▼ ロシア軍のウクライナ侵攻/侵略に思うこと・・❾

  ЯПОНІЯ З УКРАЇНОЮ!    Слава Украине!  Героям слава!  

上の文は「日本はウクライナと共に! ウクライナに栄光あれ! 英雄に栄光を!」の一文をウクライナ語で国旗色を配って表現した一文です。現地ウクライナでは民衆が「ウクライナに栄光あれ!」と自らの鼓舞を叫ぶとそれに応えて民衆が「英雄に栄光を!」と返すようです。

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《 閲 覧 注 意 》
以下にご紹介するURLで閲覧できる動画はウクライナの戦場でリアルに負傷した仲間のウクライナ兵を懸命に助けようとしつつも自ら被弾し、最後を悟り自死した一部始終をドローンで撮影したツイッター動画です。

2人のウクライナ兵のその瞬間だけに限らずその後いったいどうなったのかを (存命できて いたのか否か) 一切含まない動画なので心して閲覧して下さいませ。

URL=「https://twitter.com/i/status/1543550412275363840


・・衝撃なシ〜ンです。右横4〜5m辺りから負傷したウクライナ兵が横方向に匍匐 (ほふく) しながらもう1人のウクライナ兵の左方向に目の前を逃げようと這いずっています。その傍らでもう1人のウクライナ兵はおそらくマガジンを入れ替えている最中ですぐに銃撃/反撃できていないように見えます。

画面に隠れていて見えませんが動画の上側方向に対峙している敵が居て、負傷したウクライナ兵が匍匐して逃げている最中にもすぐ近くの左上辺りに手榴弾が投擲されています (白煙が立ち上がる)。

マガジンのリロードが終わり左横3mくらいまで負傷したウクライナ兵が匍匐したところで チカラ尽きて動かなくなってしまいました。その時、もう1人のウクライナ兵はようやく銃撃で反撃していますが、その一方で左側の負傷したウクライナ兵を狙って執拗に敵が銃撃して いるのが分かります (木の枝が銃撃で折れて飛ぶのが見えるから/その後に手榴弾投擲されて います)。

もう1人のウクライナ兵が銃撃/反撃をやめて膝立ちで負傷した仲間に向かって近づき、顔を 近づけて話し掛けている様子が映ります。おそらくその時負傷していたウクライナ兵は「俺はもうダメだ!」と言ったのかも知れません・・。

近づいたウクライナ兵が今度は負傷した仲間を引っぱろうとしている姿が映りましたが・・ その瞬間に銃撃されました(涙)

もう1人のウクライナ兵まで倒れますがハッキリ言ってのたうち回っています(涙) おそらく 激痛なのだと思います。それはヘルメットが外れたのに関係なくのたうち回っているので分かります。

間伐を入れずにそのウクライナ兵は自分の最後を悟りおそらく発煙弾のピンを抜いて自死したようです・・白煙が上りつつも次第にその煙が色付き始めたので、もしかしたら後方の別の ウクライナ兵に救助を請うているのかも知れませんがそこで動画は終わります。

これは敵と対峙して実際に銃撃戦に陥っている2人のウクライナ兵をその直上空からドローン撮影して一部始終を記録した動画です。

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この動画を観ていて不思議なことに今までスッカリ記憶の彼方に飛んでいた亡くなった叔父との会話をフッと思い出しました!(驚) 今まで頭の中を一切過らなかったのに不思議です。

以前このブログでロシア軍の侵攻に関する思い付いた内容をアップした「▼ ロシア軍のウクライナ侵攻/侵略に思うこと・・❺」で話しましたが、私には2人の叔父が居ました。1人はおそらくサイパンで玉砕した部隊に居たハズですが詳しいことは何一つ分かっていませんし、もちろん遺骨も形見も何も帰還していません。

その一方もう1人の叔父は初期のビルマ戦線で重症を負い内地送還され完治まで時間が掛かり終戦を迎えました。その生き残った叔父は最後病院のベッドで天寿を全うしたのですが、その時一言だけ居合わせた私に「無駄死にだけはダメだ!」と言いました。

はたしてサイパンで戦死した兄のことを指したコトバだったのか、或いは別の事だったのか 今となっては確認のしようがありませんがいまだに私の頭の中をそのコトバがグルグル巡ったままです。

フッと思い出した会話の内容はその生き残った叔父と私がまだ中学生だった頃に会話した内容です。叔父は私を可愛がってくれてよく丹沢山系に山登りに連れ回してくれました (と言っても私がまだ子供だったので大山がメインでしたが)。それでも「男坂」をタッタタッタと小気味 良く息も乱さず同じ歩調で登っていく叔父の姿が今も目に焼きついています。今思えばさすが帝国陸軍軍人だったのだと感慨深い想いが胸を過ります (叔父は砲兵部隊だったと思います)。

その叔父に何時ぞや「そうやって戦ってくれたから今の平和なニッポンがあるんだね」と生意気にも話したことがありますが、間伐を入れずに叱られてしまいました(笑)

それは全く違う! そうやって美談したら決して報われない!」

・・確かそんなふうに相当語気を荒げて話したと記憶しています。その時の怖い顔つきまで 含め突然思い出しました。

実は私は巷で評判な「永遠の0」の小説も映画も動画もその全てが大嫌いです! もちろん 小説家百田尚樹はもっと大嫌いです!

