◆ Meyer-Optik Görlitz (マイヤーオプティック・ゲルリッツ) Primoplan 58mm/f1.9 V《前期型−I》(exakta)

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※解説とオーバーホール工程で掲載の写真はヤフオク! 出品商品とは異なる場合があります。

今回完璧なおーしオーバーホール/修理が終わってご案内するモデルは、旧東ドイツは
Meyer-Optik Görlitz製標準レンズ・・・・、
Primoplan 58mm/f1.9 《前期型−I》(exakta)』です。


  ЯПОНІЯ З УКРАЇНОЮ!    Слава Україні!  Героям слава!  

上の文は「日本はウクライナと共に! ウクライナに栄光あれ! 英雄に栄光を!」の一文をウクライナ語で国旗色を配って表現した一文です。現地ウクライナでは民衆が「ウクライナに栄光あれ!」と自らの鼓舞を叫ぶとそれに応えて民衆が「英雄に栄光を!」と返すようです。

Slava UkrainieieGeroyam Slava

今回完璧なオーバーホール/修理が終わってご案内するモデルは、当方がオーバーホール作業を始めた12年前からの累計で、当時のMeyer-Optik Görlitz製標準レンズ「Primoplan 58mm
/f1.9
」の括りで捉えると21本目にあたりますが、今回扱った個体「前期型−I」だけでカウントすると僅か9本目です。しかし、実は今回扱った個体を完全解体したところ、その「前期型」の中にあって初めて確認できた要素 (内部構造と設計概念) が含まれていた為、今まで捉えていたモデルバリエーションを・・ついに更新する事に至りました!

先ずは冒頭にて、当方にとりこのような大変貴重な機会を与えて下さったご依頼者様に対し、心からお礼を申し上げたいと思います・・ありがとう御座います!

単に製造番号や筐体外装の相違などから判定を下すのではなく「完全解体できる機会を得た上で事実を以て捉えられる幸運」は、本当にこの上ない幸せでもあります!

  ●               

戦前ドイツで1936年に開催されたライプツィヒでの春の博覧会でフィルムカメラメーカーのIhagee Dresdenから発表された一眼レフ (フィルム) カメラ「Kine-Exakta I」に装着されていたのが、元祖「Primoplan 5cm/f1.9 (exakta)」のプロトタイプです (ごく僅かに製産)。

フィルムカメラ「Kine-Exakta I」のファインダーに備わるルーペが当初の丸形だった頃の「まさに初期型」であり、合わせてプロトタイプのPrimoplanまで見るにつけ本当にワクワクしてしまいます (右写真Nr.795297ですから!)(驚)

このPrimoplanについて1936年の戦前ドイツ特許出願申請書DE 1387593によると、
上の特許出願書類 色着色部分に記載があり、ラテン語/英語翻訳すると「Aperture ratio 1: 1.5, Focal length 100mm, free opening 66.7mm」との事から、和訳してまとめれば「焦点距離100㎜開放f値f1.5」の場合を事例として記載していると述べられています。
(計算すれば開放f値はf=1.499なので)

つまりネット上でよく見かける右側の構成図は、量産型たる「Primopplan 5.8cm/f1.9《戦前型》」の光学系構成図を表しておらず、あくまでもこの光学系に於ける発明案件についての特許出願と解説できます。

もちろんネット上の解説のとおり「3群4枚エルノスター型光学系構成」も確かに「3群3枚トリプレット型光学系」からの発展系なので、今回扱うプリモプラン型光学系構成も「3群4枚エルノスター型光学系構成」からの発展系との捉え方も正統進化論の一つと言えそうです。ただ光学系第2群を接着させて貼り合わせレンズとしている要素についての解説が今ひとつ
少ないように受け取られ、光学知識ドシロウトの当方にとり少々消化不良的なままです(涙)

今回扱った個体によって今まで数年間更新できなかった標準レンズ「Primoplanシリーズ」の、モデルバリエーションについて新たに考察を加える良い機会を与えられました。そこで少々大変でしたが、現在確認できるネット上の個体92本をチェックして以下のモデルバリエーション一覧を作成しました。

なお後でちゃんと解説しますが、当時の「製造番号事前割当制度」により、製造番号帯は重なり合う/互いにモデルバリエーションを跨ぐのが必然です。例えば仮に「Nr.1126229」という個体をチェックすると、以下のモデルバリエーション一覧では「前期型−Ⅲ 前期型−Ⅳ 」のようよ2つのバリエーションを跨ぎますが、現物を手にって確認したり実際にバラしたりすれば、どちらかのバリエーションに決まります。従って製造番号を基に一列に並べても、その中でモデルバリエーションの新旧は互いに入り混じってしまい、正しくシリアル値を執っていません。その前提の上で以下一覧表を作成しています。

また以下一覧をご覧頂くと分かりますが、赤色文字部分は「光学系の再設計が必須」なので、その都度再設計し実装していると推察できます。その一方ブルー色文字は、筐体外装面の意匠なので、単なるモデルの変遷の一つで必ずしも光学系再設計は考慮できません。

↑今までモデルバリエーションは「戦前型/前期型−I~前期型−II/後期型−I~後期型−III」と分けていましたが、今回92本を細かくチェックしたところ、とてもその数では足りないことが判明しました。

が然し、そのきっかけを作ってくれたのが今回扱った個体を完全解体でバラして初めて理解/納得できた次第です・・逆に言うなら、今までモデルバリエーションを区切りについて、外見的な要素だけに注目しすぎていた事が分かり、反省した次第です(泣)

・・その意味でも今回オーバーホール/修理をご依頼頂いたご依頼者様に大変感謝しています!

【 モデルバリエーション】
オレンジ色文字部分は最初に変更になった諸元値の要素を示しています。

初期型」Meyer Görlitz製:戦前1934年発売
焦点距離:5cm、絞り値:f1.9〜f16
絞り羽根枚数:12枚
最短撮影距離:1m
筐体材質:真鍮製/ブラス製
マウント規格:ライカ向けL39 (距離系連動装備)

初期型」Meyer Görlitz製:
焦点距離:5cm、絞り値:f1.9〜f16
絞り羽根枚数:12枚
最短撮影距離:―
筐体材質:真鍮製/ブラス製
マウント規格:CONTAX Cマウント

初期型」Meyer Görlitz製:1936年発売 (プロトタイプ)
焦点距離/レンズ銘板:5cm、絞り値:f1.9〜f16/V刻印無
絞り羽根枚数:14枚
最短撮影距離:0.7m
筐体材質:真鍮製/ブラス製
距離環/指標値環/マウント部:ジャギー/一体型/ジャギー

戦前型」Meyer Görlitz製:1937年発売
焦点距離/レンズ銘板:5.8cm、絞り値:f1.9〜f16/V刻印無
絞り羽根枚数:14枚
最短撮影距離:0.7m
筐体材質:真鍮製/ブラス製
距離環/指標値環/マウント部:ジャギー/一体型/ジャギー

前期型−Ⅰ」Meyer-Optik Görlitz製:1949年発売
焦点距離/レンズ銘板:58㎜、絞り値:f1.9〜f22/V刻印有
絞り羽根枚数:14枚
最短撮影距離:0.75m
筐体材質:アルミ合金製
距離環/指標値環/マウント部:ジャギー/独立型/ジャギー

前期型−Ⅱ」Meyer-Optik Görlitz製:?発売
焦点距離/レンズ銘板:58㎜、絞り値:f1.9〜f22/V刻印有
絞り羽根枚数:14枚
最短撮影距離:0.75m
筐体材質:アルミ合金材
距離環/指標値環/マウント部:ジャギー/一体型/ジャギー

前期型−Ⅲ」Meyer-Optik Görlitz製:?年発売
焦点距離/レンズ銘板:58㎜、絞り値:f1.9〜f22/V刻印有
絞り羽根枚数:14枚
最短撮影距離:0.75m
筐体材質:アルミ合金材
距離環/指標値環/マウント部:ジャギー/独立型/ジャギー

前期型−Ⅳ」Meyer-Optik Görlitz製:1950年発売 (?)
焦点距離/レンズ銘板:58㎜、絞り値:f1.9〜f22/V刻印有
絞り羽根枚数:14枚
最短撮影距離:0.75m
筐体材質:アルミ合金材
距離環/指標値環/マウント部:ジャギー/一体型/平面切削

