◎ Kern AARAU (ケルン・アーラウ) KERN-MACRO-SWITAR 50mm/f1.8 AR《中期型−Ⅰ》(ALPA)

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この掲載はオーバーホール/修理ご依頼分のオールドレンズに関するご依頼者様や一般の方々へのご案内です (ヤフオク! 出品商品ではありません)。
写真付解説のほうが分かり易い事もありますが、ご存知ない方向けも踏まえ今回無料掲載しています。
(オーバーホール/修理の行程写真掲載/解説は有料です)
オールドレンズの製造番号部分は画像編集ソフトで加工し消しています。


今回オーバーホール/修理を承ったモデルはスイスのケルン製標準レンズ『KERN-MACRO-SWITAR 50mm/f1.8 AR (ALPA)』です。当モデルのオーバーホールは累計4本目の扱いになりますが、市場流通価格が高価すぎて当方には全く以て手が出せません。にも拘わらず (このような高価なオールドレンズを) 当方にオーバーホールご依頼頂けたことを、まずこの場を借りてお礼申し上げます。ありがとう御座います!

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スイスのBallaigues (バレーグ) に1918年創業の時計部品メーカーPegnons S.A. (ピニオン) 社が、1952年に発売した一眼レフ (フィルム) カメラ「ALPA ALNEA Model 4」から採用したスピゴット式マウント「ALPAマウント」用交換レンズとして、同じくスイスのシネレンズで有名なKern-AARAU社から1951年に発売された標準レンズ「KERN-SWITAR 50mm/f1.8 AR (ALPA)」が初代のモデル「前期型」です。

今回扱うタイプは1958年にモデルチェンジした「中期型-I」なのですが、今まで扱った個体の光学系構成をみていくと、どうもネット上で案内されているモデルバリエーション「前期/後期」が違うように考えました (辻褄が合わない)

そもそもまだ扱った個体数が4本なので絶対数が少なすぎます。そこで仕方ないのでネット上の個体サンプルを30本ほど調べたところ、以下のようなモデルバリエーションとして考察しました (以前の考察から変更しています)。

つまり製造番号を基に調べていくと、1951年登場の「前期型」は1種類しか見当たらないのですが「中期型」登場時点で、筐体意匠 (特に距離環ローレット/滑り止め) が2種類に分かれ、且つ同時に光学系の構成も設計が2つに分かれていると考えます。その後「後期型」で開放f値「f1.9」に仕様変更するので、もちろんそのタイミングで三度光学系が再設計されています。

【モデルバリエーション】
オレンジ色文字部分は最初に変更になった諸元を示しています。

前期型1951年発売
製造番号:1xxxxx〜5xxxxx
モデル銘:KERN-SWITAR 50mm/f1.8 AR
光学系:5群7枚アポクロマート
絞り機構:手動絞り (実絞り)
絞り羽根枚数:15枚
最短撮影距離:53cm
フィルター:専用タイプ

中期型-Ⅰ1958年発売
製造番号:6xxxxx〜10xxxxx
モデル銘:KERN-MACRO-SWITAR 50mm/f1.8 AR
光学系:5群7枚アポクロマート
絞り機構:自動絞り
絞り羽根枚数:9枚
最短撮影距離:28cm
フィルター:専用タイプB

中期型-Ⅱ1958年発売
製造番号:6xxxxx〜10xxxxx
モデル銘:KERN-MACRO-SWITAR 50mm/f1.8 AR
光学系:5群8枚アポクロマート
絞り機構:自動絞り
絞り羽根枚数:9枚
最短撮影距離:28cm
フィルター:専用タイプ

後期型1968年発売
製造番号:11xxxxx〜
モデル銘:KERN-MACRO-SWITAR 50mm/f1.9 AR
光学系:5群8枚アポクロマート
絞り機構:自動絞り
絞り羽根枚数:9枚
最短撮影距離:28cm
フィルター:専用タイプ

上のモデルバリエーションで、特に注目して頂きたいのが3番目の「中期型-II」で、このタイプの筐体は距離環ローレット (滑り止め) が、その後の「後期型」と同じ意匠に変わっており、過去にバラしてオーバーホールしたところ光学系が「5群8枚」設計でした (その時のオーバーホール工程解説ページはこちら)。もちろんレンズ銘板の刻印は開放f値が「f1.8」ですから、外観上はその開放f値が見えなければ「後期型」に見えてしまいます。

