◎ PENTACON (ペンタコン) PENTACON auto 29mm/f2.8 MULTI COATING《後期型−I》(M42)

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この掲載はオーバーホール/修理ご依頼分のオールドレンズに関するご依頼者様や一般の方々へのご案内です (ヤフオク! 出品商品ではありません)。
写真付解説のほうが分かり易い事もありますが、今回は記録として無料掲載しています (オーバーホール/修理の行程写真掲載/解説は有料です)。
オールドレンズの製造番号部分は画像編集ソフトで加工し消しています。


PENTACONのブランドのロゴにもなっている「ERNEMANN TOWER (エルネマン・タワー)」がそびえ立つ、戦前ドイツDresden (ドレスデン) 市で1889年創業の光学メーカー「ERNEMANN
-WERKE (エルネマン工場)」全景で、1925年当時のカタログに載っている図です。

ERNEMANNは後の1926年にはZeiss Ikonの設立母体にも参画し、1945年以降本社工場はそのままZeiss Ikon本社として使われ、その後PENTACONへと引き継がれたのでZeiss Ikon含め社の象徴的な建物として今も現存しています。現在はタワーがあるビル一角のみですが、ちゃんと隣接棟への連絡橋まで残っています (さすがに煙突は無い)。当時最大規模の時は、地下1階まで含み12階建てだったようですからその全景は壮観な眺めだったのではないでしょうか (今も12階建てですがタワーの階数が違う)。

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ドイツは敗戦時に旧ソ連軍と連合国軍によって占領され、国が二つに分断されました。ソ連軍が占領統治したのがドイツ民主共和国 (旧東ドイツ) であり (左図ピンク色)、連合国側であるアメリカ・イギリス・フランスが分割占領統治した国がドイツ連邦共和国 (旧西ドイツ) になります (ブルー色)。

ところがベルリンは旧東ドイツ側に位置しており (左図の緑色の矢印) 旧東ドイツの首都になりました。一方旧西ドイツの首都はボンになるので旧西ドイツ側なのですが、ベルリン自体も連合国側と旧ソ連によって分割統治することが決まりました。

そして後の1961年には「ベルリンの壁」が登場します。意外と「ベルリンの壁」がぐるりとベルリン全体を覆っていたかのように認識している人が多いのではないでしょうか・・。

実際にはベルリンも2つに分断されており、連合国側の管轄地であった「西ベルリン」側が「有刺鉄線」によってグルリと囲まれていたのです。それもそのハズでベルリンが旧東ドイツの中に位置していたことから囲まれていたのは実は「西ベルリン」だったワケですね(笑)

そもそも「ベルリンの壁」が建設されたのは戦後すぐではなく1961年であり、東西ドイツの経済格差がより顕著になってきたことから旧東ドイツから旧西ドイツ側への逃亡者が多くなり敷設された壁だったようです (初期の頃は有刺鉄線のみ)。ちなみに、西ベルリンもアメリカ・イギリス・フランスの3カ国による分割統治になります。

旧東ドイツは社会主義体制ですから「私企業」の概念が存在せず、すべての企業は国に従属した企業体でした。この企業体を指して様々なサイトで「人民公社」と解説されますが、どちらかと言うと「人民公社」は中国のほうが当てはまります。

旧東ドイツでは、敗戦後の初期に於いては「人民所有経営 (Volkseigene Betriebe:VB)」と呼ばれ後に「人民所有企業 (Volkseigener Betrieb:VEB)」に変わります (以降、最小単位の企業体として使われ続けた呼称)。ちなみに旧ソ連も社会主義国家ですが企業体を指して「国営企業」と呼称しています (専門に研究している方の論文を読んで勉強しました)。

上の一覧は、旧東ドイツが敗戦時からスタートした国の社会主義体制確立と同時に様々な産業工業再建のために策定された「計画経済」であり、その中で特にCarl Zeiss Jenaを中心にまとめたのが上の表です。

