◎ PETRI (ペトリカメラ) C.C Auto Petri 55mm/f1.8 black《後期型》(M42)

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※解説とオーバーホール工程で使っている写真は現在ヤフオク! 出品中商品の写真ではありません

今回完璧なオーバーホールが終わって出品するモデルは、PETRI製
標準レンズ・・・・、
C.C Auto Petri 55mm/f1.8 black《後期型》(M42)』です。


このコロナ禍にあって、先月再び緊急入院してしまい体調が優れない日々が
続いています。皆様も同様大変な毎日を送っていらっしゃることとお察し
します

然しながら厳しさが募り悠長な事は言っておられず、今回に限り断腸の思い
でやむなくオーバーホール作業分の対価を省いた価格で出品します

是非とも皆様のお力添えでお助け下さいませ・・
(ちなみに作業対価分の金額がバラバラなのは微調整など難度の違いです)

いよいよ盛夏到来で、なかなか体調が優れません (作業効率悪し)・・(泣)
夏と冬が来ない土地に住みたいかな・・(笑)
贅沢極まりない話です。

同じ「後期型」でも今回のブラックバージョンは初めての扱いになります。後で解説しますが「後期型」には指標値環部分が「シルバー/ブラック」の2種類が流通しているのを確認しています。従ってシルバーのタイプについてはこちらC.C Auto Petri 55mm/f1.8《後期型》(M42)」をご覧下さいませ。

後ほど詳しく解説しますが、当時のペトリ製オールドレンズはそのほとんどがブリーチロック式のスピゴットマウントで、いわゆる「Petriマウント」と呼ばれる独自マウント規格を採用していました。しかし一番最初1959年と終盤期に登場したマウント規格には「M42マウント」と言うプラクチカスクリューマウント規格のモデルが存在しました。

どうして独自規格マウントを採用したのに最後に「M42マウント」に再び手を出したのでしょうか? そこにはこのメーカーが辿った苦しい背景が見え隠れしているように思いますが、いずれにしても現在の市場に多く出回っているのは圧倒的に「Petriマウント」のオールドレンズが多く「M42マウント」のペトリ製モデルは大変珍しいです。

さらにその中にあって、同じ「M42マウント」モデルでも総金属製ではないプラスティック製モデルの流通がほとんどであり、特に今回扱う「総金属製鏡胴のペトリモデル」はハッキリ 言って「年に1〜2本ベースの超稀少品」です。

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1907年に写真用品メーカーとして「栗林製作所」から始まり「栗林
写真機械製作所
栗林写真工業」を経て最後の社名であった「ペトリ
カメラ
」と変遷しています。
(左写真は1959年当時の栗林写真工業梅島工場の様子)

戦後の海外進出動向を探ると、1958年にニューヨーク事業所を開設し
1962年に「ペトリカメラ」に商号変更しますが1965年時点での輸出比率は80%を越える状況でした。

1960年に「Petriマウント」に仕様変更してから僅か5年で8割を越える輸出に軸足を移していた事になり、国内需要の低迷が相当堪えていたのでしょうか。

ところが海外需要も独自マウントの「Petriマウント」より指向先販路からの要求は根強い需要が期待できる「M42マウント」による展開だったのかも知れません。1972年時点での海外輸出モデル製産はどうやら「M42マウント化への回帰」だったようです。

ここから一眼レフ (フィルム) カメラのマウント規格「M42マウントPetriマウント」2つに 絞ってその変遷を追っていきます。最後期 (倒産後) に登場した「PKマウント」モデルについては今回省きます (長いのでフィルムカメラに興味関心がない方は飛ばしてください)。

1959年自社初の一眼レフ (フィルム) カメラとして「Petri PENTA」を発売しますが、この時のマウント仕様は「M42マウント」のネジ
込み式でした (プラクチカ・スクリューマウント規格)。

ところが翌年の1960年にはいきなりブリーチロック式のスピゴット
マウント「Petriマウント」に変更してしまいます。

ブリーチロック式とは「爪が備わる締付環側を回して締め付け固定する方式」を指し、スピゴットマウント方式はCanon方式と同じようにオールドレンズは単にフィルムカメラ側マウント部にあてがうだけで (ハマる位置が決まっている) 締付環を回すことで初めて締め付け環側の爪が締め付けて固定してくれる方式を言います。従ってオールドレンズをマウント部にあてがう際ちゃんと手で保持していないと落下の危険性が伴います (ブリーチ環を回す前に手を離すとオールドレンズが落下する/填まる位置が決まっていても保持されるワケではないから)。

一方バヨネットマウント方式は「オールドレンズとフィルムカメラ側の両方に備わる爪同士が互いに噛み合う方式」なので、リリースキーを目安にハメ込んだ後、オールドレンズを捻って回すと互いの爪が噛み合ってロックされる方式を指します。従ってオールドレンズを捻って 回す際に必ず保持しているので、不用意に落下する懸念が相当低くなる方式です。

《ブリーチロック式スピゴットマウント vs バヨネットマウント》
ブリーチロック式スピゴットマウント規格
メリット:オールドレンズ側マウント面がシンプル
デメリット:ブリーチ環で締め付けない限り落下する

バヨネットマウント規格
メリット:オールドレンズ自体を回して爪同士を噛み合わせるので落下しない
デメリット:オールドレンズ側マウント部にロック/解除ボタン機構部が必要

要は製造メーカー側がコストを省きたい場合は ブリーチロック式スピゴットマウント規格のほうが有利ですが、使うユーザーサイドの利便性を追求するなら バヨネットマウント規格のほうが断然安心度が高い話になりますね(笑) 但しどちらの方式でも慣れてしまえば特にオールドレンズを落下させる懸念も減ります。