上の該当写真は、その過去オーバーホールした際の写真から転用しましたが、ワザと製造番号の先頭1桁目「6xxxxx」を消さずに残しました。

一方、今回扱った「中期型−I」もネット上サンプルを調べていくと同じ製造番号「6番台」が顕在していました (フィルムカメラの写真参照)。つまり同時期に同じ6番台の製造番号で2種類のタイプが並行生産されていたことになります (しかし光学系の設計は違う)。

但し、そうは言ってもどうしてワザワザ異なる光学系を載せて2種類のタイプを用意していたのか、その説明ができません。然し、製造番号が顕在してしまっている以上、単に距離環ローレット (滑り止め) のカタチの相違を以て「前期/後期」にも区分けできませんし、そもそも「後期型」では開放f値自体が異なり絞りユニットの位置も違います。

まだまだ考察が続きます・・。

光学系は4群6枚のダブルガウス型構成に、1枚前方配置 (追加) して第1群 (前玉) とした拡張ダブルガウス型構成で、色の3原色」に対して厳密に色収差を改善補正させている「アポクロマート」レンズです。

右図は「前期型」の5群7枚構成をトレースした構成図ですが、第1群 (前玉) が両凸レンズである点に注目下さいませ (表裏の曲率がほぼ同じ)。

一方右図は、今回扱った個体「中期型-I」の光学系で5群7枚の同じ構成ですが、各群の光学硝子レンズはビミョ〜にサイズや曲率などが変更されています。第1群 (前玉) はやはり両凸レンズですが、特に裏面側の曲率が緩和されより平坦に近くなっていますし、第2群の厚みも違います。

もちろん最短撮影距離:28cmへと仕様変更した分、光学系が再設計されるのは必然でもありますね。

そして右図が問題の「中期型-II」の構成図で、過去のオーバーホール時に計測してトレースした構成図です。特に第1群 (前玉) 裏面は完全な平坦に変わって凸平レンズにチェンジしていますし、最大の相違点は「絞りユニット」の配置が変更されている点です (第2群の直下に移動した)。

ネット上の解説では、この後に登場した開放f値「f1.9」の「後期型」で、この構成図がよく案内されているのですが、実は開放f値「f1.8」タイプにも存在していたことになります。

さらに最後に登場する「後期型」が右の構成図であり、相違点は第2群の貼り合わせレンズ (2枚の光学硝子レンズを接着剤を使って貼り合わせてひとつにしたレンズ群) であり、表側 (前玉側) が凸平レンズですが何と外径サイズが変わっています (極僅かに外径が小さい)。つまりサイズが異なる2枚の硝子レンズを接着したダブレットとしています (開放f値1.9に仕様変更したから)。

ネット上で「後期型」の解説で使われている構成図は、右図ではなく一つ上の「中期型-II」を載せているサイトが非常に多いワケですが、実際にバラすと事実は違っていたワケです (何故なら開放f値が異なる以上同じ光学設計になるハズがない)。

これら光学系設計の相違、或いは絞りユニットの配置位置、開放f値の問題と、さらに製造番号との関係を時系列で追っていくと、どうしても一般的に案内されているモデルバリエーションでは辻褄が合わず、まだまだ考察に時間がかかりそうです。

   
   
   

上の写真はFlickriverで、このモデルの特徴的な実写をピックアップしてみました。
(クリックすると撮影者投稿ページが別ページで表示されます)
※各写真の著作権/肖像権がそれぞれの投稿者に帰属しています。

一段目
左端からシャボン玉ボケが溶けて円形ボケへと変わっていく様を集めてみました。

二段目
さらに円形ボケが溶け始めてトロトロボケへと変わっていくのですが、時にはざわついた印象のボケ味にもなります。

三段目
このモデルの特筆に値する「現場の雰囲気を閉じ込める写り」を集めてみました。ネット上ではマクロレンズの如く接写でトロトロボケになるのが印象的とよく評価されていますが、当方はむしろこの空間表現、いえ、もっと言えば「気温/湿度、音、臭い」まで感じてしまいそうな「人の五感に訴える表現性」に大変大きな魅力を抱いて見ています。コントラストの出方や彩度、或いは発色性との兼ね合いがそれぞれのシ〜ンで絶妙なバランスの上で成し得た「空間表現」そしてそれはまさに「臨場感」とも言えると評価しています。

