には何人残っていたのか?(涙)

逆に言うなら、どうして「Pancolarシリーズのバヨネットマウント化を推し進めなかったのか?」との疑念の説明すら適いません(笑) その最大の「根拠」に至ったのは、実は「PRAKTICARシリーズに採用されていた直進キー関連の設計の相違」です。何とその部位の設計概念が「PENTACON autoシリーズの設計概念を踏襲していた」からです。

どうして同じ時期のタイミングでCARL ZEISS JENA DDR側は両サイドに「直進キー」を備えた設計に固執し、合わせて一方の「PRAKTICARシリーズ」は敢えて「たった1本の直進キー」に拘ったのか?・・その説明が一切適いません。彼のPENTACONが経営難で消滅していく時期に、母体たるCARL ZEISS JENA DDRが従業員の大規模リストラを敢行しながらも、自分達が世に送り出した「Pancolarシリーズ」にPRAKTICARのノウハウを導入しなかった理由が、いまだに解明できていないのです(泣)

↑完全解体した時の内部構成パーツ全景写真です。オーバーホール工程やこのモデルの当時の背景など詳しい解説はBiotar 58mm/f2 《中期型ーII》(M42)』のページをご参照下さいませ。

ここまで掲載したオーバーホール工程の写真は「全て過去扱い品/個体からの転載」です。オーバーホール済でヤフオク! 出品する際の個体写真とは一部に一致しない場合があります。

DOHヘッダー

ここからはオーバーホール/修理が完了したオールドレンズの写真になります。

↑完璧なオーバーホールが終わっています。「Biotarシリーズ」に「刻印付」が顕在する事を全く知りませんでした!(驚) ッて言うか、今回初めて目にしたくらいです・・(驚)

しかも光学系の設計をイジっているのまで判明し、光学硝子レンズ格納筒の相違も含め具体的な違いが把握できて当方にとり「大成果」でした!(涙)・・ありがとう御座います!

↑光学系内の透明度が非常に高い状態を維持した個体です。LED光照射でもコーティング層経年劣化に伴う極薄いクモリが皆無です。

非常に微細な「パッと見で微細な塵/埃に見えてしまう気泡」が少々多めに混入している個体です。写真への影響はありませんし、微細すぎるくらいなので写真への写り込み (例えば円形ボケや玉ボケなど) も皆無と言えるレベルです。

気泡
光学硝子材精製時に、適正な高温度帯に一定時間到達し続け維持していたことを示す「」と捉えていたので、当時の光学メーカーは正常品として「気泡」を含む個体を出荷していました (写真に影響なし)。

↑ちょっと分かりにくいのですが、後群側の特に後玉の突出量が同時期の「中期型−I中期型−II」辺りと極僅かに異なります。それは特に後玉の締付固定環の「厚みが違う」のを知って/目にして即座に「あれ? 何か違う?」と気づきましたから、さすがに違和感だったのだと思います(笑) 実際ジャンク箱に転がっていた「中期型−I」の個体パーツと比較して厚みが違うので納得でした(笑)

↑12枚のペラペラの絞り羽根も(笑)、キレイになりプリセット絞り環や絞り環共々確実に駆動しています。絞り羽根が閉じる際は「完璧に円形絞りを維持」したまま閉じていきます。

ここからは鏡胴の写真になりますが、経年の使用感が僅かに感じられるものの当方にて筐体外装の「磨きいれ」を施したので大変落ち着いた美しい仕上がりになっています。「エイジング処理済」なのですぐに酸化/腐食/錆びが生じたりしません。

当方ではヤフオク! で流行っている「抗菌剤/除菌剤による清掃」などは絶対に実施しません。これをやると薬剤に含まれている成分の一部が金属の表層面に対して酸化/腐食/錆びを促す結果に至るので、早ければ1年、遅くとも数年でポツポツと錆が表れ始めます。

詳細は厚労省の「新型コロナウイルスの消毒・除菌方法について」が詳しく解説しています。

↑塗布したヘリコイドグリースはいつもと同じ種別で「黄褐色系グリース」です。当方独特なヌメヌメッとしたシットリ感漂うトルク感に仕上がっており、人により「普通」或いは「軽め」の印象のトルクです。

筐体外装のシルバーも眩いほどにキッチリ「磨き込み」したので、ローレット (滑り止め) のジャギー含め経年の手垢も可能な限り除去し「とってもキレイ」ですョ(笑)

↑絞り環操作には僅かにトルクを与えて「スカスカ感」にならないよう配慮しています。その一方でプリセット絞り環の操作時は当初バラす前のチェック時点でガチガチした印象だったので滑らかに仕上げています。

無限遠位置 (当初バラす前の位置に合致/僅かなオーバーインフ状態)、光軸 (偏心含む) 確認や絞り羽根の開閉幅 (開口部/入射光量) と絞り環絞り値との整合性を簡易検査具で確認済です。

もちろん光学系の光路長調整もキッチリ行ったので (簡易検査具によるチェックなので0.1mm単位や10倍の精度ではありません)、以下実写のとおり大変鋭いピント面を確保できました。電子検査機械を使ったチェックを期待される方は、是非ともプロのカメラ店様や修理専門会社様が手掛けたオールドレンズを手に入れて下さい当方の技術スキルは低いのでご期待には応えられません