しかし当方はあのスピゴットマウント規格のガチャガチャした使用感が、どうしても受け入れられません (締め付けてしまえばガチャガチャ感はなくなりますが)(笑)

前年発売モデルの諸元を継承しながら独自マウント「Petriマウント」に仕様変更した一眼レフ (フィルム) カメラ「Petri PENTA V」を1960年には登場させています (セルフタイマー装備)。

またこの時セットレンズとして用意された標準レンズは、前年の4群7枚変形ダブルガウス型構成から再設計して典型的な4群6枚ダブルガウス型構成へ変更しています (焦点距離も50mm→55mmに変更)。

セットレンズの標準レンズは従来の筐体外装を継承しますが、モデル銘から貴重だった「Orikkor銘」が消えてしまいました (もちろん光学系が再設計なので筐体外装も再設計)(涙)

1961年になると輸出も見据えたモデルとして「Petri Flex V」を用意しますが、セットレンズの標準レンズは相変わらずの「55mm/f2」モデルです。

しかし筐体外装が再設計された新しい意匠で登場しており、内部構造もその後のペトリ製オールドレンズ各モデルに継承される新しい仕様を採り入れています。

ちなみにこの時点で「ペトリカメラ」に既に変わっていたので (取扱説明書で確認できる) wikiの1962年商号変更よりも早めに変わっていたように考えます。

その後1964年には「Petri Flex V3」が登場し、この時初めて標準 レンズ外装にシルバータイプを加えていますが、どういう理由なのかフィルター枠は従前の⌀ 52mm径→⌀ 55mm径へと大型化させています。

どちらかと言うと1959年の登場から毎年大型化へと突き進んでいる 印象です。

合わせて1964年には右写真のような「Zeiss Ikon製CONTAREX」の意匠にまるでソックリなデザインの一眼レフ (フィルム) カメラを登場させますが、この時にセットされていた標準レンズがシルバータイプなので、これがメインの新設計だったようです (シルバー鏡胴の登場とフィルター枠を大型化した理由)。しかし意に反して売れ行きは今ひとつだったようにも見えます。

翌年1965年になると、その後のペトリ製一眼レフ (フィルム) カメラの主流デザインに座る「PETRI V6」が登場しますが、仕様上の大きな変更はなくマイナーチェンジの様相です。

逆にセットレンズたる標準レンズのほうが大きく変化して焦点距離 そのまま「開放f値:f1.8」をついに投入してきました。

1967年にはいよいよフィルムカメラ側の性能アップが図られ「TTL化」により装着オールドレンズを透過した入射光を基に測光する「TTL測光方式」を装備してきますが、この時既に市場では「開放 測光方式」に注目した考え方が主流になり、ネジ込み式マウントたる「M42マウント」などではもう対応できずに新たなマウント規格策定が光学メーカー各社で始まったのではないかとみています。

ところがペトリカメラは独自マウント規格「Petri マウント」の変更には思い至らず、しかし市場の流行りに倣いムリヤリ「EE」を行いオールドレンズ側もマウント部を再設計して何とか対応させたような構造に仕上げてきました。

1969年に「PETRI FT-EE」が登場し、合わせてセット券ズたる標準レンズも「55mm/f1.8 EE」とパッと見では単にモデル銘に「EE」が入っただけのようにしか見えませんが、実は内部構造の再設計は相当苦労した痕跡がバラしてみると容易に見てとれます。

鏡筒周りに残されている限られたスペースを拡張する総を知らなかったと言うよりも、実のところ「既に会社が傾き始めていてそんなコストを掛けられなかった」のがホンネの理由だったのではないでしょぅか。その限られたスペースをムリヤリ使って「EE」に対応したのが分かります。

主力機たる「PETRI V6」にホットシューを用意した「PETRI V6 II」が1970に用意されます。しかしこの時のセットレンズは当然ながら「EE」されていない標準レンズ「55mm/f1.8」であり、いわゆる二正面作戦 (EE化モデル vs 非EE化モデル) を採っていたようにもみえます。

さらに時代の流れから逆行した潮流が、この後の1970年代に入ると ペトリカメラを支配していきます。

1970年にもう1機種「PETRI FT II」も発売し、やはりホットシューを装備しただけの相当なマイナーチェンジ機の投入で、当然ながら セットレンズは相変わらずの「55mm/f1.8」のままです。

価格面でも相当低価格路線化させていたので、いつの間にか市場評価は「安かろう悪かろう」的なイメージが憑いてしまったようにも見受けられます。

何を考えたのか(泣)、単に先に登場させた (1969年)「PETRI FT」の外観だけをイジッた「PETRI FTE」を1973年には登場させます。

おそらくこの時点で既に最後のあがき状態だったのではないでしょうか? セットレンズたる標準レンズもイジッてしまい、当然ながら「EE」モデルを投入しますがまたもや再設計してしまいました。

何とマルチコーティング化まで一気に進めてしまい「EE 55mm/f1.7 MC」をセットレンズとしていた事が当時の取扱説明書を見ると分かります。必然的に開放f値をイジッたので光学系も再設計を余儀なくされています。逆に指摘するなら (バラしたことで判明しましたが) 単にマルチコーティング化だけなら、光学系の一部の群のコーティング層蒸着 (多層膜蒸着) と曲率の 変更だけで最も低コストに対応できたとものを、何を考えたのか「開放f値:f1.7」をやって しまったので光学系の本格的な再設計が必要になってしまいました。

翌年の1974年には従前の「PETRI FTE」のブラックバージョンたる「PETRI FTE B&M」が発売されます。

ペトリカメラにしては珍しく高級感を漂わす品格さえ感じる意匠ですが、既に時遅く、且つ市場の流れ/本流からは遙かに反れてしまった「支流でどれだけ凌げるか」状態だったのが薄々感じられます(泣)