巷ではマクロレンズのように接写できてトロトロにボケていく様が評価されていますが、そのような接写能力に特化して光学系を設計している本家標準マクロレンズが存在しますし、そこに開放f値「f1.8/f1.9」に拘って捉えるのもアリかも知れませんが、例えば今時のデジカメ一眼/ミラーレス一眼にヘリコイド付マウントアダプタを介在させれば、いくらでも似たような写真は撮ろうと思えば撮れます。

しかし、離れて撮っても近寄っても同じように「空気感/臨場感」を感じられる「空間表現」となると、なかなかオールマイティーに撮れるオールドレンズはそう多くないと思います。
当方は写真を鑑賞 (チェック) する時「等倍鑑賞」するスペック至上主義者ではないので、それは写真家の個展などを観ていても、意外と等倍にしたらスペック面ではどうかなと言うような写真だって数多くありますから、むしろ「画全体の印象」として写真を愉しんでいます (評価しています)。

その意味で、オールドレンズの良し悪しは収差の残像性や発展途上な光学設計の魅力を伴って初めて評価されるのであって、等倍での厳密な緻密さを競うなら今時のデジタルなレンズの方が何百倍も優れていると思います。

もっと言えば、収差や本来考えられない光学系の状態をむしろ魅力として捉える「Magical Bokeh (魔法ボケ)」なども最近はピックアップされていますから、一例として左写真の撮影者「Florence Richerataux」氏のような光学系をイジって敢えて光学系の設計を崩してしまった写真も人気を博しており、それは決して等倍鑑賞によるスペック至上主義では成し得ないワザではないかと考えます。

オールドレンズは本当に奥が深いですね・・。

オーバーホールのため解体した後、組み立てていく工程写真を解説を交え掲載していきます。一部を解体したパーツの全景写真です。

↑ここからは解体したパーツを使って実際に組み立てていく工程に入ります。今回の扱いが累計4本目の個体ですが、前回同様ヘリコイド (メス側) の「空転ヘリコイド」の部位は専用の治具が必要な為に解体できていません。また絞りユニットの一部パーツも固着が酷くバラせませんでしたが、オーバーホール工程としてみれば問題ありませんでした。

上の写真で「黄金色」に光り輝いている箇所は真鍮製ですが、バラした当初は「焦茶色」に経年の酸化/腐食/錆びが出ていましたから、必要以上の抵抗/負荷/摩擦を低減させる為に当方による「磨き研磨」を施して、可能な限り製産時点に近づけています。

↑絞りユニットや光学系前後群を格納する鏡筒ですが、最深部に「位置決め環」と言う絞りユニットの構成パーツが入ったままです (固着が酷く外せていない)。

絞り羽根には表裏に「キー」と言う金属製突起棒が打ち込まれており (オールドレンズの中にはキーではなく穴が空いている場合や羽根の場合もある) その「キー」に役目が備わっています (必ず2種類の役目がある)。製産時点でこの「キー」は垂直状態で打ち込まれています。

位置決めキー
位置決め環」に刺さり絞り羽根の格納位置 (軸として機能する位置) を決めている役目のキー

開閉キー
開閉環」に刺さり絞り環操作に連動して絞り羽根の角度を変化させる役目のキ

一般的にほとんどのオールドレンズは「f値」を基に設計されている為「位置決め環」側は固定であることが多いですが、中には「t値」の場合もあり「位置決め環/開閉環」の両方が移動してしまう設計もあります (特殊用途向けとしてh値もある)。

f値
焦点距離÷有効口径」式で表される光学硝子レンズの明るさを示す理論上の指標数値。

t値
光学硝子レンズの透過率を基に現実的な明るさを示した理論上の指標数値。

h値
レンコン状にフィルター (グリッド環) を透過させることで具体的な明るさを制御するf値。

ところがこのモデルは「位置決め環/開閉環」の両方がスプリング (コイルばね) のチカラで回ってしまう特殊な制御方法で設計されています。

↑鏡筒を立てて撮影しましたが、鏡筒の下から「伝達アーム」が飛び出ています。

制限キー
距離環やヘリコイドの駆動域を決めているキー (金属製突起棒)

伝達アーム
絞り羽根の開閉角度を絞り環操作に伴い伝達する役目

上の写真でグリーンの矢印で指し示していますが、この箇所に「直進キー」と言うパーツが存在しません。左写真は過去にオーバーホールした6番台の製造番号をもつ個体写真から転載しました。