中期型−Ⅰ」Meyer-Optik Görlitz製:1952年発売 (?)
焦点距離/レンズ銘板:58㎜、絞り値:f1.9〜f22/V刻印有
絞り羽根枚数:14枚
最短撮影距離:0.75m
筐体材質:アルミ合金材
距離環/指標値環/マウント部:山谷/一体型/平面切削

中期型−Ⅱ」Meyer-Optik Görlitz製:1953年発売 (?)
焦点距離/レンズ銘板:58㎜、絞り値:f1.9〜f22/V刻印有
絞り羽根枚数:14枚
最短撮影距離:0.75m
筐体材質:アルミ合金材
距離環/指標値環/マウント部:山谷/一体型/すぼみ切削

中期型−Ⅲ」Meyer-Optik Görlitz製:1954年発売 (?)
焦点距離/レンズ銘板:58㎜、絞り値:f1.9〜f22/V,△刻印付
絞り羽根枚数:14枚
最短撮影距離:0.65m
筐体材質:アルミ合金材
距離環/指標値環/マウント部:山谷/一体型/すぼみ切削

中期型−Ⅳ」Meyer-Optik Görlitz製:1955年発売 (?)
焦点距離/レンズ銘板:58㎜、絞り値:f1.9〜f22/V,△刻印付
絞り羽根枚数:14枚
最短撮影距離:0.75m
筐体材質:アルミ合金材
距離環/指標値環/マウント部:山谷/一体型/すぼみ切削

後期型−Ⅰ」Meyer-Optik Görlitz製:1956年発売 (?)
焦点距離/レンズ銘板:58㎜、絞り値:f1.9〜f22/V,△刻印付
絞り羽根枚数:14枚
最短撮影距離:0.6m
筐体材質:アルミ合金材
距離環/指標値環/マウント部:山谷/一体型/すぼみ長形切削

後期型−Ⅱ」Meyer-Optik Görlitz製:1957年発売 (?)
焦点距離/レンズ銘板:58㎜、絞り値:f1.9〜f22/V,△1刻印付
絞り羽根枚数:14枚
最短撮影距離:0.6m
筐体材質:アルミ合金材
距離環/指標値環/マウント部:山谷/一体型/すぼみ長形切削

後期型−Ⅲ」Meyer-Optik Görlitz製:1957年発売 (?)
焦点距離/レンズ銘板:58㎜、絞り値:f1.9〜f22/V,△S刻印付
絞り羽根枚数:14枚
最短撮影距離:0.6m
筐体材質:アルミ合金材
距離環/指標値環/マウント部:山谷/一体型/すぼみ長形切削

後期型−Ⅲ」Meyer-Optik Görlitz製:1958年発売 (?)
焦点距離/レンズ銘板:58㎜、絞り値:f1.9〜f22/V,△S刻印付
絞り羽根枚数:14枚
最短撮影距離:0.6m
筐体材質:アルミ合金材
距離環/指標値環/マウント部:山谷/一体型/すぼみ長形切削

以下は番外編/二重レンズ銘板装着の検証分としての掲載・・・・・・、

中期型−Ⅱ」Meyer-Optik Görlitz製:A-traplan/Imoplan
焦点距離/レンズ銘板:58㎜、絞り値:f1.9〜f22/V刻印有
絞り羽根枚数:14枚
最短撮影距離:0.75m
筐体材質:アルミ合金材
距離環/指標値環/マウント部:山谷/一体型/すぼみ切削

中期型−Ⅰ」C. Z. Jena製:Biotar 58mm/f2 ♢
焦点距離/レンズ銘板:58㎜、絞り値:f2〜f22/♢刻印有
絞り羽根枚数:12枚
最短撮影距離:0.5m
筐体材質:アルミ合金材
距離環/指標値環/マウント部:山谷/一体型/平面切削

・・こんな感じになりました。これらモデルバリエーションを区分けする際に注目した要素は「光学系設計内部構造の変遷」と言う二方向から同時に調査していった捉え方になるので、ネット上で解説されている数多くの捉え方とは全く次元が違います(汗)

順番に詳細を解説していくと、先ず「初期型」の頃は「Primoplanシリーズ登場の黎明期」として捉えたので、のライカ判L39マウント向けや旧CONTAXマウント向け製品の登場には肯けます。その後、本格的にフィルム印画紙直前に大型のクィックリターンミラーを配置した一眼 (レフ) フィルムカメラの登場に際し、バックフォーカス確保の必要性から「焦点距離
58㎜」として光学設計を変更せざるを得なくなった経緯も、十分時流に乗った話として
納得できます

ドイツ敗戦後の早い時期に戦前~戦中まで主流だった真鍮製/ブラス製材料に頼った生産を見直し、戦中に新たに革新が進んだアルミ合金材の登場から戦後すぐにそれら金属材による設計へと、大きく舵を切ったのも十分自然な流れです (違和感を感じない)。

そこでアルミ合金材活用の最初の製品として、今回扱った個体たる「前期型−Ⅰ」の登場に至ります。今回扱った個体がまさにその経緯を当方に知らしめてくれた (本当にラッキ~な) 恵まれた機会になりましたが(涙)、実は今回の個体を完全解体したところ「アルミ合金材の切削加工レベルが悪すぎる/粗すぎる」と言う、切削後の面取加工まで含めた状況について明確な事実を検証できた点です。

これは以前、金属加工会社の社長さんを取材した際に聞き得た知識でしたが、例えば当時のロシアンレンズなどをバラしていても「戦中~戦後は、アルミ合金材の加工技術革新に製造環境の相違が明確に現れていた時代」との事でした。日本で言えば戦後すぐのNikon (大日本帝国海軍御用達) やCanon、MINOLTA、OLYMPUS辺りの光学メーカーと、同じように戦前から活躍していた東京光学 (大日本帝国陸軍御用達)、或いは戦後に登場した栗林写真工業など、いわゆるカメラメーカー (計測機械分野が元々得意分野だったハズ) との比較ですぐに分かります (MIRANDAは前者に入る)。工業機械の面から捉えて切削加工に合わせてその後の面取加工まで含めると、その会社の捉え方/概念が見えてくるらしいです。

光学メーカーなど前者の場合は、各連携パーツも含めた凡そ内部の多くの構成パーツについて面取加工レベルは一定基準を強いますが、一方で後者は他のパーツとの連携時に影響を来すパーツにだけこだわります(笑)・・まるで対極を成すかのようにそれら工業機械設備と、そこから派生する組立工程のストーリーまで見据えると「製造会社の性格がモロに顕れる」のを理解しました(笑)

そのような背景まで知ると、今回扱ったのバリエーションには「同じ前期型」の範疇に入るとしても「内部パーツの加工面で明確な差が現れてしまった」経緯から「2つに区分を分けた」次第です。今回の個体は明らかに面取加工技術がまだ劣り粗いですが「その後に出荷された僅か15番違いの製造番号」たるの個体とは、明らかに面取加工と内部パーツのメッキ加工について明確な差/相違を確認できました (の個体も当方で完全解体しオーバーホールしているから明言できる/決して憶測ではない/当方ブログページの掲載を見れば歴然の話)(驚)

例え僅か15番しか遅い製造番号の符番だったとしても、そこに加工の差が現れれば「それはイコール製造工場の機械設備が更新された証拠」だからです (時間をかければ細かく工程を進められると言う次元の話ではない要素だから)。このお話は取材で伺い初めて知識を得ました。多人数でゴシゴシ細部の仕上げに専念できていたのはせいぜい戦中の話で、戦後の需要拡大の勢いはそれら軍需製品の勢いを超越しており「需要と供給=利潤追求」からすれば、特に敗戦後すぐの旧東ドイツにとり機械化/合理化/短縮化/高益化の追求は必至の流れだったようです (翌年を迎えられるか否かが掛かっていたほどに切迫した状況だったのが1960年に入る前の旧東ドイツの状況)(汗)・・これは経済格差の増大による「旧西ドイツ側への逃亡者増大に対処する必要から敷設されたベルリンの壁 (1961年11月敷設スタート)」の背景もその裏付けに十分なり得ます。