実際この時のセットレンズ「EE 55mm/f1.7 MC」をバラしてみると、光学系各群は4群6枚の典型的なダブルガウス型構成を踏襲しながらも、現実としてマルチコーティング化させたのは (多層膜蒸着したのは) 第1群前玉の裏面と第4群後玉の表裏面だけと言う「ある意味その場凌ぎ的」な対応に感じられたのです (マルチコーティング化モデルは後にも先にも唯一)。

もっと言うなら何故にこの時のタイミングでマルチコーティング化を「グリーン色の光彩」で採用したのか? それは大手光学メーカーが挙って当時採用した「グリーンの光彩」を見倣っての対抗意識丸出しなのでしょうが(笑)、やはり光学設計に中途半端さが拭いきれません。

いよいよペトリカメラの最終局面を迎えつつあります。1975年には シャッタースピード優先「AE機能」を装備した「PETRI FA-1」を発売しますが、どういうワケか既に登場していたハズのマルチコーティング化モデルをセットレンズに据えずに、従前のモノコーティング モデルに戻してしまいました。

そして何よりもこの一眼レフ (フィルム) カメラが「Petriマウント規格最終モデル」に至ります。

1976年からはもぉ〜見境なし状態で(笑)、辺り構わず指向先の言いなりで「M42マウントに回帰した海外輸出専用モデルの乱発」に切り替えると言うか、もうそれしか残されていなかったのだと推察します(涙)

もちろんセットレンズたる標準レンズはまたもや再設計の嵐で(笑)、 内部の鏡筒に対して従前とは正反対の位置に絞り羽根開閉制御を配置してきます (要はそこしかマウント面から飛び出る絞り連動ピンを制御する場所が残っていなかったから)。

非常に多くのOEMモデルが乱立しますが、例えばアメリカの当時の 百貨店「J.C. Penney (ジェー・シー・ペニー)」の自社ブランド品として海外輸出機になった「SLR3 J.C. Penney」なんて言うOEM機があったりしますがそのマウント規格は「M42マウント」です(笑)

つまり海外ではと言うか、海外でも「Petriマウントはイヤ!」と受け入れられていなかったことが、これだけでよ〜く分かります(笑)

ところが今現在のデジカメ一眼/ミラーレス一眼時代にはその当時の「ペトリカメラの苦し紛れ戦略」が何ともありがたい結果を生み出しているワケで、何ともこれ以上に皮肉な話はないのではないでしょうか?(涙)

アメリカのみならず旧西ドイツも、果てはカナダや旧東ドイツ向けまで存在するので、まさに「倒産前の断末魔」といえそうで何とも見るに堪えない有様です(笑)

なお唯一右写真モデル「PETRI FTL」なる一眼レフ (フィルム) カメラがいったいいつ発売され、海外輸出機だったのかどうかも全く不明なままです。

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ここまでず〜ッとペトリカメラから発売された一眼レフ (フィルム) カメラに着目して、その セットレンズとの関係性をみてきましたが、ようやく倒産直前1976年時点で「M42マウント回帰」に至り、ようやく今回扱う「M42マウントモデル」の登場背景が見えてきました(笑)

どうしてそのような説明が必要だったのかと言うと、実はバラしてみると「???」と言う 構成パーツが1点だけ存在し、且つそれが結構絞り羽根の制御には致命的なパーツだったり するのでその理由を知りたかったからなのです(笑)

何とも長〜い道のりだったことか・・(泣)

思うにペトリカメラが倒産していく背景は「安かろう悪かろうの低価格路線の戦略」が致命傷だったのではなく、実は「頻繁に設計を変更してしまった企業姿勢」と「構成パーツ/制御系の標準化が全く考慮されていなかった」点が、結果的にコスト増大に至り企業利潤を食い続け圧迫していったようにもみえますから、詰まるところ「創業栗林家の経営センスの無さ」が そもそも当初からしてダメダメだったのではないでしょうか(笑)

もっと言うなら、内部構造からして明らかに「カメラ屋しか考えないレベルの拙さをひたすらに続けすぎた」点で、もはや逃げ切れない宿命だったようにも完全解体している当方からすると考察が至ってしまいます(涙)

それは金属材の性質と使い方を熟知したモノの考え方を無視し続け、それをグリースに頼った整備で凌いだからこそ「安かろう悪かろう」のイメージが憑いてしまったようにも考えます。
(ある意味ごまかしの考え方)

もっと目の前の壁に真摯な気持ちで突き進む/ブチ当たる企業風土を経営者自らが大切にしていれば、きっと当時の設計技術陣の素晴らしさからみればもっと早い時期に会社の建て直しが できていたようにもイメージします。

それはそもそも一番最初に登場した一眼レフ (フィルム) カメラ「Petri PENTA」セットレンズ「C.C. Petri Orikkor 50mm/f2 (M42)」光学系の素晴らしさを見ただけで「設計陣の素晴らしさ/発想の素晴らしさ」は自明の理であって、それを全く以て生かしきれなかった経営陣の 素性に大きな因果関係があったと当方ではみています(涙)

せめてもの救いは、倒産後に労組が一致協力して会社を立ち上げ今も現存しているのが嬉しい限りです (双眼鏡のOEM会社)。

《モデルバリエーション》
オレンジ色文字部分は最初に変更になった諸元を示しています。

前期型1963年発売
筐体色:シルバー/ブラックの2モデル
距離環材質:金属製
距離環ローレット:金属製
A/Mスイッチ:Auto真上
マウント規格:Petriマウント

後期型1976年発売
筐体色:シルバー/ブラックのツートーン (配色逆転)
距離環材質:金属製
距離環ローレット:ラバー製
A/Mスイッチ:Auto右斜め下位置
マウント規格:M42マウント

