◎ Meyer-Optik Görlitz (マイヤーオプティック・ゲルリッツ) 解説

meyer-optik-logo1-220x162 悲劇の光学メーカー        Meyer-Optik Görlitz


Meyer-Optik Görlitz (マイヤーオプティック・ゲルリッツ) の前身 Hugo Meyer (フーゴ・マイヤー) 社は1896年の創業ですから相当な老舗の光学メーカーです。Meyer-Optik の成り立ちなどは様々なブログでも解説されていますので、また別の機会として・・。

Meyer-Optik は1968年に当時の東ドイツ VEB のひとつである VEB PENTACON に吸収されますが、この「VEB」と Meyer-Optik との関係に対する考察を少し解説したいと思います。

そもそも「VEB」とは「Volkseigener Betrieb」の略で「人民所有企業 (人民公社)」を意味しますが、ドイツは第二次世界大戦の敗戦後にアメリカ・イギリス・フランスによって建国された資本主義国家「ドイツ連邦共和国 (通称西ドイツ)」とソビエト連邦によって建国された社会主義国家「ドイツ民主主義共和国 (通称東ドイツ)」とに分断されます。社会主義体制下では「メーカー」と言う概念を有さないので大規模な企業はすべて国営企業化されました。その最たる存在が「人民所有企業 (VEB)」になります。

しかし実際には国家管理による工業企業の管理体制は、1946年からベルリンの壁が崩壊しドイツ再統一が成された1990年までの期間に於いて様々な変貌を遂げてVEBの統廃合を繰り返しています。1946年から1961年の国家管理体制初期段階では国の各省庁管理下に「VVB (人民所有企業連合体)」が位置しその傘下に「VEB (人民所有企業)」は組み込まれます。

Meyer-Optik は1946年にはザクセン州の軍需産業VEBによって工場施設から従業員に至るまでを没収されその組織体に組み込まれています。これは戦前からドイツ国内に於いて軍需光学製品、とりわけ爆撃機や戦車載用「照準器」の性能では一歩秀でた存在だったのが Meyer-Optik だったようです。しかし国の管理体制の初期段階でもなお、民生レベルの光学製品に於いても相応の生産と売上を達成し戦前からの光学技術が再び注目されました。1948年にはザクセン州のVEBから独立して肩を並べるポジションへと昇格し「VEB Feinoptisches Werk Görlitz」として別のVEBの組織体に組み込まれます。これは「軍需産業VEB」から「光学精密機器VEB」の傘下に移ったことを意味し、これを単に「社名を変更した」と捉まえてしまうと本来の概念とは少々異なってしまいます。その意味では Carl Zeiss Jena も1961年までは単なる光学精密機器VEBのひとつでしかありませんでした。この組織変更により Meyer-Optik はまさに「水を得た魚」と言えるでしょうか。軍需品の製造を委託される傍ら専ら光学製品の開発・製造も執り行っていたワケですから(笑)

1962年から1970年は第四次5カ年計画に基づき国家管理体制が変わります。「VVB (人民所有企業連合体)」の下に「VEBコンビナート」が形成されその傘下に「VEB」が入ります。またその配下は細分化され従前の「VEB (人民所有企業)」の他に「PB (私企業)」や「HSB (国家参画企業)」などが現れます。この時期に於いて初めて各VEBのとりまとめ役企業が出現し、光学精密機器VEBのとりまとめ役として Carl Zeiss Jena が優位性を現します。従ってこの当時の企業規模からすると「VEB PENTACON」とMeyer-Optik はまだ並んでいないことになりますね。Carl Zeiss Jena の配下に PENTACON が位置し、その関連従属企業のひとつとしての位置付けに Meyer-Optik はなるようです。

このポジショニングが後の Meyer-Optik の運命を決めていきます。同格だったその他の光学関連企業が1953年には「VEB PENTACON」に吸収統合され消滅していく中、Meyer-Optik は最後まで自身の名前に拘り続けました。民生用光学製品分野に於いての衰退と共に企業規模を維持し続けていくことを断念せざるを得なくなり、1968年にはついに「VEB PENTACON」に吸収統合され老舗の Meyer-Optik は消滅していきます。それは丁度当時の Carl Zeiss Jena が高級品ブランドイメージ路線を固持する最後の試練を迎えていた時期でもあり、PENTACON でさえもその低価格品路線に甘んじざるを得ない状況下でしたから、二極化の中で Meyer-Optik は自身の立ち位置を既に見失っていたのでしょう。

思えば当初の敗戦時に軍需産業VEBに統合されてしまった Meyer-Optik は、光学精密機器VEBの一団に辛うじて統合された PENTACON にその時点で既に命運を分かつことになっていったのです。

PENTACON に吸収統合された後、Meyer-Optik の最後までの抵抗の「証」が顕在しています。

Meyer-Optik の製品である「Oreston 50mm/f1.8」や「Lydith 30mm/f3.5」などがそのまま PENTACON の製品として継承していきました。「PENTACON auto 50mm/f1.8」或いは「PENTACON 30mm/f3.5」はそれら Meyer-Optik の製品設計をそのまま受け継ぎ、鏡胴意匠デザインと内部構成パーツの大幅な仕様変更を伴い量産体制下の合理化を推し進め、利益の追求を目論んだ製品として PENTACON から発売されました。これが Meyer-Optik の存在を示した最後の製品となり、老舗の光学メーカー「Meyer-Optik Görlitz」の長き足跡の中にその匂いを辛うじて残して、ついに歴史から消滅していきました。数年後には PENTACON も Carl Zeiss Jena に吸収統合され消えていきます。

ひとえに企業規模もさることながら、ドイツ敗戦時の「人脈」「国との繋がり」など凡そ孤立無援の Mey-Optik の命運は・・1946年のドイツ敗戦時に、既に決まっていたのかも知れませんね。

「悲劇の光学メーカー Meyer-Optik Görlitz」如何でしたでしょうか。このような時代の背景に思いを馳せるのもまたロマンであり、オールドレンズの愉しみ方のひとつの魅力とも言えるでしょう。