少なくともこのように美談化して流布する思想と言うか知ったような話を広める思考回路に 相当に抵抗感が強いのが本当のところですが、今までどうしてそんなに忌み嫌うのか自分な がら「???」だったのです。

・・それが分かりました。きっと叔父との会話が大きく影響していると思います。

その時の叔父との会話はそれ以外何一つ思い出せませんが、いつも優しい叔父のあんなに恐ろしい顔つきは忘れようにも忘れないと恐怖心しか残っていなかったハズなのにいつの間にか 忘却の彼方に飛んでいたのです。

今回のショッキングな動画を観てなおさらにそれらの事柄が繋がったように思いました。

私は以前中学生の頃に香港に2年ほど住んでいましたが (神奈川県出身だったのでア・テストという学力試験を受けておらず帰国後もう1年中学生を留年し4年間中学生だった)(笑)、その時日本人学校 (賃貸のマンション物件) のすぐ真ン前で2つ並んでいた銀行が襲撃され、香港警察だけでは対処しきれずにとうとう香港軍まで出動し最後は機関砲でバリバリやって犯人グループを全員射殺すると言う事件が起きました。

今でもハッキリ覚えているのはその2つの銀行前が血だらけになっていた事 (当時は銀行入り口にショットガン装備の警備員が必ず両脇に居た為、合計4人が射殺されたから) と、飛んでくる銃弾が教室 (マンションの一室) の壁をパンパンと跳ね回りその1発がすぐ横に伏せていた友達の臑に当たり「これが人の叫び声か!」と言うくらいに悲鳴を挙げていたのを覚えています。

別の友達と2人でトイレとその場とを往復してタオルや水やら用意して血を拭って縛り上げ、しかし運良くすぐに出血が止まりました (ハッキリ言ってトイレは汚い)。

犯人グループの片割れが必ず逃亡路を見張っていてそこに潜むので、当時香港軍が出動すると間違いなく事件現場付近は外出禁止令が発出され玄関から出た瞬間に銃撃されて一般市民まで犠牲になる事がありました (警察だけの出動ではそこまで至らない)。

おそらく香港軍が出張ってくると最優先が「英国人保護」なので、当時はまだ中国に返還される前だったので当然ながら英国領で現地優先順位は1位:英国人、2位:欧米人 (要は白人)、3位:インド人、4位:現地人含む華僑、5位:その他東南アジア人だったような気がしますがもしかしたらその次にミクロネシア人が入っていたかも知れません (覚えていない)。

・・はい、ニッポン人は何と含まれていないのですョ(笑)

当時はまだニッポン人に対する反日感情が強かったのでマンションのエレベーター内で在住 日本人が刺殺されたり下町でボコボコやられたりといった事件が頻発していた時代です。当然ながら日本人学校まではスクールバスで送迎ですが (停留所は都度変更し必ず親が出迎え) 同様小銃片手の警備員が同乗していました。日本人学校と言っても全校生徒数はたかが知れるので小学校〜中学校まで含まれるもののそんな武装警備員を伴うのは日常的な話でした(笑)

話が長くなりましたが、そうやって30発以上もの銃弾が飛んでくる中を隠れていた時に頭の中にあったのは恐怖心ではなくどうやって何処に飛び跳ねるか分からない跳弾を避けるのかだけでした。スチール製机を倒してバリケードのようにしますがカラダ全体は隠せません(笑) 結局ほとんど全部カラダが丸見えの中パシッパシッと煙を上げて音だけが明確に聞こえます。

結構弾によっては跳ねるのでいちいちチェックしていられませんが恐怖心が全く無かったのをハッキリ覚えています。他の友達も同じだったので弾が当たった時の激痛に対する恐ろしさがあるものの自分には当たらないと言う気持ちが何処かにあったのかよく分かりません。

するとそのような銃撃の中で考えているのは「恐怖に打ち勝つ気持ちではなく生き残る算段」だったワケで、意外と皆冷静に弾が飛んでこないように見えている場所にズルズルと移動し まくっていたのを覚えています(笑)

結局、みんなの親御さん達や先生達が大使館に連絡を取って日本人学校のマンションを香港軍に確定させてようやく先生が教室に助けに来ました。何とも大使館経由でないと何もできなかったというのをだいぶ後に知りましたがリアルは意外とそんなモノなのでしょう(笑)