後期型1976年発売
筐体色:ブラックバージョン
距離環材質:金属製
距離環ローレット:ラバー製
A/Mスイッチ:Auto右斜め下位置
マウント規格:M42マウント

光学系は典型的な4群6枚のダブルガウス型構成です。ネット上の某有名サイトで解説に掲載されているのが右構成図になりますが、これをより正しく表現するなら「Petriマウント規格品に限定した光学系 構成図」と表したほうが良いです。

実際当方が前述モデルバリエーションの「前期型」をバラして光学系の清掃時に各群をデジタルノギスで計測したトレース図になります。

一方右の構成図は、今回の個体をバラした際に同様光学系の清掃時に各群を逐一当方の手でデジタルノギスを使って実際に計測しトレースした構成図になります。

またこのように掲載すると当方が相変わらずウソを掲載しているとSNSで批判の的になるようなので(笑)、今回も証拠写真を撮ってみま した。

光学系から後群側に入る第3群を取り出して、それぞれ左側に「Petriマウント品の第3群」を置き、右側に今回扱った個体から取り出した「M42マウント品の第3群」を並べて撮影しています。

すると写真を見れば明らかですが貼り合わせレンズの凹メニスカス側の迫り出し方がM42マウント側のほうが長いのが分かります (つまり前述の構成図と違うことが明白)。

とは言っても信用/信頼が皆無なのが当方らしいので(笑)、是非とも皆さんは某有名処の掲載が「正しい」のであって、このブログ掲載の内容については非常に疑わしいとご認識下さいませ (ウソでも構いません/反論しません)。




上の写真はFlickriverで、このモデルの特徴的な実写をピックアップしてみました。
(クリックすると撮影者投稿ページが別ページで表示されます)
※各写真の著作権/肖像権がそれぞれの投稿者に帰属しています/上記掲載写真はその引用で あり転載ではありません。

一段目
左端からシャボン玉ボケが破綻して単なる円形ボケを経て、さらに収差の影響を受けて乱れて滲んでいく様をピックアップしています。とは言ってもシャボン玉ボケはギリギリ辻褄合わせで表現している程度のレベル止まりで、ハッキリ言ってシャボン玉ボケのエッジ部分はスッカリ滲んでしまい限りなくリングボケに近い状況です (明確でキレイなエッジ表現を伴わない)。これはダブルガウス型光学系構成のある意味宿命というか多い描写性のように思います。また背景ボケには収差の影響から「二線ボケ」の傾向も現れるのが否めません。

二段目
単に円形ボケに限定して評価しようとすれば前述のような言い回しになりますが、決してダメダメなモデルナなのではなく、むしろ良くもここまで描写性能を上げた設計を採ったものだと当方は感心しているくらいです。左端の1枚目では「白い花びら」の1枚1枚が確実に捉えられておりノッペリした平面的な写り方をしていません (とてもリアル)。それは2枚目の「赤色表現」にも当てはまる言い方になり、色飽和せずに良くもここまで赤色を表現できるものだと感心です。3枚目の「空の青さ」よりも枝のグリーンな色合いが自然でナチュラルで好感が持てます。最後の右端に至っては遠くに写る「海のエメラルドな色合い」が最高です。このようにビミョ〜な色表現をキッチリ残せる点でなかなか評価が高いと当方では感じ取っている次第です (ペトリ恐るべし)。

三段目
この段で集めたのはご覧のようなダイナミックレンジの表現性を表し、同時にグラデーションとコントラストを合わせてチェックしています。明暗部のコントラスト表現に違和感がなく、しかもちゃんと素材感や材質感を写し込む「質感表現能力の高さ」をも留めている素晴らしい描写性能です。また淡い色合いをノッペリした平面的な表現で残さずにリアルに撮れているのがさすがです。これはダイナミックレンジが広いことの表れであり、例えば焦茶色の木部の細やかな質感や色の相違をちゃんと留めている写真として撮れているのが凄いと感じているワケです。

四段目
左端の黒猫の毛並みの質感が相当なレベルです。動物毛をこれだけ写し込めると言うだけでもさすがだと感じ入ってしまうのですが、カラー成分のみならず白黒写真でもご覧のような広いダイナミックレンジを表し、特に暗部の黒潰れにギリギリ間で粘って対応しています。グレースケールもカラーも対応できるのは、まさに光学系の素性の良さではないかと感心している次第です。

その意味でこの当時のペトリ製オールドレンズは決して「安かろう悪かろう」ではなく、むしろ今ドキのデジカメ一眼/ミラーレス一眼で撮影する環境にとっては非常に素晴らしい奥深さをちゃんと表現できる一流の光学描写性能を併せ持つモデル達と評価を禁じ得ません。

オーバーホールのため解体した後、組み立てていく工程写真を解説を交え掲載していきます。すべて解体したパーツの全景写真です。

↑ここからは解体したパーツを使って実際に組み立てていく工程に入ります。バラしてみれば一目瞭然ですが、各構成パーツの細かい部分の配置などは歴出しの「Petriマウントモデル」とは相容れずとも、その切削の仕方や面取りなど凡そ従前の「Petriマウントモデル」と同じ品質を踏襲しているのが歴然です。つまりいわゆる光学メーカーの作り方ではなく「カメラメーカーの作り方」だと言い切れますね(笑)

似たような話が当時の「東京光学」製オールドレンズも当てはまり、戦前から大日本帝国陸軍に採用され続けた光学メーカーだけにその歴史的背景は天と地の差があるかも知れませんが、そうは言っても当時の同じ光学メーカーNikonやCanon、MINOLTAなとどは明らかに各構成 パーツの仕上げ方が別次元です。良く言えばそのような表現になりますが、悪く言えば細かい部分にはこだわらない思想とも言い替えられます (雑なところは雑なまま)。これは特にNikonなどの当時のオールドレンズをバラしてみると痛いほど分かります。手を抜いた構成パーツが一つも存在しないのです。もっと言うならネジ1個に至るまで「品質管理」していたのではないかと勘ぐりたくなるくらいに完璧主義です(笑) 要はそう言う部分が光学メーカーの作り方なのかどうかで違いが現れると言っているのです。特に金属材を扱っている人ならこの違いを十分理解して頂けると思っています (例として挙げるならネジ切りの末端部分の仕上げ方を
見れば歴然
)。