敗戦時からすぐに様々な企業体が分野別にVEBの集合体として国に接収されますが、その中でオールドレンズが関わっていたのは「光学精密機械VVB (局)」です。
(人民所有企業連合:Vereinigung volkseigener Betriebe)
当初は国の直轄管理で分野別に各局の隷下で各VEBがバラバラに集められ連合化していましたが、社会主義体制の確立に手間取り経済格差が拡大し、ついには旧東ドイツから旧西ドイツへの逃亡者が増大した為に1961年8月13日未明から「ベルリンの壁」敷設が始まっています。

そして、1967年にようやく国の産業工業体系図に局から独立した「光学機械製造コンビナートVVB」が登場し、そこにとりまとめ役として初めてCarl Zeiss Jenaの名前が登場します。この時点でCarl Zeiss Jenaは、既に17企業体 (VEB) を手中に収めており、従業員数は44,000人に上っていましたから、それまでに多くの光学メーカーを吸収合併していたことになります

また翌年の1968年には州/県を跨いで統括指揮できる「コンビナート令」が公布され、光学機械製造コンビナートVVBではCarl Zeiss Jenaの絶大なる権威が名実共に確立しています。ここで注目するべきは、実はCarl Zeiss JenaではなくPENTACONのポジショニングです。当時PENTACONはCarl Zeiss Jena配下のVEB格付のままであり、特にオールドレンズの開発/生産に苦慮していました。一方敗戦後に運悪くどう言うワケか軍需産業VVB (局) に編入されてしまったMeyer-Optik Görlitzは、軍需用光学製品を生産する傍ら民生用光学製品の開発/製造も続けていましたが、念願の光学精密機械VVBへの編入を、自社工場をCarl Zeiss Jenaに売却してしまうことで達しています。

ここがポイントで、自社工場をCarl Zeiss Jenaに統合されてしまったMeyer-Optik GörlitzはCarl Zeiss Jena配下のPENTACONへと製品供給が義務づけられますが、経営難から脱することができずMeyer-Optik Görlitzは1968年ついにPENTACONとの吸収合併により統合され長い歴史の幕を閉じます。
従って、1970年以降オールドレンズのレンズ銘板にはMeyer-Optik Görlitzの刻印が消えてPENTACON銘で生産されていくことになります。

そしてPENTACONも4つの企業体を吸収 (従業員数:8,500人) しながら1975年にはVEK (Volkseigenes Kombinat:コンビナート) に昇格しますが、最終的に経営の建て直しには至らず1981年にとうとうCarl Zeiss Jenaに吸収統合され消滅していきます。第六次5カ年計画中の1981年時点では、肥大化したCarl Zeiss Jenaしか残っていなかったことになりますね。

つまり、Carl Zeiss Jena製オールドレンズは、吸収統合していった様々な光学メーカーの技術を飲み込みながら結実していったオールドレンズであることがご理解頂けると思います。その中にはMeyer-Optik Görlitzの技術があり、同時にPENTACONへと引き継がれ、最後はCarl Zeiss Jena製オールドレンズとして何かしらの匂いを漂わせるだけだったのかも知れません。

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今回扱うモデルPENTACON製広角レンズ『PENTACON auto 29mm/f2.8《後期型−I》(M42)』の系譜をみていきます。

ORESTEGON 29mm/f2.8】(Meyer-Optik Görlitz製)
オレンジ色文字部分は最初に変更になった要素を示しています。

前期型1961年発売
コーティング:モノコーティング
プレビューボタン:有
自動/手動スイッチ (A/Mスイッチ) :無
筐体の意匠:ゼブラ柄 (細かいストライプ)
絞り羽根形状:Meyer-Optikのカタチ

後期型
コーティング:モノコーティング
プレビューボタン:有
自動/手動スイッチ (A/Mスイッチ) :無
筐体の意匠:ゼブラ柄 (大柄なストライプ)
絞り羽根形状:Meyer-Optikのカタチ

PENTACON auto 29mm/f2.8】(PENTACON製)