そこに今回のオールドレンズのメーカーたる「Meyer-Optik Görlitz (ドイツ敗戦後の話)」のポジショニングを重ね合わせれば、自ずとタイミング的に政府高官との繋がりを絶たれてしまっていた戦後すぐの「軍需産業VEB局」編入時期から、後に自社工場を戦前には競合相手だったCarl Zeiss Jenaに売却してしまう事で「念願の光学精密器械VEB局」編入を叶えると
言う経営者にとり断腸の決断だった経緯により、その後のMeyer-Optik Görlitzの民生品開発/生産に勢いを増した時期が重なってしまったからです(驚)

・・このような機会を実際に確認できたのは本当に幸運でした!(涙)

まさに今回、これらの様々な角度からの背景がピタリと重なり、そのタイミングからして自社工場に戦時中から使用していた機械設備しか無い状況下で造られた今回の個体だったのに対し
工場売却後その前提条件として購入させられたCarl Zeiss Jena製機械設備による即時増産体制構築に急いで舵を切ったバックボーンが見えてきました (これらの流れは以前に旧東ドイツ研究者の論文を複数読み漁って勉強しました/つまり各産業工業分野を跨いでいた話)(涙)

その後のMeyer-Optik Görlitzが辿った運命は当方の別のブログで細かく解説していますが(涙)「悲運のメーカーMeyer-Optik Görlitz」真っ盛りだったのが浮かんできました(涙)

従ってこの後、バリエーションで言うには、一部に今回扱った個体たると近似した状況が確認できると思いますが (バラしてないので確証なし)、如何せん製造番号がかけ離れている点から「製造番号事前割当制」と言う、旧ソ連邦指揮下で強制的に社会制御されていた「産業工業5カ年計画」のレールを走らされる立場からすれば、必然的に「必ずしも製造番号はシリアル値の順で生産していなかった」のが明白です (後から製造番号順に並べると、新旧モデルが入り混じってしまう不整合な現実/戦後の多くの国で当たり前の習慣に変わった/日本でも例外なし)・・いわゆる「大量生産/増産体制確保/需給機会損失」との当時の命題に思い至るなら
(日本で言う処の高度経済成長時代) 当時は何処の国でも似たりよったりの状況です(笑)

ちなみに「前期型−Ⅳ 」だけは筐体外装の切削内容が変わったので、別のバリエーションに据えています。その後バリエーションの進行が進みますが、多くが筐体外装の遷移だった「中期型−Ⅰ 中期型−Ⅳ 」の中にあって、唯一「中期型−Ⅲ 」だけは、この掲載写真の個体を発見したその時だけしか確認できておらず、現在は不明です(涙)・・最短撮影距離が「65cm」に変わっているので、必然的に光学再設計を強いられていたハズですが、分かりません。

また最後の「後期型−Ⅰ 後期型−Ⅲ 」については、バリエーションの遷移の最初の段階て一度光学設計を「最短撮影距離60cm」に改めつつ、しかしその後は筐体外装どころか「まるでレンズ銘板の挿げ替え大会」の如く、お金をかけずに生産/出荷に魅力を感じていた
ようにすら見えてしまいます(笑)

なお最後に「後期型−Ⅲ 」として同じ諸元項目ながら単独で区分けしているのは「符番の
製造番号帯があまりにも離れすぎている為
」で、どうしてこの番号までの中間番号帯の個体が1本も現れないのか「???」です(泣)

Meyer-Optik Görlitzはこの後ゼブラ柄時代を迎えますが、その時を同じくして「Carl Zeiss
Jenaからのご下令で直属上司たるPENTACON向け製品開発/供給
」を強いられてしまい、時は1968年に至り、ついに戦後数十年間イヤダイヤダと首を横に振り続けてきたのに、何だかんだ言っても「お金が総て!」なので(笑) Meyer-Optik Görlitzはとうとう社を畳みCarl Zeiss
Jenaに吸収合併し消滅していきました(涙)

思えば(涙)・・敗戦時の1945年に頼みの綱としていたナチス政権高官とのコネクションを失い、よりによって軍需産業VEB局に編入されてしまい、軍需製品の開発/生産に勤しむ道を強いられ(涙)、細々と民生向け光学製品を開発/製造したくとも「お金がない!」状況下、戦前に肩を並べるほどにまで上り詰めた競合相手のCarl Zeiss Jenaに頼るしかなく、自社工場を全て売却してしまったのがその後の辿るべき道を決めてしまいました(泣)

今でこそ何処ぞの国が「債務の罠」として多くの弱い国を手中に収めていますが(怖)、まるで同じ状況の中、ただただPENTACON (産業工業5カ年計画の体系組織図の中で、いわゆる直属の上司にあたる) 向け製品の供給を強いられ、気づけば1968年後半には「一眼 (レフ) フィルムカメラの取扱説明書から、そのオプション交換レンズ群一覧表にMeyer-Optik Görlitz銘が消えてしまっていた (全てPENTACON銘に替えられていた)」事実からしても、どんなにか悔しい思いしか元従業員にすら残っていなかったのではないかと涙を誘います(涙)・・ましてや経営者たるや、幾ばくかの想いだったかやるせない気持ちです(涙)

・・当方も同じですが(笑)、人生勝ち組に入るか、負け組だったのか唸ってしまいますね(涙)

なおモデルバリエーションで番外編とした付番したは、市場でも時々流れますが「単なるレンズ銘板の挿げ替え個体」でしかなく、いったいその事実にどれだけの希少性と価値を見出すのかは個人の問題だと思います(笑)

これは戦前のMeyer-Optik Görlitzが、まだ当時のCarl Zeiss Jenaと特に大判/中判辺りのフォーマットで張り合っていた頃にはあり得なかった話ですが(笑)、戦後工場をCarl Zeiss Jenaに売却してしまった頃から、その行動が「らしくない」と見受けられ(笑)、当時戦後に既にCarl Zeiss Jenaが自身の製品群に執っていた「西欧諸国向け輸出額の向上」について、旧西ドイツ側oberkochenのCarl Zeissからの制約を受けていた時、自身の製品群から正規のレンズ銘板を隠して「その上に西欧諸国向け輸出専用レンズ銘板を被せていた」所為の一環として・・Meyer-Optik Görlitzお前もか?!(涙)・・と言っても半ば強制的な話だったのでしょうが、レンズ銘板を二重にネジ込んでいました(笑)

これは実際にCarl Zeiss Jenaの個体のほうで確認済なので、同じ手法を執ったにすぎません。その意味で、はたしてどれだけの希少性に伴う価値を見出すのかは個人の趣向に依る処大だと考えますが(笑)、然しもう少し名称を考えても良かたのではないかと勘ぐったりします(笑)・・「A-traplan」ってまさかトラップ???(驚)、さらにさらに「Imoplan」ってイモなのか
的な、それこそ日本人からすればこその話ですが(笑)、両方とも登録商標権の状況から仕方なくその名称に挿げ替えていた、米国向け輸出個体に於ける「二重レンズ銘板騒ぎ」です。
(欧州内には正規には出ていない/裏の流出は知りません)(笑)

  ●               

次にここで冒頭で消化不良だった「Primoplan光学系はエルノスター型光学系の発展系なのか???」について考察していきたいと思います (未だに諦められずしつこい)(笑)

↑上の図は戦前のZEISS IKON AGから出願されたドイツ特許庁宛特許出願申請書ですが「DE458499C (1924年7月22日申請/1928年4月13日承認)」であり、その発明者名は「LUDWIG BERTELE (Ludwig Jakob Bertele:ルートヴィッヒ・ヤコブ・ベルテレ)」名になっており、この発明により「開放f値f2.0」で十分な中心部の解像度を確保できたと同時に、合わせて周辺域での収差改善まで満足できる結果に至ったと説明しています。

実はこの特許出願申請書認可の直前Ernemann-Krupp Kinoapparateが設立されていたものの、そのカメラ部門だけが独立してDresdenに移転してしまいHeinrich Ernemann AG (ハインリッヒ・エルネマン) 社が開設されました。後の時代にPENTACON本社屋にもなった彼の有名な「Ernemman Tower (エルネマンタワー)」を建てています (古い建物ではなくその時点で設計され建築されている)。