↑絞りユニットや光学系前後群を格納する鏡筒です。この鏡筒の仕上げ方をチェックすれば 一目瞭然です。「鋳型方式」で完成したパーツに切削してネジ切りしていますが、その仕上げ方が「金属屋」の仕上げ方で、当時の光学メーカーの面取り加工のレベルとは似ても似つきません (それはこのままティッシュペーパーでグルッと拭ってみればすぐ分かる/ティッシュペーパーが小間切れになる)。

NikonやCanon、MINOLTAなど凡そティッシュペーパーで拭ってもシッカリ面取り加工が施されているのでバリバリに小間切れになりません (滑らかな仕上がりになっているから)。この 細かい部分の面取り加工にこだわるか否かで当方では「光学メーカー vs カメラメーカー」の対比を判定しています(笑)

要は光学メーカーは「グリースや潤滑油に頼らない設計と仕上げ方」を目指しているから各構成パーツの面取り加工にこだわっていると考えています。一方カメラメーカーは細かい部分まで面取り加工にこだわらないのは「グリースや潤滑油を注入すれば対応できるから」という根本的な思想がもとからあったのではないかと考えます。

逆に言うなら、光学メーカーにとってこれら「グリース潤滑油」は光学系の光学硝子材には天敵であり、経年劣化に伴い特にコーティング層蒸着にクラックが入ると劣化を促す因果関係に至るので嫌っていたとみています。つまり揮発油成分の界面原理に基づき水分や湿気などが吸い寄せられ留められると「カビの発生」を促してしまう結末に至るので嫌っていたとみています。

絞り羽根には表裏に「キー」と言う金属製突起棒が打ち込まれており (オールドレンズの中にはキーではなく穴が空いている場合や羽根の場合もある) その「キー」に役目が備わっています (必ず2種類の役目がある)。製産時点でこの「キー」は垂直状態で打ち込まれています。

位置決めキー
位置決め環」に刺さり絞り羽根の格納位置 (軸として機能する位置) を決めている役目のキー

開閉キー
開閉環」に刺さり絞り環操作に連動して絞り羽根の角度を変化させる役目のキー

位置決め環
絞り羽根の格納位置を確定させる「位置決めキー」が刺さる環 (リング/輪っか)

開閉環
絞り羽根の開閉角度を制御するために絞り環操作と連動して同時に回転する環

↑6枚の絞り羽根もキレイになり絞りユニットが鏡筒最深部にセットされます。よ〜く上の写真を見ると、もうこの時点で「絞り羽根の閉じ具合が正六角形を維持せず少々歪なカタチの開口部」に至っているのが明白です(笑)

↑この状態でひっくり返して今度は後玉側方向から鏡筒の裏側を撮影しました。するとご覧のように絞り羽根の制御機構がビッシリと固まってセットされています。

開閉アーム」が操作されるとそれに連動して「カム」が動き (赤色矢印)「なだらかなカーブ」の勾配に突き当たるので、その時の坂の勾配で「絞り羽根が閉じる角度/移動距離が決まる」仕組みです (グリーンの矢印)。「なだらかなカーブ」の麓部分が最小絞り値側になり、坂道を登りつめた頂上が開放側に当たります (グリーンの矢印)。

そしてこのペトリの「M42マウントモデル」で唯一当時の経営状況を反映してしまったパーツが上の写真「連係ガイドからの制御環がプラスティック製」のパーツと言う次第です。

この点が冒頭でお話した当時のペトリカメラが辿った最後の断末魔で「金属材で制御環を用意する資金すらケチった」とみているからです。

どうしてそのように言えるのか???

問題なのはこの「連係ガイド」(赤色矢印) に金属棒が絞り環からグサッと刺さり、しかも距離環の回転に連動して「上下方向に/前後玉方向にスライドする」からであり、それは「プラスティック材に対して金属材が接触しながら常時上下動している箇所」と言う点を問題視しています。

要はプラスティック材の摩耗が激しく、且つ弱いので経年摩耗に絶えられないのです。当初の1959年〜1970年辺りまではこの「制御環」は金属製パーツで設計され作られていました。
(その当時のモデルを完全解体してオーバーホールしているから知っている事実)

ではどうしてこの「制御環」だけをプラスティック製で用意してしまったのでしょうか???

答は簡単で「M42マウント化」に伴いマウント面から飛び出ている「絞り連動ピン」とのチカラ伝達において「鏡筒の空いているスペースが1箇所しか残っていない」為にその場所を使って「反対向きの制御環を用意する必要に迫られた」のが因果関係です。

つまりこの「制御環」の向きが従前の「Petriマウント品とは正反対」の向きで用意されているのです。それは従前の「Petriマウント品」の制御系が反対側で既に使っているので、同じ場所に異なる動き方をする制御環を配置できなかった苦しい現実があるワケです。

従って「M42マウント化」に伴い改めて新規で「逆向きの制御環を用意する」必要に駆られたのですが、現実的な話としてできるだけコストを掛けずに必要数のパーツを用意したいとなれば当時は「プラスティック製に仕上げるしか残されていなかった」のではないでしょうか。

これが当方の考察になります・・(泣)

このプラスティック製パーツを見ただけで当時のペトリカメラの経営状況が反映しているのだと察知できるワケで、どうして最も重要な役目で、且つ常時駆動する箇所にこんな軟らかい プラスティック製パーツを用意してしまったのかを納得付ける考察ではないかと考えます。