だいたいそもそも海外在住邦人の救出でさえ自衛隊派遣できないと言うのが異常だと捉えないのが多くのニッポン人なので、イザッそういう立場に自らが陥ったらただただ自身の不運を呪うばかりなのでしょう(笑)

そういうニッポン人が今回の動画を観ていったいどのように思うのか興味深いところですが、私は一つだけ答えを見出しています。

彼らは負傷していたウクライナ兵もその後銃撃を受けておそらく自死したウクライナ兵も2人とも「もう十分に戦った、やれるだけやったョな?」との想いに到達したのだと感じました。そこには皆が言う処の「人の命の儚さ」とか「祖国に殉じた」とか「どうか生きていて」とか言うナマッチョロイ気持ちは一切表れません。

現実に弾が飛んできている時にそんな感慨深い想いなどとても逼迫しすぎた状況で考えてなど居ません! 頭にあるのは「どうやって生き残るのか?」と「死ぬならどう死ぬのか?」であってあんまし痛い思いをせずに死にたいとか考えていたのを覚えています。その為の防御で狭いマンションの一室をあっちに行ったりこっちに来たりしていたのです。

今思えば後で確認してビックリしましたが、ベランダの外壁は鉄筋丸出しの状態まで銃撃で破壊されていて当然ながらアルミサッシは外れてガラス片が飛散して手足はそれだけでキズだらけです (つまり皆血だらけ)(笑)

だからこそあの2人はきっと互いの使命を最後の瞬間に納得したのだと信じたいのです。確かに自ら戦場に趣き敵と対峙していますがその時に恐怖心よりもリアルな気持ちとして弾が飛んできている時「ヤバい!ヤバい!」程度にしか思っていません(笑) 死の恐怖に逃げ惑うと言うのが当てはまらないのを知っているのです (例えが悪いですがまるでゲームの世界みたいな話です/自分の死を直視していない処かむしろ逆に受け入れたからこそゲームの世界なのです)。

もっと言うなら戦車や榴弾砲車両など凡そ装甲軌道車などに搭乗していたらミサイルや砲弾 直撃で何人生き残るのか、或いはどんだけ焼死の可能性が高いのか考えたら自明の理です。

そういうのをモノともせずに確かに下令を受けているにしても自ら戦場に趣いている彼らの 想いとは・・そういうレベルだと考えるのです。

だからこそ負傷したウクライナ兵が一生懸命激痛の中で匍匐していたのが理解できますし (どうしてその場に身動きせず伏せていなかったのか)、もう1人のウクライナ兵もあの銃撃のさなか膝立ちで仲間に近寄るなど、きっと普通にとっていた行動なのだと私には見えたのです。

・・そこに恐怖心は無かったと私には断言できます (自分の身に置き替えて)。

平和ボケニッポン人とよく言いますが、私は自分の事を平和ボケニッポン人の一人とは思っていません(笑) それは2人の叔父の話と共に自ら弾の中を隠れていた経験と「その時負傷するか死ぬかは誰にも分からない」のを体験したからです。

・・そこに恐怖心はありませんでした。

それこそがまさに人としてのそのリアルな「その時!」の想いなのではないでしょうか?
恐怖心でガクガクしているより悟って決心しているほうが人間味あると私は思いますね。

・・みなさんは動画を観てどのように感じられたでしょうか。

これが戦争なのかと分かったような事を言う前に、この動画の一部始終を是非とも感情移入して捉えてみて下さい。おそらく自分の妻や子供達の面影が過ったのは「ごめんね、俺家に帰れないわ」くらいの気持ちです。痛くて痛くてどうしようもないのに匍匐している負傷したウクライナ兵と仲間を助ける気持ちに駆られていたウクライナ兵と・・彼ら2人の姿をどうかシッカリ観て脳裏に焼き付けて下さい。

先の大戦でたった一つしかない命を賭して祖国に殉じていった軍人も一般市民も含め多くの ニッポン人はいったいどうして死んでいったのか? 軍国主義とかそういう時勢だったとかの言い訳 (いいですか!言い訳ですョ!) を言う前に「人として真理を追求する勇気を持ったら どうなのか?!」と私は言いたいです。ニッポンは二度と再び戦争を仕掛ける国にはなりません! 然し自衛隊は必要ありません! 必要なのは国際救助隊 (自衛隊の発展系) とまさに国防軍だけです! 黙って死んでいくのを待つ気持ちには到底なれません (それが抑止力です)!

今もウクライナで兵士も民間人も関係なく日々死にまくってます。
そしてそれを平然と「処理」し続けているのがロシア兵です。
逃亡ロシア兵が居るとかそんな事は関係ありません!
政権や軍高官ではなくロシア兵が実行しているのです。
軍とはそういう存在であって平和もクソも無いことをどうか考えて頂きたい!
自衛隊はそれを理解したニッポン人の集団です!!!
この動画の2人のウクライナ兵に彼ら自衛隊員を是非とも重ねて頂きたい!
その時、あなたはいったい何を想い抱きますか???