この時1922年にLUDWIG BERTELE (ベルテレ) が入社すると、その翌年には「Ernostar 10cm/f2」が開発され、すぐに1924年には「Ernostar 8.5cm/f1.8」が誕生し、中国向けの輸出用リジーカメラ「ERNOMAX」が開発/生産されました (右写真/8.5cmを実装の1928年製品)。

これらは全て固定式レンズ方式だったものの、当時としては最高速の明るさを誇り、室内撮影でも焚く方式のフラッシュ無しに手持ち撮影できていたようです(驚)

すると上に掲載した1924年出願の特許出願申請書ですが、発明者名から間違いなくベルテレの発案です。当時3群3枚トリプレット型光学系構成から口径拡大を狙い正レンズを前面配置した「Gundlach Ultrastigmat (ガンドラック・ウルトラアナスティグマート)」光学系が開発され、その両方 (トリプレットとガンドラック・ウルトラアナスティグマート) を単独の接合素子レンズの役目に置き換える発想を発案し、同時に画角を改善させつつも、合わせて前群要素の凸レンズ (凸メニスカス/凹メニスカスいずれでも) に於ける「aplanat (アプラナート)」である事を活用する事に思い至り「Ernostar型光学系」が開発されました(涙)

従って例え固定式レンズとしても、確実に当時最速を謡えていた製品化が適っている時点で、既にベルテレが入社した年の1922年に特許出願申請した「DE401275C (1922年2月19日申請/1924年/8月30日認可)」或いは「DE401274C (1922年1月14日申請/1924年8月30日認可)」を経て、ついに「DE458499C (1924年7月22日申請/1928年4月13日承認)」のエルノスター型構成に行き着いたストーリーが顕になります(涙)

そこでこれら特許出願申請書の内容を読むにつけ、詳細まで理解できていませんが流れ的にはエルノスター型誕生の背景と、合わせて当時Hugo Meyerでのベルテレ後塵を拝した光学設計主任による開発経緯の、実に数歩先をとっくに闊歩していた/製品化まで体現していた事実に
遭遇せざるを得ません(笑)・・なんだかんだ言って、本当にベルテレって凄いですね!(驚)

そしてついにここからが今回扱った「Primoplan光学系との繋がり」の話ですが(笑)、ベルテレはその後にZEISS IKONに移ってからすぐにゾナー型へと発明を進めていきますが、その一方でMeyer Görlitzでは去ったベルテレの後塵を拝した「Paul Schäfter (ポール・シェーファー)」光学設計チームに居た「Stephan Roeschlein (シュテファン・ロシュライン) とKurt KIRCHHOFF (クルト・キルヒホフ)」2人の共同作業的な発案で開発されたのが、どうやら
元祖Primoplan型光学系」だったようです。

後にRoeschleinがMeyer-Optik Görlitzを去ると自らの光学設計開発会社を創立し「ROESCHLEIN KREUZNACH Optisches Co., (ロシュライン・クロイツナッハ)」とし、1980年代直前まで精力的に数多くの光学レンズを開発していたようです (特許出願申請書は1970年代まで残っています)。

自らの会社で自ら生み出したBRAUN社製レンジファインダーカメラPaxetteシリーズ向け標準レンズLuxon 50mm/f2 (M39)」こそがまさに「Primoplanに瓜二つ」の光学設計を採る弟たる存在なのが
分かります (右構成図)(涙)

当方が注目した要素は、エルノスター型からの正当進化とすれば絞りユニットを挟む前後のパワー配分で「凹メニスカス/両凹メニスカス」が後群側に移ってしまった概念に、どうしてもエルノスター型光学系からの正統進化論を納得できずに居ます(涙)

上の右構成図は以前扱った際のオーバーホールで完全解体した時に、光学系の清掃時当方の手によりデジタルノギスを使い逐一全ての光学硝子レンズを計測したトレース図です。

↑上の光学系構成図は、前述のベルテレが特許出願申請した時のエルノスター型光学系構成のトレース図 (左) と、合わせて右が「ERNEMMAN ERNOSTAR D.R.P. 8.5cm/f1.8」からの
トレース図です。

↑上の構成図は、いずれもMeyer-Optik Görlitz製「Primoplanシリーズ」のモデルバリエーション別に、それぞれのバリエーションをオーバーホールで完全解体した際、その光学系清掃時に当方の手によりデジタルノギスを使い逐一全ての光学硝子レンズを計測したトレース図です。

左端から順に戦前ドイツ特許出願申請書DE 1387593に掲載の構成図からトレースした図と、2番目から順に「前期型−Ⅰ 前期型−Ⅳ 」また3番目が「後期型−Ⅰ 」と最後はシリーズ最後の光学設計たる「 後期型−Ⅱ 後期型−Ⅲ 」の、それぞれオーバーホール時の計測値に基づくトレース図です。

これらの比較から、当方にとりどうしても前後パワー配分で「凹メニスカスの位置がひっくり返る」設計の整合性がとれていないのです(涙) どう考えてもエルノスター型光学系に居たハズの第3群凹メニスカスが、Primoplan型構成での前群内第2群の貼り合わせレンズで「3枚目の凸メニスカスに変化する根拠と整合性」に繋がらず、全く以て理解に苦しんでいます(涙)

もっと言えば、例えばPrimoplan型の各モデルバリエーションで変遷していく最短撮影距離の問題で、ちゃんと前後群の配置で「絞りユニットを挟んだ間の空間が変異している」点で、
どうしても光学系前後群でのパワー配分を完全無視したまま・・そうですすか・・と概念を
受け入れられない自分が居ます(涙)

ではなぜ一番最後に登場したのであろう「Stephan RoeschleinのPrimoplanの光学系は、前後があんなに接近しているのか???」と問われれば、それは単純にPaxette向け製品なので、バックフォーカスが短いからだと捉えています(汗)

その点が素直に「エルノスター型光学系から発展したのがPrimoplan型」と喜べていない要素です・・誠に申し訳ございません!(涙)

では、この「Primoplan型光学系構成」は何処から発展したのかと言えば、純粋にStephan Roeschlein達2人が協力しあって開発した光学系なのではないかとみています(涙)・・そもそもMeyer-Optik Görlitzでは特許出願申請書には多くの場合で「発明者」記載がなく、合わせてその後の開発責任者名で検索しても一切ヒットしませんでした。この事実をどう説明できるのかが自分の中で全くまとまっていないのです(涙)

従って、それこそがStephan Roeschleinが自分の会社で瓜二つの光学設計を胸を張って仕上げられた経緯なのではないかと受け取っています。

・・つまり「Primoplanは唯一無二のPrimoplanなのだ!」と信じてやみません(笑)

確かにベルテレのように時流を自らのチカラで創り上げ、世界の光学製品発展に系統樹をちゃんと用意できた発明者は、その名を歴史に残すのでしょうが、ベルテレのゾナーとは打って変わって、そのまま歴史の波間に消えていった「Primoplan型光学系」の存在は、その良し悪しを別にしてもあまり振り返られないロマンなのかも知れません(涙)

・・でも当方は決して低画質とは決めつけず、これもオールドレンズの味の一つと信じます。

世の中「Primoplanシリーズ」のような未完成の画が持て囃されている点に我慢ならない方がいらっしゃるようですが(怖)、当方からすれば真逆の言い分で(笑)、たかがオールドレンズ如きに画の隅々までその検証をしてまで良し悪しを決めつけたがる考えは一切なく、むしろ盛大に収差が暴れまくり翻弄されようとも、それこそがオールドレンズの楽しみであって味ではないかと捉えています。

もっと言うなら、画質至上主義も然る事乍ら、ならばそのオールドレンズ達が辿ってきた
長き古の時にロマンの想いを馳せて、酒の肴にして涙していたって良いではありませんか!
・・それを画質の検証で良し悪しを「宣言・・世に知らしめてしまう」悪どさに、はたして
そのオールドレンズの影に「父の面影」を追う人達だって居る事を、その心情まで察してあげたって良いではないかと・・言いたいですね!!!