さらにもっと言うなら、このプラスティック製の「制御環」は組み立て工程でセットする以外を一切考慮していない設計を採っています。つまり後から (後の時代に) 再整備することを一切前提としていません!(笑)

つまり「作りきり/売り切りの思想」の設計だと言わざるを得ません。何故なら普通一般的な解体手順でこの「制御環」をバラせないからです。この「制御環」を取り外すには「光学系 後群格納筒を外す」必要がありますが、固着剤をビッチリ入れられているのでたいていの場合光学系後群格納筒は全く回りません。仕方ないので加熱処置したいワケですが「加熱した途端にプラスティック製の制御環が溶ける」ワケで、要は光学系後群格納筒を取り外せなければ 処置無しと言う話です (それほど軟らかい成分配合)(笑)

詰まるところネジ切りができるくらいの硬さを持っていないので、おそらくコスト優先でプラスティック材の配合を決めたのではないでしょうか。それが「作りきり/売り切り」との当方の考察に至ります (指で簡単にちぎれる軟らかさだから)。

↑鏡筒周りが完成したので今度はヘリコイド (オスメス) 側の組み立て工程に入ります。距離環やマウント部を組み付ける為の基台です。この配色を何処かで見た記憶があるかも知れませんが(笑)、当時の旧西ドイツの写真機材を扱う商社「Foto PORST」向けにOEM輸出していた標準レンズにも共通パーツとして使われています (同じM42マウントだから)。さらにもっと言うなら前述の「プラスティック製制御環」も同様セットされていますから同じ時期に製産されていたとみられます。

↑アルミ合金材のヘリコイド (メス側) を無限遠位置のアタリを付けた場所までネジ込みます。最後までネジ込んでしまうと無限遠が出ません (合焦しません)。このヘリコイド (メス側) には「距離環用の固定用ネジ穴が備わる (3箇所)」のがポイントです。

↑同様アルミ合金材のヘリコイド (オス側) を、やはり無限遠位置のアタリを付けた正しいポジションでネジ込みます。このモデルでは全部で17箇所のネジ込み位置があるので、さすがにここをミスると最後に無限遠が出ず (合焦せず) 再びバラしてここまで戻るハメに陥ります。

すると「直進キー」と言う真鍮 (黄鋼) 材のパーツが両サイドからヘリコイド (オス) 側に刺さり、ヘリコイド (メス側) に締め付け固定された「距離環」が回されると、その回転するチカラが「直進キー」で直進動するチカラに変換されてヘリコイド (オス) 側がググ〜ッと繰り出し動作をします (或いは収納動作)。

これが鏡筒を繰り出す/収納する原理ですが、グリーンの矢印で示したとおりヘリコイド (オスメス) の肉厚が互いに異なるので「距離環が固定されたメス側に距離環を回すチカラが集中する」問題を抱えます。

例えば仮にヘリコイド (オスメス) の肉厚が同一だったら、どちらの環に架かったチカラも均等に伝達されますが、ペトリカメラではどのオールドレンズのモデルでもすべて「ヘリコイド (オスメス) で異なる肉厚の設計」を採り続けたのでこのような問題に突き当たります。

これは実は「グリースの粘性で対応できる」と当時は考えていたようで潤滑油として捉えた時相応に軟らかい配合のグリースを使っていたと考えます。要はオールドレンズを作っているのに「グリースに頼った設計が前提だった」のがそもそもの因果関係です(笑)

従って経年劣化で特に近年「白色系グリース」が横行してからこのヘリコイド (メス) 側のネジ山摩耗レベルが上がってしまい、特に市場で距離環を回すトルクが既に重くなっている個体を手に入れてしまうと、塗布するグリースの粘性だけでもう対応できません。

その理由は「ヘリコイドメス側の肉厚が薄すぎるから既に経年摩耗分でネジ山が極僅かに変形し始めている」からであり、結果「トルクムラが残る」結末を迎えます。これはヘリコイド (オス) 側の肉厚が厚いことから肉厚の薄いメス側にチカラが集中する原理なので純正グリースを使わない限り適切なトルクを維持し続けられません。

特に「白色系グリース」でネジ山の山/谷が摩耗しきってしまったとなれば、その極僅かな緩み/マチが致命的となり「トルクムラ」は解消しようがありませんから困ったモノです(泣)

直進キー
距離環を回す「回転するチカラ」を鏡筒が前後動する「直進するチカラ」に変換する役目

↑完成した基台をひっくり返して今度はマウント面側方向から撮影しています。「直進キー (赤色矢印)」が「直進キーガイド (グリーンの矢印)」と言う溝部分を行ったり来たりスライドするのが分かります (ブルーの矢印)。

たいていの過去メンテナンスの場合、この「発生してしまったトルクムラ解消」のために「直進キーを削ってしまう」荒療治でごまかす整備が横行していますが(笑)、そもそも摩耗しているのがヘリコイド (オスメス) のネジ山 (山と谷) なので、直進キーを削ったところでさらに「トルクムラ増大」の因果関係を促しているだけの話です(笑)

↑距離環を仮止めしておきます。

↑こんな感じで完成している鏡筒がヘリコイド (オス側) の内側にストンと入ります。

↑同様ひっくり返して再びマウント面方向から撮影しました。ご覧のように所狭しとビッシリ各構成パーツがセットされています。絞り環を回すと「絞り環連係ガイド (プラスティック製)」が連動して移動し「なだらかなカーブ」の位置が変化します。マウント面から飛び出ている「絞り連動ピン」が押し込まれると「開閉アーム」が操作されて同時に「カム」がなだらかなカーブに突き当たり「その時の勾配から絞り羽根の移動量が決まり閉じる角度が伝達される」仕組みですね(笑)