前期型−I1969年発売
コーティング:モノコーティング
プレビューボタン:有
自動/手動スイッチ (A/Mスイッチ) :無
筐体の意匠:ゼブラ柄 (大柄なストライプ) レンズ銘板入り替えのみ
絞り羽根形状:Meyer-Optikのカタチ

前期型−II
コーティング:モノコーティング
プレビューボタン:有
自動/手動スイッチ (A/Mスイッチ) :無
筐体の意匠:黒色鏡胴に変更 (ゼブラ廃止)
絞り羽根形状:Meyer-Optikのカタチ

中期型
コーティング:マルチコーティング
プレビューボタン:
自動/手動スイッチ (A/Mスイッチ) :
筐体の意匠:銀枠飾り環 (距離環)
レンズ銘板:MC (赤色刻印)
絞り羽根形状:新形状に設計変更 (PENTACONのカタチ)

後期型−I
コーティング:マルチコーティング
プレビューボタン:無
自動/手動スイッチ (A/Mスイッチ) :有
筐体の意匠:銀枠飾り環 (距離環)
レンズ銘板:MULTI COATING (白色刻印) プラスティック製
絞り羽根形状:PENTACONのカタチ

後期型−II1975年発売
コーティング:マルチコーティング
プレビューボタン:無
自動/手動スイッチ (A/Mスイッチ) :有
筐体の意匠:銀枠飾り環 (距離環) 廃止
レンズ銘板:MULTI COATING (白色刻印) プラスティック製
絞り羽根形状:PENTACONのカタチ

上記モデルバリエーションを分かり易くする為に冒頭で当時の時代背景を解説しました。上のモデルバリエーションでを附記したPENTACON銘「前期型−I (1969年発売)」は、実際にはMeyer-Optik Görlitz製モデルのレンズ銘板だけをPENTACON銘に入れ替えて出荷していたワケですが、それを検証してみました。

左は1969年にPENTACONから発売された一眼レフ (フィルム) カメラ「PRAKTICA L」の取扱説明書の抜粋ですが、オプション交換レンズ群はMeyer-Optik Görlitz製とCarl Zeiss Jena製モデルだけで占められています。

さらに同じ1969年の後期に追加で発売された「PRAKTICA LLC」取扱説明書から、同じように交換レンズ群一覧を抜粋しました。Meyer-Optik Görlitz製のモデル銘が消滅してPENTACON製とCarl Zeiss Jena製モデルのみに変わっています。

Meyer-Optik GörlitzがPENTACONに吸収合併したタイミングが1968年なので、その時点で既に製産していた個体がそのままMeyer-Optik Görlitz銘でフィルムカメラにセットされ、吸収合併後の新たな製造出荷分よりPENTACON銘にモデル銘がチェンジしたという話もこれで検証できます。

これらの事柄から、実際にMeyer-Optik Görlitz製広角レンズ「ORESTEGON 29mm/f2.8 (M42)」がPENTACONへとそのまま継承されたことが確認できますが、では光学系はどうなのでしょうか?

右の光学系構成図はMeyer-Optik Görlitz製広角レンズ「ORESTEGON 29mm/f2.8 (M42)」の構成図で、7群7枚のレトロフォーカス型です。

Meyer-Optik Görlitz製広角レンズの中に「Lydith 30mm/f3.5」と言う近い焦点距離の広角レンズがありますが、こちらは3群3枚のトリプレット型を基本に強制的にバックフォーカスを稼ぐ為に延伸させた5群5枚のレトロフォーカス型なので、如何に今回のモデルが本格的な光学設計で開放f値「f2.8」と明るく採ってきたのか、その拘りようが分かります。

一方右図は今回のモデル『PENTACON auto 29mm/f2.8《後期型−I》』の光学系構成図です。同じ7群7枚のレトロフォーカス型ですが、マルチコーティング化されている関係からビミョ〜に各硝子レンズの曲率などが変更されており (つまり再設計している) 特に第7群 (後玉) が両凸レンズから平凸レンズへと変わっています。