直進キー
距離環を回す「回転するチカラ」を鏡筒が前後動する「直進するチカラ」に変換する役目

内部の鏡筒を駆動させる設計自体が違うことを意味します。

↑このような感じで「開閉環」がスプリングで「位置決め環」と接続されますが、その「位置決め環」側にも周囲にスプリングが張り巡らされており、上の写真グリーンの矢印/ブルーの矢印のように回ってしまいます。「開閉環」はこの上から絞りユニットに被さるようにセットされます。

もちろん「開閉環」はグリーンの矢印の方向に回ることで絞り羽根を閉じていくので、この時下に位置している「位置決め環」も一緒にグリーンの矢印方向に回ります (従ってそのままでは結局絞り羽根が一切閉じない)。

つまり「位置決め環」側がブルーの矢印方向に回ってくれない限り絞り羽根は閉じませんから、その制御をしているのが前述の「伝達アーム」の役目とも言えます。

↑「開閉環」を正しい位置で絞りユニットにセットして完成させましたが「開閉環」はこの時点では一切固定されておらず、このままひっくり返すと外れてしまい絞り羽根がバラバラと落ちてきます。

↑ご覧のように前述の「伝達アーム」を引っ張って養生テープで固定しています (だから絞り羽根が最小絞り値まで閉じていた)。

↑絞りユニットが固定されていないので先に光学系前群を組み付けてしまいます。つまり「開閉環」は光学系前群の下部分で接触したまま開閉動作で回っていることになるので、絞り環操作が軽い/重いの違いがこの光学系前群の平滑性で決まってくるワケです。それ故、写真のとおり真鍮材を「磨き研磨」して平滑性を担保した次第です (ピカピカに光り輝かせるのが目的ではない)。

実は、当初バラした際にこの鏡筒内部の絞りユニットにも過去メンテナンス時にグリースが塗られており、既に経年劣化で液化が進行していた為に全ての絞り羽根に赤サビが出ていました。今回のオーバーホールで可能な限りサビ落とししていますし、もちろん絞りユニット内部にグリースなど塗りません。

↑光学系後群も面倒なので先にセットしてしまいます。鏡筒内部の絞りユニット (の外周から) 張り巡らされているスプリングが引っ張られて写真に写っています。前述の「伝達アーム」は、これら絞りユニット外周の2本のスプリングと連結して (束ねて) まとめてチカラの伝達をしていることになります。

従って、前述の絞りユニット内部構成パーツである「位置決め環/開閉環」をグリーンの矢印/ブルーの矢印のどちらにチカラを伝達させて回すのかを、この「伝達アーム」1本でコントロールしている設計です。

↑再び鏡筒を立てて、今度は「被写界深度インジケーター」の環を組み付けてしまいます。このオレンジ色部分が絞り環を回した時に表出するので、設定絞り値に見合う被写界深度を距離環の刻印距離指標値との兼ね合いで目安にすることができます。つまりどの距離までが設定絞り値で写るのかの目安ですね。

↑被写界深度インジケーター用のカバーをセットします。

↑絞り環をセットして取り敢えず鏡胴「前部」の完成とします。

↑ここからは鏡胴「後部」の組み立て工程ですが、真鍮製のヘリコイド (メス側) である「空転ヘリコイド」は専用治具が必要なので毎回外すことができません (カニ目レンチで外せない)。

空転ヘリコイド」なのでいつまでもグルグルと回し続けられるワケですが、今回の個体はヘリコイド (オスメス) に過去メンテナンス時には「潤滑油」が使われていました。従ってご依頼内容である「距離環を回すトルクが軽すぎる」と言う現象に至っていました。

当方が今までこのモデルでオーバーホールした内容は「重いトルクを軽くする」作業ばかりでしたので、今回は逆パターンです。とは言っても「空転ヘリコイド」を外せない以上トルク調整ができないので今回も仕方なく「潤滑油」を注入しておきました。但し当方で用意した「潤滑油」は特殊なタイプなので、一般的に手に入る液性が高い潤滑油ではありません (従って注入方法も特殊です)。

↑シャッターボタンから連係している「絞り羽根開閉キー」が飛び出ています。

↑鏡筒 (ヘリコイド:オス側) を無限遠位置のアタリを付けた正しいポジションでネジ込みます。このモデルは全部で7箇所のネジ込み位置があるので、さすがにここをミスると最後に無限遠が出ず (合焦せず) 再びバラしてここまで戻るハメに陥ります。