・・そういう眺め方だってオールドレンズにはあるのです!(怒)

従って、プロの写真家様が「まるでオールドレンズのセオリ~」の如くハイキ~な写真ばかり撮って解説している様を目にしたり、バブルボケと此れ見よがしに玉ボケばかり載せていたり (だから世界中で玉ボケ=bokehとの認識に捉えられ始めてしまった!)(笑)、そう言う偏った角度からばかりオールドレンズを眺めさせる/強いる魂胆はマジッで如何なものかと思いますね。

いわゆる「インスタ映え」流行りの、最終コーナーを周っているような話なのでしょうが(笑)
そんな金銭感覚に頼った低俗な卑しさにオールドレンズに対する(オールドレンズ沼に対する) 飽くなき探究心を、貶されるのも心外だったりします。

確かにライカレンズが最高で唯一無二なのは十分理解できますし、猫も杓子も「Planar!
Planar!
」と宣うのも決して反論しませんが、だからと言って巷の界隈で屯しているオールドレンズ達を「面と向かって貶す」・・のは、まさに人としてどうなのかと思いますね(笑)

・・画質が悪かろうが何だろうが惹かれるのは個人の自由!!!

でいたいと最近特に思います・・(涙)

オーバーホールのため解体した後、組み立てていく工程写真を解説を交え掲載していきます。すべて解体したパーツの全景写真です。

↑ここからは解体したパーツを使って実際に組み立てていく工程に入ります。完全解体が終わった全景写真ですが、内部構造は冒頭のモデルバリエーションで言う処の「前期型−Ⅰ 」及び僅か製造番号が15番違いと言う、本当にラッキ〜な状況だった「前期型−Ⅱ 」について、バラしてみれば内部構造はとても近似しています。

しかし唯一、そして明白な相違点がこの2つの個体には顕在し「マウント部直前の指標値環の設計の相違」及び決定的な違いとして「ヘリコイド制限方式の違い」の2点に於いて、バラす立場から捉えたモデルバリエーションの相違として区分している事を、改めて申し上げておきます。従って、外見からは相違点を把握できないとのクレームは確かに理解できますが、あくまでも当方の立場からの捉え方として、ご理解頂けると助かります(汗)

↑つい先日、ハードディスクがクラッシュしてしまったので(泣)、2020年以降の3年間の記録データ全てがスッ飛んでしまい(涙)、仕方なく現在このブログに掲載している「15番違いの個体のオーバーホール状況」から転載して解説していきます・・申し訳ございません。上の写真は、その15番違いの同じ「前期型−Ⅱ 」の個体を完全解体した時の全景写真です。今回扱った一つ前の全景写真と比べると、幾つかの内部構成パーツに於いてメッキ加工が施されている相違点が顕在します。

↑こちらの写真は今回扱った個体をバラ当初バラし始めた時の、単にバラしてからまだ溶剤で洗浄する前の「ヘリコイドメス側パーツと距離環」です。写真撮影がド下手なので上手く撮れていませんが(汗)、過去メンテナンス時に塗布された「白色系グリース」が既に変質して「濃いグレー状」に変わっています。またその塗られた「白色系グリース」が過去メンテナンス時の時点で「古い黄褐色系グリースを全く除去せずに、その上から塗り足していた」事実も、ご覧の通り明るみに至ります(汗)

今でもこのような整備が日本国内で横行していますが(笑)、このような整備をプロ業界では「グリースの補充」と呼称しているらしいです(怖)

当方は決してプロではないので(笑)、そのようなプロに師事して伝統的技術の伝授を受けていない為、確かにSNSなどで批判されているように・・マニアにもなれなかった「整備者モドキ/整備者崩れ」・・なのは間違いありません(笑)

・・従って自分の技術に信用が無いので必ず全て溶剤で洗浄してから工程を進めています(笑)

↑今回の個体から取り出した、絞りユニットや光学系前後群が格納される「鏡筒」です。赤色矢印で指し示している箇所は全て「面取加工が粗くてティッシュで拭うとボロボロにティッシュになる」箇所です(泣) 旧東ドイツの初期の頃のアルミ合金材加工レベルは、戦後スグと言う状況も影響して向上機械設備がまだまだ適切に稼働していなかったと推察されます(涙)

↑一方こちらは僅か15番違い (今回の個体よりさらに新しい製造番号との意味) の同じ前期型モデルですが、冒頭モデルバリエーションでは「前期型−Ⅱ 」と敢えて区分けしました。先ずはその理由ですが、ご覧の通りそもそも面取加工レベルが別次元で、既に他の一般的なオールドレンズ達と同一の技術レベルに到達しています。

これらは「技術レベル」と言っても、実のところ向上の機械設備の問題でしかなく、この相違点/事実から見えてきたのは「工場の機械設備が更新されて、切削と面取加工のレベルが向上した」事の裏付けではないかと今回考察しています。

なお、確かに製造番号だけで捉えれば「僅か15番違い」でしかありませんが、冒頭でも解説したとおり「製造番号事前割当制」が既にスタートしていたハズなので、必ずしも今回の個体を生産後すぐに次の生産ロットとして製造された個体が「前期型−Ⅱ 」とは限りません。

その意味で「製造番号事前割当制度」により結果的に後の時代になって (数十年後に) 製造番号を基に一列に並べると「新旧モデルが入り混じってしまい製造番号のシリアル値に対する信憑性が薄れてしまう」との問題点を生じています。しかし反面、製造メーカーに依る製造番号記録台帳が残っていれば、それら付番された製造番号と現実の個体との整合性は当然ながら確保されます・・あくまでも付番された製造番号の前後で、例えシリアル値だったとしてもモデルバリエーション上の連続性が担保されるべき話ではない事をご理解頂きたく思います

絞り羽根には表裏に「キー」と言う金属製突起棒が打ち込まれており (オールドレンズの中にはキーではなく穴が空いている場合や羽根の場合もある) その「キー」に役目が備わっています (必ず2種類の役目がある)。製産時点でこの「キー」は垂直状態で打ち込まれています。

位置決めキー
位置決め環」に刺さり絞り羽根の格納位置 (軸として機能する位置) を決めている役目のキー

開閉キー
開閉環」に刺さり絞り環操作に連動して絞り羽根の角度を変化させる役目のキー

位置決め環
絞り羽根の格納位置を確定させる「位置決めキー」が刺さる環 (リング/輪っか)

開閉環
絞り羽根の開閉角度を制御するために絞り環操作と連動して同時に回転する環

絞り羽根開閉幅
絞り羽根が閉じていく時の開口部の大きさ/広さ/面積を指し、光学系後群側への入射光量を決定づけている

↑14枚もある絞り羽根を組み付けて絞りユニットを鏡筒最深部に組み込んだところです。同様赤色矢印で指し示したとおり「開閉観葉C型固定環」或いは「鏡筒内壁/開閉環自体」すら面取加工が粗めです(涙)

↑こちらの写真は過去に扱った個体の「前期型−Ⅱ 」の、同様工程写真です・・「固定用C型環」の面取加工自体が全く別モノです (つまりその結果絞り羽根の開閉が大変スムーズに仕上がるのが担保される話と結論づけできる事を意味する!)(笑)

これこそが「観察と考察」なのであって、バラしたそれぞれの個体別に考察を進めなければ「適切な工程処理」が施されず「本来在るべき姿」からは、どんどん乖離していってしまいます(涙) だからこそ決してグリースだけの問題には片付けられないのです(笑)

↑今回扱った個体「前期型−Ⅰ 」から取り出した鏡筒に絞りユニットを全くセットしてから建てて撮影しました。写真上方向が前玉側方向にあたります。

するとやはりこの鏡筒外周ですから赤色矢印で指し示したように明白に面取加工が粗めです(泣)・・実は工程を進めている最中なので、既に当方の手により「僅かに面取加工を処置している」状況なので、バラした直後に溶剤で洗浄しただけのタイミングでは「もっと粗い」だったりします(笑)

当時のMeyer-Optik Görlitzの工場状況が目に浮かぶくらいなので (戦後すぐで資金がなく設備更新などできなかった)(涙)、そんな面取加工の多少などむしろ手を加えられる有難さにすら感じ入って、今回は工程を進めていきました (まさにこの上ない光栄です!)(涙)

↑以前扱った「前期型−Ⅱ 」の鏡筒を同じように建てて撮影していますが、横方向から見ただけで「ちゃんと挟まれている絞り羽根の端が見えている状況」であり、そもそも絞り羽根の厚みすら違っているのが判明します (オーバーホールのタイミングが違うので計測していない)(汗)・・そういう事柄も分かってくると言うお話です(笑)