右図は今回バラして清掃時にデジタルノギスで計測してほぼ正確にトレースした構成図です (各硝子レンズのサイズ/厚み/凹凸/曲率/間隔など計測)。

ちなみに、モデルバリエーションも含めコーティング層光彩の相違を以下に示します。

モノコーティングのブル〜からパープルアンバーを経て最後にはグリーンが追加されているのが分かります (右端は最後期のPENTACONがCarl Zeiss Jenaに吸収された後の出荷品)。

また下記にそれぞれの絞り羽根の形状と向きの相違を示します。

Meyer-Optik Görlitzのカタチ

絞り羽根枚数:6枚
形状:L字型、右回り
キーの配置:片面に2個

PENTACONのカタチ

絞り羽根枚数:6枚
形状:円弧型左回り
キーの配置:両面に1個ずつ

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上の写真はFlickriverで、このモデルの特徴的な実写をピックアップしてみました。
(クリックすると撮影者投稿ページが別ページで表示されます)
※各写真の著作権/肖像権がそれぞれの投稿者に帰属しています。

一段目
左端から真円のキレイなシャボン玉ボケが表出し、次第にエッジが破綻して滲みながら円形ボケへと変わっていく様を集めました。

二段目
背景ボケは下手すると二線ボケのようにダブりますし、基本的にピント面のエッジが骨太に出てくるので背景ボケとの関係でだいぶ誇張的なピント面になることがあります。さらに非常に彩度が高く色付くので「如何にも東欧の発色性」と言わんばかりに独特な色合いに写ります。

三段目
基本的にダイナミックレンジはそれほど広くもなく、特に暗部が極端に潰れるのでそれを逆手に撮影時に利用するのも一手ですね。

オーバーホールのため解体した後、組み立てていく工程写真を解説を交え掲載していきます。すべて解体したパーツの全景写真です。

↑ここからは解体したパーツを使って実際に組み立てていく工程に入ります。ハッキリ言って、これでもかと言わんばかりにカツカツに合理化してしまった設計で、多少の誤差は結果オーライ的な感覚で調整するよう作られていますが、それは裏を返せば「神経質な調整が必須」なモデルとも言えます。何処が神経質なのかと言えば、それは「絞り羽根の開閉幅 (開口部の大きさ/入射光量)」に「光軸ズレ」そして「絞り連動ピン連係機構部」と、凡そ主要部位別に厄介な調整をするハメに陥る面倒なモデルです。その意味で簡素な構造だからと食ってかかるとバカを見ます(笑)

↑絞りユニットや光学系前後群を格納する鏡筒 (ヘリコイド:オス側) です。

↑鏡筒最深部には絞りユニットがセットされますが、上の写真はその絞りユニットで「絞り羽根をサンドイッチする環 (リング/輪っか)」です。

絞り羽根には表裏に「キー」と言う金属製突起棒が打ち込まれており (オールドレンズの中にはキーではなく穴が空いている場合や羽根の場合もある) その「キー」に役目が備わっています (必ず2種類の役目がある)。製産時点でこの「キー」は垂直状態で打ち込まれています。

位置決めキー
位置決め環」に刺さり絞り羽根の格納位置 (軸として機能する位置) を決めている役目のキー

開閉キー
開閉環」に刺さり絞り環操作に連動して絞り羽根の角度を変化させる役目のキー

位置決め環
絞り羽根の格納位置を確定させる「位置決めキー」が刺さる環 (リング/輪っか)

開閉環
絞り羽根の開閉角度を制御するために絞り環操作と連動して同時に回転する環

絞り環を回すとことで「制御環」が連動して回り絞り羽根の開閉角度が決まるので、マウント面の「絞り連動ピン」が押し込まれることで絞り羽根の「開閉キー」が瞬時に移動して「位置決めキーを軸にして絞り羽根の角度が変化する (つまり開閉する)」のが絞り羽根開閉の原理です。

また絞り羽根の開閉制御を司る「チカラの伝達」手法として「アーム」が用意されており、
開閉アーム/制御アーム」の2種類により具体的な絞り羽根開閉動作を実現しています。