従って何度も何度もこのブログで解説していますが(笑)、マウント面から飛び出ている「絞り連動ピン」の押し込み量がもしも足りなければ「開閉アーム」の操作が中途半端になり最後まで操作されませんから「必然的に絞り羽根の開閉異常」に繋がる原理です。

決して当方のオーバーホールが上手く仕上がらなかったいい訳を言ってるのではなくて(笑)、あくまでも物理的に各構成パーツの動きからマウント面から飛び出ている「絞り連動ピンを押し込んだそのチカラの伝達」として解説している次第です。

それをまぁ〜SNSなどでは、当方が上手く整備できなかった言い訳としてマウントアダプタのせいにしている (マウントアダプタとの相性問題) と批判されている始末です(笑) どうぞ好きなだけ批判して下さいませ(笑)

↑絞り環をセットしたところです。都庁に空いている穴に「連係アーム (金属棒)」がグサッと刺さり、それが前述の「連係ガイド (プラスティック製)」をスライドしていくので堪ったモノではありません(泣)

↑A/Mスイッチ環をセットします。A (自動) とM (手動) の切替動作を行います。この時も内部で「開閉アーム」が強制的に操作されるので、やはり「カム」がなだらかなカーブに突き当たる動作をしますから、前述の「プラスティック製の制御環」の重要性をご理解頂けるのではないでしょうか?

絞り環操作で常時擦れ合い、A/M切替スイッチの操作でもチカラが伝達され、もちろんマウント面から飛び出ている「絞り連動ピン」の押し込み動作でも頻繁にチカラが伝達されるのが「制御環の宿命」なので、そのような三つ巴でチカラが伝達されるパーツをこのモデルの内部構成パーツの中で唯一のプラスティック材として用意してしまった部分に着目しないワケにはいきませんね(笑)

だからこそ冒頭の当時のペトリカメラの背景を知る必要があったワケです・・。

↑マウント部をセットしてこの後は光学系前後群を組み付けて無限遠位置確認・光軸確認・絞り羽根開閉幅の確認 (解説:無限遠位置確認・光軸確認・絞り羽根開閉幅確認についてで解説しています) をそれぞれ執り行い、最後にフィルター枠とレンズ銘板をセットすれば完成です。

DOHヘッダー

ここからはオーバーホールが完了した出品商品の写真になります。

↑丸ッと2年の時間を要してしまいましたが、ようやくゲットした純正オリジナルな「M42マウント」のペトリカメラ製標準レンズC.C Auto Petri 55mm/f1.8 black《後期型》(M42)』ですが、どういうワケか光学系内の一部の群に蒸着されているコーティング層が異なっていて、ご覧のように「ブル〜の光彩」を放つ面があったりしました (実際に光学系清掃時に確認済)。

この当時の「Petriマウント」の標準レンズの中でも少々珍しい話でしょうか・・。

↑光学系内の透明度が非常に高い状態を維持した個体です。LED光照射でもコーティング層経年劣化に伴う極薄いクモリすら皆無です。

↑上の写真 (3枚) は、光学系前群のキズの状態を拡大撮影しています。すべて極微細な点キズを撮っていますが微細すぎて全部写りませんでした。

↑光学系後群側も同様LED光照射で極薄いクモリが皆無です。パッと見で「/」に見えがちですが、極微細な点キズが少々多めに残っています (3回光学系を清掃しても除去できなかった極微細な点キズ)。

↑上の写真 (3枚) は、光学系後群のキズの状態を拡大撮影しています。すべて極微細な点キズを撮っていますが微細すぎて全部写りませんでした。

【光学系の状態】(LED光照射で様々な角度から確認)
・コーティング劣化/カビ除去痕等極微細な点キズ
(経年のCO2溶解に拠るコーティング層点状腐食)
前群内:10点、目立つ点キズ:6点
後群内:11点、目立つ点キズ:7点
・コーティング層の経年劣化:前後群あり
・カビ除去痕:あり、カビ:なし
・ヘアラインキズ:あり(前後群内僅か)
(後群内に極微細な薄い6mm長数本あり)
・バルサム切れ:なし (貼り合わせレンズあり)
・深く目立つ当てキズ/擦りキズ:なし
・光源透過の汚れ/クモリ (カビ除去痕除く):なし
・その他:光学系内は微細な塵や埃が侵入しているように見えますが清掃しても除去できないCO2の溶解に拠る極微細な点キズやカビ除去痕、或いはコーティング層の経年劣化です。
・光学系内は透明度が非常に高いレベルです。
(LED光照射でも極薄いクモリすら皆無です)
・いずれも全て実写確認で写真への影響ありません。

↑6枚の絞り羽根もキレイになり絞り環やA/M切替スイッチ共々確実に駆動しています。絞り羽根が閉じる際は「ほぼ正六角形を維持」したまま閉じていきます (仕様なので完璧な正六角形に改善できません)。

ここからは鏡胴の写真になりますが、経年の使用感が僅かに感じられるものの当方にて筐体外装の「磨きいれ」を施したので大変落ち着いた美しい仕上がりになっています。「エイジング処理済」なのですぐに酸化/腐食/錆びが生じたりしません。