↑今回の個体から取り出した光学系前後群を並べて撮影しました。既に当方による「磨き研磨」処置済です。同様に特にネジ山部分の切削が大変粗めで、過去メンテナンス時にここにグリースを塗ってネジ込んでいた事実すら判明してしまいました (よくヤル手法です)(笑)

↑取り外して光学清掃をほぼ終わらせて「最後の仕上げだけが残っている状況」で撮影した光学系第1群前玉の一体モールド成形ですが、ご覧の通りアルミ合金材部分はバタバタです (さすがに光学硝子レンズの近くは怖くて磨き研磨できません)(笑)・・コーティング層の反射光彩を塗って見る限り別の「前期型−Ⅱ 」と同系統ですが、多少薄めです。移っている線キズなどは台のキズなのでレンズ面ではありません(笑)

↑こちらが以前扱った「前期型−Ⅱ 」の同じ前玉ですが裏面側を撮っています。光彩自体は同系統ですが、多少こちらの個体のほうが濃いめです。

↑今回の個体から取り出した光学系第2群の貼り合わせレンズです (前玉側方向からの撮影)・・何しろPrimoplan型でこれだけスカッとクリアな貼り合わせレンズを見るのは、本当に久しぶりです!(驚) 同様写っているキズは台のキズです。

↑以前の個体の第2群貼り合わせレンズです。背景が違うので「???」ですが、今回の個体のコーティング層は光に斜め状に翳しても「ブル~系のコーティング層」に映るものの、こちらの個体は「薄いグリーン色に見える」印象だったのを覚えています。

↑今回の個体の後群側第3群です。ブル~系光彩ですね。多少拭きキズがあります

↑同様ひっくり返して後玉側方向を撮っています。裏面の絞りユニット側方向のコーティング層に残ってしまった拭きキズです(泣)

↑今回の個体から取り出した後玉です。淡いブル~系コーティング層の光彩です。

↑仕上げ清掃まで進めてから組み込んで完成させた今回の個体の鏡筒です。鏡筒横側面に丸穴が見えているのは「絞り環との連結用シリンダーネジがネジ込まれるネジ穴」です。

↑以前の個体「前期型−Ⅱ 」の鏡筒仕上がり状況です。光学系前群格納筒と後群格納筒の療法が「ちゃんと黒色メッキ加工」されていたのが分かりますね(涙)

生産時点のメッキ加工なら、バラした直後の溶剤による洗浄で退色したり除去できたりしません(笑)

↑完成した今回扱った個体の鏡筒をひっくり返して、今度は後玉側方向から撮影しています。するとやはり赤色矢印で指し示している箇所の面取加工が粗いです(泣)

さらに決定的な痕跡が鏡筒裏面に1箇所だけ残っている「半円形の穴の痕」です・・実はこれが減りの駆動方式を違えている「前期型−Ⅱ 」との「制御系の決定的な設計の違い」だったので、確かに外見上は同一のモデルバリエーションに見えるとしても、バラしてオーバーホールしている立場の当方からすれば「同じバリエーションタイプとの判定は下せない」のは曲げられません・・スミマセン(泣)

時々、こういう与件について誹謗中傷まがいのメールが着信するので (そう言うのに限って返信してもエラーになる)(笑)、いちいち面倒くさいですが、当方のポリシ~なので申し訳ございません。

↑絞り環用のベース環で、赤色矢印で指し示している箇所には複数の酸化/腐食/錆びが残っており「磨き研磨」しても既にアルミ合金材に侵食している為に完全除去できません。

逆に言うなら、各構成パーツの「磨き研磨」はネット上サイトで誹謗中傷されているようにピッカピカにする目的ではないので、あくまでも「経年の酸化/腐食/錆び除去による生産時点に近づけるのが最終目的 (結果平滑性が担保される)」ため、外から一切見えないのに磨いても意味がないとの批判は・・該当しませんね(笑)・・ッて言うか、そう言う批判ってな~んにも考えていなくて、あまりにも低俗すぎますが、まだ載っていますね(笑)

そういう誹謗中傷に当たる批判コメントを掲載し続けているサイト運営者自身も「誹謗中傷に伴う訴訟で訴えられる」現実が怖くないのでしょうか???・・当方はコワイです(怖) 少なくともコメント者よりも、むしろその該当する誹謗中傷を不特定多数に知らしめている事実を以て、いろいろ民事罰に当たるのを知らないのでしょうか???

↑絞り環用ベース環を組み込んでシリンダーネジにより鏡筒内部の開閉感と連結しました。その結果、この絞り環用ベース環が回ることで「具体的な絞り羽根開閉動作が実現できる」原理です (赤色矢印)。

シリンダーネジ
円柱の反対側にネジ部が備わり、ネジ部が締め付け固定される事で円柱部分が他のパーツと連携させる能力を持ち、互いにチカラの伝達が実現できる役目として使う特殊ネジ

従ってこのネジ種が内部使われていた場合、一番最初にオールドレンズをバラす際に「反対方向に本当に回してしまって大丈夫なのか???」との考察と判定が必須になります。

何故なら、ご覧のようにこのネジ種の「軸部分は僅か1㎜にも満たない!」からで、下手に目いっぱいなチカラを加えてしまえば、容易にパキンッ!と破断してしまいます(怖)

・・完全解体にはそういう恐怖感ず必ず憑き物です!(怖)

↑こちらは以前扱った「前期型−Ⅱ 」の同じ工程シ~ン撮影ですが、シリンダーネジの挿入箇所を削っているのが分かります・・ここから見えてくるのは「シリンダーネジが生産時点のネジとは違う代替ネジかも知れない???」と言う話で(笑)、ちゃんと設計通りならこのように突出しすぎて削る必要がありません(笑)

↑さらに今回の個体に今度は「ヘリコイドオス側」を組み込んだ状態です (赤色矢印)。下部には「直進キーガイド」と言う切り欠き/スリット/溝が備わります。

↑同じように過去扱い品の方の同一工程でも似たような仕上がりに至っています。ちゃんと「直進キーガイド」も備わるので同じなのですが、撮影時の角度が悪いです(汗)

↑さて、ようやくここまで来ました!(笑)・・今回扱った個体がモデルバリエーションで言う処の「前期型−Ⅰ 」と区分けを違える必要性が生じた根本的な根拠です。

マウント部が指標値環部分と独立していて「2つの構成パーツに分かれていた」のです!(驚) たかがパーツの問題で何を大騒ぎするのかと批判されるのですが(笑)、バラしている立場からすれば隠しようがない事実でしかありません(笑)

↑こちらの写真は以前扱った「前期型−Ⅱ 」のマウント部写真で、一体切削です (指標値環は外れませんし内径部分の切削自体が別モノです/つまり内径が違う)。

↑今回の個体の「距離環やマウント部が組み付けられる基台」です。両サイドに大きなネジ穴で「直進キー用のネジ穴」が備わります (グリーン色矢印)。この設計仕様は以前扱った「前期型―Ⅱ 」でも100%同一なのですが、実は上の写真で赤色矢印で指し示している「制限キー用の穴」がこのⅠに備わる時点で「この個体と以前の15番違いの個体とは、そもそもヘリコイドオスメスの駆動域を制限する設計概念が別モノなのが判明してしまう!」ワケです(驚)

このような駆動系の設計概念が違う時点で、どんなに外見上が近似していても「同じモデルバリエーションとは区切れない」次第で、どのように批判されようとも当方の判定は曲げられません・・申し訳ございません。

如何にもバラして整備している事を誇張的にこのブログで自慢しまくっているが、そんな内容は外見からは決して判断を下せず、ウソ偽りと言われても仕方ないとの誹謗中傷メールが着信しますが(笑)、残念ながら当方のポリシ~は変わらず、それを言うならお門違いで「整備している他の人が今までの何十年間もちゃんと相違点を世に知らしめてこなかった、その為体のほうが問題なのではないか???」と述べさせて頂きます(笑)

逆に言うなら、当方のこのブログは決して自身の整備スキルに対する自慢話ではなく(笑)、むしろこれだけ長大な超長文で語られまくられたら「普通一般の人達には読破するのは容易ならず、苦痛でしたかない!」のは自明の理です(笑)