開閉アーム
マウント面絞り連動ピン (レバー) が押し込まれると連動して動き勢いよく絞り羽根を開閉する

制御アーム
絞り環と連係して設定絞り値 (絞り羽根の開閉角度) を絞りユニットに伝達する役目のアーム

↑このモデルで致命的な不具合が発生する原因になる箇所を赤色矢印で指し示しています。「開閉アーム」なのですが、ご覧のように穴に打ち込んだ後に叩き込んで (潰して) 固定しているだけです。従って必要以上のチカラがこのアームに加わった時、そのチカラに耐えられないと「グラつき」が発生します。するとそのグラついている分だけ絞り羽根の開閉が狂うので「絞り羽根の開閉異常」と言う現象に至りますが、一度緩んだら二度と修復できません (広がってしまった穴を元に戻せない)。仮にエポキシ系接着剤で固めても横方向からのチカラが架かるのでいずれ剥がれてしまいます。このアームがグラつくと、絞り環の刻印絞り値で半段分〜一段分は絞り羽根が動かなくなるので、例えば完全開放しない時があるとか、或いは最小絞り値まで閉じないなどの具体的な「絞り羽根開閉異常」が現れます。単なる絞り羽根の油染みだと考えるとガッカリすることがありますね。

その意味で、このモデルに「絞り羽根の開閉異常」が生じていた場合、まずたいていは修復不能であり入手時には要注意です。

↑完成した絞りユニットを鏡筒にセットします。セットする際に「絞り羽根の開閉幅 (開口部の大きさ/入射光量)」も調整が必要なので面倒です。

↑完成した鏡筒をひっくり返して裏側を撮影しまた。「開閉アーム」が飛び出ているだけの簡素な構造です。マウント面の絞り連動ピンが押し込まれると瞬時に「開閉アーム」が操作されグリーンの矢印のように動きます。

つまり「開閉アーム」が垂直に穴に打ち込んで固定してあるのに、架かるチカラは「横方向」である点が問題になるワケです。

ではこの「横方向のチカラ」は何なのか?

マウント部内部にある「絞り連動ピン連係アームにある爪」がこの「開閉アーム」を掴んでいるので、マウント部内部の調整が不適切だった場合にマウントアダプタの「ピン押し底面の深さ」相違によって起きる現象です (フィルムカメラに装着時は必要以上のチカラが加わらないようカメラ側で対処していることが多いので発生しにくい)。

つまりマウントアダプタに装着して使うようになってきた近年に多くなってきた不具合の一つと言えます。

なお、鏡筒側面に切削されている「ヘリコイド (オス側)」ネジ山の途中にある「」は「直進キーガイド」です。この溝部分を「直進キー」がスライドして行くことで鏡筒が繰り出されたり収納したりしています。

直進キー
距離環を回す「回転するチカラ」を鏡筒が前後動する「直進するチカラ」に変換する役目

↑こちらは距離環やマウント部が組み付けられる基台です。

↑ヘリコイド (メス側) を無限遠位置のアタリを付けた正しい場所までネジ込みます。最後までネジ込んでしまうと無限遠が出ません (合焦しません)。

↑鏡筒 (ヘリコイド:オス側) を無限遠位置のアタリを付けた正しいポジションでネジ込みます。このモデルは全部で9箇所のネジ込み位置があるので、さすがにここをミスると最後に無限遠が出ず (合焦せず) 再びバラしてここまで戻るハメに陥ります。

↑距離環を仮止めします。

↑ここでひっくり返して裏側を撮影しました。「開閉アーム」や「直進キー」がどのように配置されているのかを撮っています。一般的なオールドレンズには「直進キー」は両サイドに1本ずつ (合計2本) 配置されますが、当モデルはたったの1本です。従って距離環を回す時の「トルク調整」はこの1本の「直進キー」だけで決まるのでこの部位の調整も神経質ですが「直進キー」には微調整する概念が設計時点で考えられていないのでコツが必要になります。