↑【操作系の状態】(所有マウントアダプタにて確認)
・ヘリコイドグリースは「粘性:中程度+軽め」を使い分けて塗布し距離環や絞り環の操作性は非常にシットリした滑らかな操作感でトルクは「普通」人により「重め」に感じ「全域に渡りほぼ均一」です。
距離環を回すとヘリコイドのネジ山が擦れる感触が伝わる箇所があります
・ヘリコイド(オスメス)の設計上どうしても距離環が固定されるメス側の肉厚が薄いことから急いで距離環を回したり強めに保持するとその圧を受けて僅かに重いトルク感に変わります。これは塗布したグリースの問題ではなくヘリコイドの肉厚がオスメスで異なる設計の影響です(改善不可能)。
・マウントアダプタに装着して使う場合は必ずA/M切替スイッチを「M(手動)」にセットしてご使用下さいませ。「A(自動)」設定で使うと最小絞り値まで絞り羽根が閉じなくなります(f11で停止)。
これはマウント部内部の捻りバネが1本しか存在しない事によるチカラの伝達ロスなので改善できません(事前告知の為クレーム対象とせず)。またマウントアダプタ側のピン押し底面の深さにより同様不具合が発生しますから「M(手動)」で使うのがベストです(フィルムカメラでの装着ならA自動でも正しく機能します)。

【外観の状態】(整備前後関わらず経年相応の中古)
・距離環や絞り環、鏡胴には経年使用に伴う擦れやキズ、剥がれ、凹みなどありますが、経年のワリにオールドレンズとしては「超美品」の当方判定になっています (一部当方で着色箇所がありますが使用しているうちに剥がれてきます)。
当方出品は附属品に対価を設定しておらず出品価格に計上していません(附属品を除外しても値引等対応できません)。

↑上記の附属品がセットされます。

《今回のヤフオク! 出品に際し附属するもの》
marumi製MC-Nレンズガード (新品)
本体『C.C Auto Petri 55mm/f1.8 black《後期型》(M42)』
汎用樹脂製ネジ込み式M42後キャップ (新品)
純正樹脂製被せ式前キャップ (中古品)

無限遠位置 (当初バラす前の位置に合致/僅かなオーバーインフ状態)、光軸 (偏心含む) 確認や絞り羽根の開閉幅 (開口部/入射光量) と絞り環絞り値との整合性を簡易検査具で確認済です。

もちろん光学系の光路長調整もキッチリ行ったので (簡易検査具によるチェックなので0.1mm単位や10倍の精度ではありません)、以下実写のとおり大変鋭いピント面を確保できました。電子検査機械を使ったチェックを期待される方は、是非ともプロのカメラ店様や修理専門会社様が手掛けたオールドレンズを手に入れて下さい当方の技術スキルは低いのでご期待には応えられません

↑なちみに光学系後群側の格納筒がご覧のように「3.2㍉」分突出するのでフィルムカメラに装着される場合はご留意下さいませ。

↑例によって前述のとおりオーバーホールが上手く仕上がらなかった言い訳として「マウントアダプタとの相性問題」のせいにしていると批判されるので、実際に当方所有マウントアダプタに装着してチェックしています(笑)

オールドレンズのマウント面とマウントアダプタ側のマウント面との間に「1㍉弱の隙間 (赤色矢印)」があるのはマウントアダプタ側の仕様です (K&F CONCEPT製)。

この時ちゃんと最小絞り値絞り値「f16」まで絞り羽根が閉じますが、それは「A/M切替スイッチをM (手動) に設定している」からです。

この時「A (自動)」に設定すると絞り羽根は最小絞り値「f16」まで閉じず「f11」で閉じるのをやめてしまいますからご留意下さいませ。
これはマウント部内部の仕様の問題なので改善できません。

↑同様今度は日本製のRayqual製マウントアダプタに装着してチェックしています。やはりマウント面に「1㍉強の突出 (赤色矢印)」があるので「隙間」が空きますが仕様ですからご留意下さいませ。

やはり絞り羽根はA/M切替スイッチを「M (手動)」に設定していれば正しく最小絞り値「f16」まで閉じますが「A (自動)」に設定すると「f11」で閉じるのをやめてしまいます。

これはマウント部内部の仕様の問題なので改善できません。

↑当レンズによる最短撮影距離60cm附近での開放実写です。ピントはミニカーの手前側ヘッドライトの本当に「球部分」にしかピントが合っていません (このミニカーはラジコンカーなのでヘッドライトが点灯します)。カメラボディ側オート・ホワイト・バランス設定はOFFです。

各絞り値での「被写界深度の変化」をご確認頂く為に、ワザと故意にピントはミニカーの手前側ヘッドライトの本当に電球部分に合わせています。決して「前ピン」で撮っているワケではありませんし、光学系光学硝子レンズの格納位置や向きを間違えたりしている結果の描写でもありません (そんな事は組み立て工程の中で当然ながら判明します/簡易検査具で確認もして います)。またフード未装着なので場合によってはフレア気味だったりします。

↑絞り環を回して設定絞り値「f2.8」で撮影しています。

↑さらに回してf値「f4」で撮りました。

↑f値は「f5.6」に上がっています。

↑f値「f8」になりました。極僅かですが「回折現象」の影響が現れ始めています。

 回折現象
入射光は波動 (波長) なので光が直進する時に障害物 (ここでは絞り羽根) に遮られるとその背後に回り込む現象を指します。例えば、音が塀の向こう側に届くのも回折現象の影響です。
入射光が絞りユニットを通過する際、絞り羽根の背後 (裏面) に回り込んだ光が撮像素子まで届かなくなる為に解像度やコントラスト低下が発生し、眠い画質に堕ちてしまいます。この現象は、絞り径を小さくする(絞り値を大きくする)ほど顕著に表れる特性があります。

被写界深度
被写体にピントを合わせた部分の前後 (奥行き/手前方向) でギリギリ合焦しているように見える範囲 (ピントが鋭く感じる範囲) を指し、レンズの焦点距離と被写体との実距離、及び設定絞り値との関係で変化する。設定絞り値が小さい (少ない) ほど被写界深度は浅い (狭い) 範囲になり、大きくなるほど被写界深度は深く (広く) なる。

↑f値「f11」での撮影です。

↑最小絞り値「f16」での撮影です。