・・それを強いてでもこれら研究結果は後世に残すべきとの気概から記録している次第です。

従って執拗に誹謗中傷メールを送信してくる「アナタ」のほうが心の器が相当狭いのではないかと、当方からは見えて仕方ありませんね(笑)

↑この基台に減りメス側を無限遠位置のアタリを付けた場所までネジ込みます。最後までネジ込んでしまうと無限遠が出ません (合焦しません)。

↑ネジ込んだ基台に、今度は鏡筒外回りに用意されたヘリコイドオス側を、やはり無限遠位置のアタリを付けた正しいポジションでネジ込みます。このモデルは全部で9箇所のネジ込み位置があるので、さすがにここをミスると最後に無限遠が出ず (合焦せず) 再びバラしてここまで戻るハメに陥ります。

するとご覧のように両サイドから「太い直進キーネジ」が刺さり、基台を貫いて共闘側ヘリコイドオスの下部に備わる「直進キーガイド」の溝に刺さって、ヘリコイドオス側が回されることにより「回転するチカラ」直進キーの箇所で「直進動するチカラ」に即座に変換されるので、距離環を回すと「鏡筒の繰り出し/収納が実現できる」原理です。

従って、今回の個体も当初バラした際に、この直進キーや直進キーガイドに「白色系グリース」を塗りまくっていましたが(笑)、一切意味がありません・・何故なら、この直進キー機構部には「距離環を回した時の指から伝わったチカラが残らない/留められない/そのまま瞬時に変換されて伝達されてしまう」からこそ、軽いトルクのまま仕上げられるワケで、全く以て「原理原則」を見誤っています(笑)

むしろそう言う必要外のグリースを塗ったくってしまう事で、経年でオールドレンズ内部に廻る揮発油成分予備軍を用意してあげている話で「一体何のために整備しているのか???」と逆質したい気持ちです(笑)

↑こちらは過去に扱った「前期型−Ⅱ 」の同一工程シ~ンですが、実はグリーン色矢印で指し示しているとおり「制限キーの位置が全く違うヘリコイドオスメスの駆動域を決める概念が全く異なる設計」なのが、たったこのネジ一つだけで決定づけられるのです。

僅か15番意地会の製造番号ながら「制限キーを横方向に設けた」と言うのは、ヘリコイドオスメスの駆動域を「鏡胴内の内壁/側面」に用意した引っかかりによって制限する設計に変更した事の「」です。一方今回扱ったタイプの「制限キー」は、共同に対して「直進方向」の位置に、駆動域を限定する引っかかりを用意していたので「そもそもヘリコイドオスメスの駆動域制御の設計が全く別モノ」と言う話に至ります。

今回モデルバリエーションを一つ追加して「前期型」をより細かく増やしたのは、このような背景が在ったからこそであり、決して憶測や思い込みだけで他のネット上で解説している内容を違えているワケではありません(笑)

↑基台を組み込んで、いよいよ「らしく」なりました(笑)・・こうなるとマウント部直前の「指標値環が独立していた事実」を発見するのがなかなか大変そうですが、実は指標値環を締め付け固定する「イモネジ3本が均等配置で外周に備わる」ので、逃げようがない現実です(笑)

上の写真では、指標値環刻印指標値の左側「22と16の間に1つイモネジが刺さっている穴が在る」のです。

↑こたらは15番違いの個体写真ですが、ご覧の通り前述のイモネジが居ませんね(笑)・・つまりは「マウント部と一体切削なのが外見からでもちゃんと見分けがつく」のです(笑)

↑この後は絞り環をセットして無限遠位置確認・光軸確認・絞り羽根開閉幅の確認 (解説:無限遠位置確認・光軸確認・絞り羽根開閉幅確認についてで解説しています) をそれぞれ執り行い、最後にフィルター枠とレンズ銘板をセットすれば完成です。

DOHヘッダー

ここからは完璧なオーバーホール/修理が完了したオールドレンズの写真になります。

↑完璧なオーバーホール/修理が終わっています。今回、このような恵まれた、そして大変ラッキ〜な機会を与えてくださったご依頼者様に、改めてお礼と感謝の思いを述べます・・本当にありがとう御座いました! たったの「15番違いの製造番号」だったなんて、本当に奇跡的な話です!(驚)

しかもそれでいて内部の切削と面取加工の違いが顕になり、合わせて設計の相違点まで明白に至り「隠れたモデルバリエーションの事実を世界中に知らしめられた」のは、決して外見からだけでは判定できない分、とても貴重な経験でした(涙)

・・今回のオーバーホール/修理がどんなに楽しかったことか???(笑)
・・ありがとう御座います!!!

特に希少価値が高いと事前に分かっているような銘玉中の銘玉ではなくても、このように存分に「本来の価値」或いは「その人にとっての価値」を見出だせる事こそが最も重要で意義ある話なのではないかと、誹謗中傷メール着信にも挫けずに(笑)、これからも皆様に長大な苦痛を強いながらも研究を続けていきたいと心新たにしました!(涙)

カラダの現状から、あとどのくらい生き永らえるのか分かりませんが(笑)、決して人様に誇れる人生ではなかったので何処にも何一つ残りませんが(笑)、ヤレるだけヤルだけです!(笑)・・せめてそれこそが昭和世代の気概の端くれでしょうか???(笑)

↑Primoplanでこれだけ光学系内の透明度が高い個体をあま見た記憶がありません(驚)・・LED光照射でもコーティング層経年劣化に伴う極薄いクモリすら皆無です。複数の微細な「気泡」が残っていますが、普通の写真には一切影響しないものの、玉ボケのような写真にはその内側にこの点状がポツポツと写り込むこともありえます。

気泡
光学硝子材精製時に、適正な高温度帯に一定時間到達し続け維持していたことを示す「」と捉えていたので、当時の光学メーカーは正常品として「気泡」を含む個体を出荷していました (写真に影響なし)。

↑問題の両凹メニスカスと言うか両凹レンズが組み込まれている後群側です(笑)・・もちろんスカッとクリアです!(驚)

↑正直な話、この絞り羽根の組み込みと絞りユニットの微調整/仕上げのほうが相当に厄介で大変でした(涙)・・はい、冒頭解説のとおり「面取加工が粗い」因果関係が影響して絞り環操作、ひいては絞り羽根駆動に多大な抵抗/負荷/摩擦を与えているのが判明し「製品の延命処置を施すべき」との思いから、徹底的に処置した次第です。

従って現状は軽い操作性で絞り羽根開閉が適いますが、一つだけ「最小絞り値のf22には本当に僅かに詰まって停止する」感触です。これは最小絞り値側に近づくに従い絞り羽根同士が互いに重なり合い、その面積の増大から「膨張原理」が働き上方向に嵩んでくるからですが (全てのオールドレンズで同一の原理)、回転式なので仕方ありません。

それよりも経年劣化敦煌に伴い「キーの破断防御」のほうが必須との判定に至り、今回徹底的に処置しましたのでもぅ安心です!(笑)・・14枚の絞り羽根もキレイになり、絞り環共々確実に駆動しており、絞り羽根か閉じる際は「完璧な円形絞りを維持」したまま閉じていきます。

絞り環操作時は僅かにトルクを与えてスカスカ感に偏らないよう配慮して仕上げています(笑)

ここからは鏡胴の写真になりますが、経年の使用感が僅かに感じられるものの当方にて筐体外装の「磨きいれ」を施したので大変落ち着いた美しい仕上がりになっています。「エイジング処理済」なのですぐに酸化/腐食/錆びが生じたりしません。

当方ではヤフオク! で流行っている「抗菌剤/除菌剤による清掃」などは絶対に実施しません。これをやると薬剤に含まれている成分の一部が金属の表層面に対して酸化/腐食/錆びを促す結果に至るので、早ければ1年、遅くとも数年でポツポツと錆が表れ始めます。

詳細は厚労省の「新型コロナウイルスの消毒・除菌方法について」が詳しく解説しています。

↑塗布したヘリコイドグリースは当然ながら「黄褐色系グリース」を使い、ついものとおり当方独特なヌメヌメっとしたシットリ感漂う操作性に仕上がっています。ピント合わせの際は、掴んでいる指の腹に極僅かにチカラを伝えるだけで、ピントのピーク/山の前後動が適い撮影に没頭できる操作環に至っています。