↑ベアリング+スプリングを組み込んで絞り環をセットします。この絞り環も駆動範囲の微調整ができない設計になっています。

ご依頼内容に「絞り環操作が軽い」とありましたので塗布するグリースの粘性を「重め」に替えました。当初バラす前に比べるとシッカリしたトルク感に仕上がっていますが、絞り環を回した時の「クリック感」は軽い印象のまま変化していません。内部のスプリングを少し強くしましたが、それでもクリック感が変化しないので絞り環裏側に刻まれている「絞り値キーの溝」が既に経年使用で擦り減ってしまったと推測します (つまり改善できません)。申し訳御座いません・・。

↑こちらはマウント部ですが既に各構成パーツを除去して当方による「磨き研磨」を終わらせた状態で撮影しています。当初バラした時は内部にヒタヒタと経年の揮発油成分が附着していました (一部に錆び発生)。

↑外していた各構成パーツも個別に「磨き研磨」してセットします。この時前述の「必要以上のチカラが絞り連動ピンに架かった時の対処」を調整していますが、調整範囲は限られているので個体別の経年劣化によって変わります。今回の個体は充分な調整ができたのでマウント面の絞り連動ピンが最後まで押し込まれたとしても絞り羽根開閉異常は発生しません。

↑後からセットできないので、ここで先に光学系後群を組み付けます。光学系後群は第5群〜第7群までの3枚の光学硝子が格納されます。そのうち第5群はストンと中に落とし込むだけなので一切調整ができません。しかし残りの第6群〜第7群 (つまり後玉) までの2枚が、ご覧のように周囲から3本のイモネジ (ネジ頭が無くネジ部にいきなりマイナスの切り込みを入れたネジ種) で締め付け固定されます (赤色矢印)。

この第6群〜第7群の硝子レンズ格納筒は単にハメ込んでからイモネジ (3本) で締め付ければOKですが、過去メンテナンス時にはちゃんと光軸確認していなかったようです。当初バラす前の実写チェックでは極僅かに甘いピント面と言う印象でした。

今回のオーバーホールでは7回目にしてようやくピタリと光軸が合致したので (簡易検査具を使って検査し調整しています) 少々手間取りましたがキッチリピントの山が掴めるようになりました (当初はピントの山が分かりにくい状態)。

つまりイモネジは単に順番に締め付けていっただけではダメでコツがありますし、ちゃんと光軸確認しない限り適切な描写性にはセットできません。それはこのブログの最後に掲載しているミニスタジオでの実写 (絞り値別) をご覧頂ければ明白ですが「色ズレが無い」なので分かります (色ズレは色収差のこと)。

↑完成したマウント部をセットします。この後は光学系前群を組み込んでから無限遠位置確認・光軸確認・絞り羽根開閉幅の確認 (解説:無限遠位置確認・光軸確認・絞り羽根開閉幅確認についてで解説しています) をそれぞれ執り行い、最後にフィルター枠とレンズ銘板をセットすれば完成です。

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ここからはオーバーホールが完了したオールドレンズの写真になります。

↑完璧なオーバーホールが完了しました。マルチコーティングながらグリーン色の光彩を含んだ珍しい個体です (この後の製産品は再びパープルアンバーに戻る)。

↑光学系内の透明度が非常に高い個体です。LED光照射でもコーティング層経年劣化に伴う極薄いクモリすら皆無です。今回の個体の光学硝子清掃時に、前群側の第4群 (つまり絞りユニット直前) 表裏に過去メンテナンス時の拭き残しが相当ハードに附着しており、いつもの清掃回数だけでは全く除去できませんでした。今回のオーバーホールでは実に11回に及ぶ清掃でようやく除去できています (一部第4群外周附近の拭き残しは縁に近いので取り切れていません)。

↑光学系後群も非常に透明度が高く極薄いクモリすら皆無です。もちろん第6群〜第7群 (後玉) の格納は調整済なので光軸ズレ (偏心含む) もありません。

↑絞り羽根の開閉幅 (開口部の大きさ/入射光量) も簡易検査具でキッチリ調整済です。残念ながら絞り環のトルク感は重めに調整できましたが、クリック感だけは摩耗した「絞り値キー (溝)」の影響でとても軽い印象のクリック感のままです。申し訳御座いません・・。