絞りユニットから出てきて鏡筒下部から飛び出していた「伝達アーム」をこの「絞り羽根開閉キー」にセットして「S字環」で締め付け固定します。するとシャッターボタンに附随する自動/手動切替ツマミ (A/Mツマミ) を操作することでグリーンの矢印/ブルーの矢印方向に向きが変わり、その結果「伝達アーム」が大きく左右に振れて絞りユニットの「位置決め環」を回すので、結果「開閉環」との連係動作で絞り羽根が開いたり閉じたりしています。

この「伝達アーム」を大きく振らせることで鏡筒内部の絞りユニットにある「位置決め環/開閉環」の回転方向が切り替わって、結果的に絞り羽根が閉じたり開いたりする仕組みです (上の写真では絞り羽根を閉じる方向に伝達アームが大きく振れている)。

原理原則」を熟知している人でない限り、この動作原理が分からないので絞りユニットとキッチリ正しく連係させることができません (何故ならば開閉環もスプリングで一緒に回るから)。一方が固定ならば調整や加減もできますが、両方の環が同時に回っている時に絞り羽根の開閉幅 (開口部の大きさ/入射光量) をちゃんと調整できる人は、そう多くないと思います。

↑特大の「直進キー」を組み付けてヘリコイド (オスメス) のトルクを調整します。前述のように「空転ヘリコイド」であるヘリコイド (メス側) がバラせない以上、ヘリコイドのトルク調整はこの「直進キー」側で微調整するしか方法がありません。

よく勘違いしている方が非常に多い話に「グリースの粘性でトルクを変えられる」と思い込んでいる人が多いですね。確かにヘリコイドグリースの種別や粘性を替えることでトルクの「重い/軽い」が変わりますが、それはあくまでもグリースの状態が維持されている間の話です。経年使用で劣化してくると、特に「白色系グリース」の場合は液化の進行が早いので (ヘリコイドネジ山のアルミ合金材摩耗も進行する) トルクが変わってきます。

すると早ければ1年、遅くても数年で当初のトルク感からだいぶ変化してくることが予想されます。従って、またその時点でグリースの入れ替えの必要性が生じます。しかし、実際はグリースの種別や粘性ではなくトルクに影響を来す部位、或いは構成パーツの調整をキッチリ施していれば、グリースの経年劣化が多少進行したとしても大きくトルクに影響が現れません。

当方が行っている「DOH」は、まさにそのような「グリースに頼らない整備」なので、いちいち「磨き研磨」を構成パーツに施して可能な限り製産時点の平滑性に近づけて、必要外の抵抗/負荷/摩擦を排除している次第です。真鍮材のパーツをピカピカにしているのも輝かせてキレイにする為ではなく、あくまでも「平滑性の担保」が目的です(笑)

上の写真で言えば「直進キー」は真鍮材ですが、一方接触してスライドしている鏡筒側はアルミ合金材です。材質の異なる金属が互いに接触したままスライドするのだとすれば、自ずと平滑性のレベルが重要な話になってくるのですが、オールドレンズをバラすと過去メンテナンス時には単にグリースを塗って「グリースに頼った整備」だけで済ませているパターンが多いですね(笑)

この後は距離環を仮止めしてから無限遠位置確認・光軸確認・絞り羽根開閉幅の確認 (解説:無限遠位置確認・光軸確認・絞り羽根開閉幅確認についてで解説しています) をそれぞれ執り行い、最後にフィルター枠とレンズ銘板をセットすれば完成です。

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ここからはオーバーホールが完了したオールドレンズの写真になります。

↑今回の個体は先頭「8xxxxx」の製造番号で、5群7枚の光学系を実装していた「中期型-I」の『KERN-MACRO-SWITAR 50mm/f1.8 AR (ALPA)』です。

↑光学系内は非常に透明度が高い状態を維持した個体で、LED光照射でもコーティング層経年劣化に伴う極薄いクモリすら皆無です。

第1群 (前玉) 中央付近に幾つかのコーティング剥がれがあり、特に線状の長めなコーティング剥がれは擦れキズにもなっておりLED光照射で視認できますが写真には一切影響しないレベルです (浅いキズだから)。

またご依頼時に「光学系内のカビ」とご指摘頂いていたのはカビではなく、残念ながら第3群貼り合わせレンズ内にあるバルサム切れ (貼り合わせレンズの接着剤/バルサムが経年劣化で剥離し始めて白濁化し薄いクモリ、或いは反射が生じている状態) です。

第3群貼り合わせレンズ中央付近にパッと見でカビのように見えますが、光学硝子をチェックすると表面ではなく内部なのでカビ菌がいきなり中央に繁殖したと考えるよりは、バルサム切れのほうが自然です。これも当方では処置できないのでそのまま残っていますが、それ以外の具体的なカビは全て除去できています (一部他の群のカビはカビ除去痕として残っています/現状は視認不可能)。