↑当レンズによる最短撮影距離50cm附近での開放実写です。ピントはミニカーの手前側ヘッドライトの本当に「球部分」にしかピントが合っていません (このミニカーはラジコンカーなのでヘッドライトが点灯します)。カメラボディ側オート・ホワイト・バランス設定はOFFです。

各絞り値での「被写界深度の変化」をご確認頂く為に、ワザと故意にピントはミニカーの手前側ヘッドライトの本当に電球部分に合わせています。決して「前ピン」で撮っているワケではありませんし、光学系光学硝子レンズの格納位置や向きを間違えたりしている結果の描写でもありません (そんな事は組み立て工程の中で当然ながら判明します/簡易検査具で確認もして います)。またフード未装着なので場合によってはフレア気味だったりします。

↑絞り環を回して設定絞り値「f2.8」で撮影しています。

↑さらに回してf値「f4」で撮影しました。

↑f値は「f5.6」に上がっています。

↑f値「f8」での撮影です。

↑f値「f11」です。

↑f値「f16」での撮影です。極僅かですがピント面の解像度低下が起きており「回折現象」の影響が現れ始めています。

 回折現象
入射光は波動 (波長) なので光が直進する時に障害物 (ここでは絞り羽根) に遮られるとその背後に回り込む現象を指します。例えば、音が塀の向こう側に届くのも回折現象の影響です。
入射光が絞りユニットを通過する際、絞り羽根の背後 (裏面) に回り込んだ光が撮像素子まで届かなくなる為に解像度やコントラスト低下が発生し、眠い画質に堕ちてしまいます。この現象は、絞り径を小さくする(絞り値を大きくする)ほど顕著に表れる特性があります。

被写界深度
被写体にピントを合わせた部分の前後 (奥行き/手前方向) でギリギリ合焦しているように見える範囲 (ピントが鋭く感じる範囲) を指し、レンズの焦点距離と被写体との実距離、及び設定絞り値との関係で変化する。設定絞り値が小さい (少ない) ほど被写界深度は浅い (狭い) 範囲になり、大きくなるほど被写界深度は深く (広く) なる。

焦点移動
光学硝子レンズの設計や硝子材に於ける収差、特に球面収差の影響によりピント面の合焦位置から絞り値の変動 (絞り値の増大) に従い位置がズレていく事を指す。

↑最小絞り値「f22」での撮影です。

今回のオーバーホール/修理ご依頼、誠にありがとう御座いました。引き続き次のオーバーホール/修理作業に入ります。

どうぞよろしくお願い申し上げます。

  ●               

↑上の写真は引き続きオーバーホール/修理で承っていた旧東ドイツはCarl Zeiss Jena製標準レンズTessar 50mm/f2.8 《初期型》(M42)』について、オーバーホールのため解体した後のパーツ全景写真です。

初期型」の根拠は絞り環の刻印絞り値にラインが附随するので、唯一の仕様諸元からそのようなモデルバリエーションと捉えています。

今回の扱いについてはご依頼者様へのご報告のみとして解説を省き、合わせてこの場での説明にします。

フィルター枠に大きな凹みが1箇所在りましたが、最終的にフィルター枠は他にも複数箇所で変形しており、おそらく過去メンテナンス時にフィルター枠変形の修復の為にいろいろ処置を講じたのだと思います。

今回の作業で1箇所あるその大きな凹みだけの修復では一切バラす事ができず、結果的にフィルター枠全周に渡り円形状に戻す必要が生じ、その作業を行いました (レンズ銘板を外せないと光学系前群の清掃ができないから)。

現状フィルターの着脱もネジ山を咬み合わせてから回せばできるよう仕上げてあります。

また当初バラす前のチェック時点でアンダーインフ状態に陥っており、調べると無限遠位置が適切ではないネジ込み位置でヘリコイド (オスメス) を入れていました。

大きくはこの2点について追加作業が発生し、最終的にオーバーホール/修理で丸っと一日を要した感じです。特にフィルター枠の変形は相当なレベルで、全周に対し凡そ8〜9箇所の変形が生じていた為、今までの12年間の中で捉えても「フィルター枠修復作業」として最も大変な作業だったと思います(泣)

合わせて鏡筒まで変形が生じており、おそらくはフィルター枠→絞り環→鏡筒まで、変形の影響が生じており、特にプリセット絞り環のトルク改善も厄介でした。

現状アンダーインフを解消し (オーバーインフ状態に仕上げてあります)、絞り環/プリセット絞り共に適度なトルクを与えて軽い操作性に復元してあります。

また距離環を回すトルクは当初バラす前から違和感を感じていましたが、それを解消し当方の特異な感触のヌメヌメッとしたシットリ感あるトルクに仕上げています。

・・総じてまともな刻印付シルバー鏡胴テッサーに仕上がったのではないでしょうか。

以上、ほぼ5日間掛かりでオーバーホール/修理ご依頼分のオールドレンズについて作業を実施し、納得できる整備状況まで仕上げられたと受け取っています。本日発送後にまた問い合わせ番号などご案内申し上げます。

今回のオーバーホール/修理ご依頼、誠にありがとう御座いました。