赤色矢印で指し示した箇所は今回のオーバーホール/修理ご依頼内容の一つであった「フィルター枠の打痕」ですが、大変申し訳ございませんが「磨き研磨」でも消すことができませんでした。おそらく過去メンテナンス時に治具を使って打痕の変形を処置していると思いますが、何しろ「光学系第1群前玉がモールド一体成型」なので、下手なことはできません (破壊の懸念が在る)(怖)

可能な限り磨きましたが、これが当方の技術スキルでは限界です・・申し訳ございません。

オーバーホール/修理ご依頼者様皆様に告知しているとおり、もしもお届けしたオールドレンズの仕上がり状況にご満足頂けない場合は、そのご納得頂けない要素に対して「ご納得頂ける分の金額をご請求金額より減額」下さいませ。
減額頂ける最大値/MAX額は「ご請求金額まで (つまり無償扱い)」とし、大変申し訳御座いませんが当方による弁償などは対応できません・・申し訳御座いません。

↑今となっては、手から離れるのが哀しいくらいに何だか情が移ってしまい(笑)、最後に自分のためにこの佇まいを撮影しておきました!(笑) 手を離れてしまった今は、せめてこの写真を眺めながら「酒の肴」にしたいと思います(笑)

↑今回の個体がモデルバリエーション上で「前期型−Ⅰ 」の判定に至った根拠を列記していきます。

距離環ローレット (滑り止め) のジャギー仕上げ (山谷ではない)
マウント部直前指標値環が独立していて外れる
マウント部のローレット (滑り止め) がジャギー仕上げでマウントに向かい平面切削
内部のヘリコイドオスメス駆動域を決める制限域設計が異なっている

・・これら4つの根拠から、オーバーホールする立場の身の上に限定してモデルバリエーションの相違を判定しました。ネット上で一般的に語られている内容とは全く異なりますが、申し訳ございません。

↑今回のオーバーホール/修理ご依頼に当たり、このような機会を与えてくださったご依頼者様にお礼と感謝の念を込めてフィルターを加工しました。

《今回のオーバーホール/修理に際し附属するもの》
marumi製UVフィルター (新品)
本体『Primoplan 58mm/f1.9 《前期型−I》(exakta)』
汎用金属製exakta後キャップ (中古品/当初からの付属品)
汎用樹脂製被せ式前キャップ (中古品/当初からの付属品)
汎用樹脂製スナップ式前キャップ (新品)

実は撮影時に間に合わずのスナップ式前キャップが上の写真に写っていませんが(汗)、ちゃんと同梱しているのでどうぞよろしくお願い申し上げます。

また当方のこのブログでの一部案内がミスっていた為に、ご依頼者様や皆様にはご迷惑/ご不快を与えました事、ここにお詫び申し上げます・・申し訳ございません!!!(涙)

これら「前期型」のフィルター枠径は「⌀ 40.5㎜」ではなく、正しくは「⌀ 39.5㎜」です(汗)・・当初のオーバーホール/修理ご依頼内容の一つが「⌀ 40.5㎜のキャップが入らない」と御座いましたので、その時点でようやく気づきました!(汗)・・スミマセン!!!

そこで注文して取り寄せ、⌀ 40.0㎜のフィルターを加工しましのネジ山を削って「⌀ 39.5㎜のネジ山系に入るようにした」のですが、如何せん既に打痕でネジ山がわずかに歪になっている分、これ以上打痕修復適わず諦めました。

従って当然ながらこれらフィルターなどの新規付属品はご請求に含みません。むしろ当方の為体なオーバーホール状況に鑑み、是非とも減額をご検討頂きたくご判定をお待ちしております。

・・申し訳ございません!!!

↑このように⌀ 40㎜のネジ山を切削して合わせたので、外周廻りは見事にピタリですが「フィルター枠ネジ山の打痕変形によりフィルターの着脱は可能な限りご遠慮下さいませ」・・設計上、このフィルター枠部分は光学系前群格納筒になっているので、フィルターを外すつもりで回すとおそらく前玉ごと前群が回ってしまい外れます(怖)

するとせっかく光路長を適合させてあるのに狂う懸念があります (そのくらいギッチギチにフィルターが入っている/ネジ山の潰れと変形なのでどんなフィルターに入れ替えても同じ状況にしか至らない)・・ご留意下さいませ!(涙)

無限遠位置 (当初バラす前の位置に合致/僅かなオーバーインフ状態)、光軸 (偏心含む) 確認や絞り羽根の開閉幅 (開口部/入射光量) と絞り環絞り値との整合性を簡易検査具で確認済です。

もちろん光学系の光路長調整もキッチリ行ったので (簡易検査具によるチェックなので0.1mm単位や10倍の精度ではありません)、以下実写のとおり大変鋭いピント面を確保できました。電子検査機械を使ったチェックを期待される方は、是非ともプロのカメラ店様や修理専門会社様が手掛けたオールドレンズを手に入れて下さい当方の技術スキルは低いのでご期待には応えられません

↑当レンズによる最短撮影距離75cm付近での開放実写です。ピントはミニカーの手前側ヘッドライトの本当に「球部分」にしかピントが合っていません (このミニカーはラジコンカーなのでヘッドライトが点灯します)。カメラボディ側オート・ホワイト・バランス設定はOFFです。

各絞り値での「被写界深度の変化」をご確認頂く為に、ワザと故意にピントはミニカーの手前側ヘッドライトの本当に電球部分に合わせています。決して「前ピン」で撮っているワケではありませんし、光学系光学硝子レンズの格納位置や向きを間違えたりしている結果の描写でもありません (そんな事は組み立て工程の中で当然ながら判明します/簡易検査具で確認もして います)。またフード未装着なので場合によってはフレア気味だったりします。

↑絞り環を回して設定絞り値「f2.8」で撮影しています。

↑さらに回してf値「f4」で撮りました。

↑f値は「f5.6」に上がっています。

↑f値「f8」での撮影です。

↑f値「f11」です。

↑f値「f16」になました・・まだまだイケます!(笑) プロの写真家など、とんでもないハイキ~で撮影していますが、どうなんでしょうか (そういうオールドレンズに対する仕打ちってプロとして恥ずかしいと思いますね)???(笑) 当方はこういうクッキリ映る中にも様々な収差が隠れていて、しかも何処となく優しさが漂う写りにとても大きな魅力を感じます・・むしろハイキ~一辺倒な写し方に吐き気を覚えますね(笑)

いろんな人達がオールドレンズ沼にのめり込んでいくのだから、それにちゃんと配慮するのがプロとしての一線ではないかと思いますね!(笑) ハイキ~もヨシ、クッキリハッキリもヨシ、円形ボケも楽しく、どんなシチュエーションでもその使用者が好んで撮影に臨んでいるなら「プロなら全て認めるべきであり、認めてから持論展開するべき」と思います。

↑最小絞り値「f22」での撮影です。さすがに解像度まで低下し始めて「回折現象」の影響が顕著です。今回のオーバーホール/修理ご依頼、誠にありがとう御座いました! ご依頼頂きました3ぽん全ての作業が終わり、本日まとめて梱包し発送しています。どうぞよろしくお願い申し上げます。

 回折現象
入射光は波動 (波長) なので光が直進する時に障害物 (ここでは絞り羽根) に遮られるとその背後に回り込む現象を指します。例えば、音が塀の向こう側に届くのも回折現象の影響です。
入射光が絞りユニットを通過する際、絞り羽根の背後 (裏面) に回り込んだ光が撮像素子まで届かなくなる為に解像度やコントラスト低下が発生し、眠い画質に堕ちてしまいます。この現象は、絞り径を小さくする(絞り値を大きくする)ほど顕著に表れる特性があります。

被写界深度
被写体にピントを合わせた部分の前後 (奥行き/手前方向) でギリギリ合焦しているように見える範囲 (ピントが鋭く感じる範囲) を指し、レンズの焦点距離と被写体との実距離、及び設定絞り値との関係で変化する。設定絞り値が小さい (少ない) ほど被写界深度は浅い (狭い) 範囲になり、大きくなるほど被写界深度は深く (広く) なる。

焦点移動
光学硝子レンズの設計や硝子材に於ける収差、特に球面収差の影響によりピント面の合焦位置から絞り値の変動 (絞り値の増大) に従い位置がズレていく事を指す。