↑塗布したヘリコイドグリースは、黄褐色系グリースの「粘性中程度軽め」を使い分けて塗りました。僅かにヘリコイドのネジ山が擦れる感触を感じる箇所があります (再現性が無いので使っているうちに馴染むと思います) が「全域に渡って完璧に均一なトルク感」に仕上がっています。

このモデルのピントの山が非常に掴み辛いので (分かりにくいので) 極軽いチカラだけで微動するようピント合わせに配慮した仕上がりにしています。もちろん当初バラす前に視認できていた極僅かな光軸ズレも解消している為、ピント面の鋭さが僅かですが向上しています (従ってピント合わせもピントの山がより分かり易くなっています)。

↑当レンズのオーバーホールは2017年以来なので2年ぶりですが、まさか光学系の清掃にハマるとは予測しませんでした(笑) コーティング層の拭き残しなので、前玉側方向からLED光照射しつつコーティング層を反射させないと視認できず、第4群の光学硝子径が小さいので厄介でした (ただでさえ老眼で見えない)(笑)

なお、今回の個体は鏡胴に「German Democratic Republic」の刻印があるのでラテン語/英語「GDR表記であり」輸出向け個体だったことが分かります。当時旧東西ドイツに分断されていましたが、厳密にはそれぞれ国家ではなく戦勝国による単なる分割統治だったので、国際輸出法上の西欧圏への輸出品はラテン語/英語表記が義務づけられていたため「GDR」と表記していました。国内向け、或いは東欧圏向け輸出品はドイツ語表記のまま「DDR (Deutsche Demokratische Republik)」ということになります。こんな製産国表記を見ただけでも個体の変遷が垣間見え、オールドレンズはロマンがあって楽しいですね(笑)

無限遠位置 (当初バラす前の位置に合致/僅かなオーバーインフ状態)、光軸 (偏心含む) 確認や絞り羽根の開閉幅 (開口部/入射光量) と絞り環絞り値との整合性を簡易検査具で確認済です。

↑当レンズによる最短撮影距離25cm付近での開放実写です。ピントはミニカーの手前側ヘッドライトの本当に「球部分」にしかピントが合っていません (このミニカーはラジコンカーなのでヘッドライトが点灯します)。カメラボディ側オート・ホワイト・バランス設定はOFFです。

この実写はミニスタジオで撮影していますが上方と右側方向からライティングしています。その関係でフードを装着していない為に絞り値の設定によりハレ切りが不完全なまま撮影しています。一応手を翳していますがハレの影響から一部にコントラスト低下が出てしまうことがあります。しかし簡易検査具による光学系の検査を実施しており光軸確認はもちろん偏心まで含め適正/正常です。

↑絞り環を回して設定絞り値「f4」で撮影しています。

↑さらに回してf値「f5.6」で撮りました。

↑f値は「f8」に変わっています。

↑f値「f11」になりました。

↑f値「f16」です。このf値でも「回折現象」が極僅かですから、意外と拘った光学設計だったのではないでしょうか? もちろん光学系後群の光軸調整をキッチリ執り行っているからこその話ではありますが・・。

回折現象
入射光は波動 (波長) なので光が直進する時に障害物 (ここでは絞り羽根) に遮られるとその背後に回り込む現象を指します。例えば、音が塀の向こう側に届くのも回折現象の影響です。
入射光が絞りユニットを通過する際、絞り羽根の背後 (裏面) に回り込んだ光が撮像素子まで届かなくなる為に解像力やコントラストの低下が発生し、ねむい画質に堕ちてしまいます。この現象は、絞りの径を小さくする(絞り値を大きくする)ほど顕著に表れる特性があります。

↑最小絞り値「f22」での撮影です。大変長い期間に渡りお待たせし続けてしまい本当に申し訳御座いませんでした。今回のオーバーホール/修理ご依頼、誠にありがとう御座いました。