↑光学系後群側もLED光照射で極薄いクモリすら皆無の状態を維持しています。

↑9枚の絞り羽根は赤サビがほぼ除去できています。もちろん当初は相当な油染みでしたから大変キレイになり絞り環操作共々確実に駆動しています。

↑塗布したヘリコイドグリースは黄褐色系グリース粘性中程度」を塗りましたが、前述のとおり「空転ヘリコイド (ヘリコイド:メス側)」側には粘性がある「特殊潤滑油」を注入しています。

距離環を回すトルクはご依頼に従い少々「重め」のトルク感に仕上がるよう調整しました。「ほぼ全域に渡り均一なトルク感」ですが、一部箇所はトルクムラが出ます。原因を調べましたが判明していません (ネジ山の問題だと思いますが)。申し訳御座いません・・。

おそらく過去メンテナンス時は、この僅かなトルクムラを相殺させるつもりで敢えて「潤滑油」を使ったのではないかと推察します。

↑上の写真 (2枚) は、絞り環を開放「f1.8」→最小絞り値「f22」まで回した時に被写界深度インジケーターがどのように表示されるのかを撮影しています。なお、この個体はA/Mツマミの設定を「A (auto時) 」にセットすると (ツマミの矢印を垂直方向にセットすると) 開放から絞り環を閉じていく時に一緒に絞り羽根が顔出しします (凡そf4くらい/自動設定だから完全開放を維持しているのが正常)。また戻せば完全開放しますが、これでは自動のまま撮影することができません (都度絞り羽根の顔出しをチェックしないとダメだから)。従って手動絞り (実絞り) の矢印横向き状態にセットしてお使い下さいませ。

絞りユニットの外周に張り巡らされているスプリングや「伝達アーム」のスプリング全て (合計4本) のチカラを調整しない限り自動設定では適切な絞り羽根の開閉に戻らないので、且つ同時に絞り羽根の開閉幅 (開口部の大きさ/入射光量) まで一緒に調整が必須ですから、今回の個体は絞りユニットが固着しており取り出せないので当方では行いません (当方では絞り羽根の開閉幅のみ調整しています)。何故なら、経年で弱ってしまったスプリングのチカラを調整するのは相当大変な作業だからであり、特にこのモデルはスプリングが連結している設計なので絞りユニットを取り出せなければ当方では不可能です。申し訳御座いません・・。

↑当レンズによゆる最短撮影距離28cmn付近での開放実写です。ピントはミニカーの手前側ヘッドライトの本当に「球部分」にしかピントが合っていません (このミニカーはラジコンカーなのでヘッドライトが点灯します)。カメラボディ側オート・ホワイト・バランス設定はOFFです。

1枚目の写真はフード未装着で撮影したので、ハレ切りが不十分なのを比較できるよう並べています。2枚目は代用品フード (純正ではない) を装着して撮影しました。

本来のフィルターが専用の純正「タイプB」になりますが、⌀48 →⌀52mmのステップアップリングをカチッとハメ込んで、代用フードを装着して撮影しました。

↑絞り環を回して設定絞り値「f2」で撮影しています。1枚目がフード未装着です。

↑さらに回してf値「f2.8」で撮っています。

↑f値は「f4」に変わりました。

↑f値「f5.6」です。

↑f値「f8」に変わっています。明らかにフード未装着ではハレ切りが不十分でコントラスト低下を招いているのが分かります。

↑f値「f11」になりました。今度は絞り羽根が閉じてきたので、フード装着撮影側にも「回折現象」が出始めています。

回折現象
入射光は波動 (波長) なので光が直進する時に障害物 (ここでは絞り羽根) に遮られるとその背後に回り込む現象を指します。例えば、音が塀の向こう側に届くのも回折現象の影響です。
入射光が絞りユニットを通過する際、絞り羽根の背後 (裏面) に回り込んだ光が撮像素子まで届かなくなる為に解像力やコントラストの低下が発生し、ねむい画質に堕ちてしまいます。この現象は、絞りの径を小さくする(絞り値を大きくする)ほど顕著に表れる特性があります。

↑f値「f16」です。

↑最小絞り値「f22」での撮影です。大変長い期間に渡りお待たせし続けてしまい、本当に申し訳御座いませんでした。今回のオーバーホール/修理ご依頼、誠にありがとう御座いました。